Ep6-21 旧山下邸
CROWSの追撃を振り払って英太たちは幻の扉に飛び込んだ――
自分の足音さえ聞こえない濃密な黒い霧に覆われた長い通路をただまっすぐに歩く。
果てしない道のりを歩いた先に、ぽつんと柔らかい灯りが見える。明かりはすぐに近くなり、暖かな光を投げかけてくる。明かりの下に片梨さんがいた。
「やっときたわね」
まとわりつく黒い霧を振り切ってようやくたどりついた先で片梨さんの言葉が出迎えた。
ずいぶんと時間がかかった気がしたが、着いてみるとまるでほんの数歩分の時間しか経っていない気がする。
「いつまでもぼーっと突っ立ってるんじゃないわよ。入るわよ」
片梨さんが玄関ホールの内扉に手をかける。
「ちょっと待ってよ。ここがどこかも分からないっていうのに」
明らかに先ほどまでいた丸の内のオフィスビルとは異なる場所だった。
「ここはたぶん、旧山下邸です……」
白田さんがか細い声で指摘する。超常現象に怯えているのかと思い顔を見ると、まるでお菓子の家を見つけたヘンゼルのように恍惚とした表情を浮かべていた。片梨さんが押し開いた内扉をヨタヨタと通り過ぎ、広々とした階段ホールを縁取る黒緑色の大理石の柱を震える手でペタペタと撫でまわす。
「……おぉ、ふんだんに使用された深緑の大理石、イオニア式柱列に支えられたチーク材の楣、寄木細工の床……まさしく、記録にある通りの姿だ……」
「白田さん?」
「原理は分かりませんが、ここは焼失した旧山下邸です!」
「いや、近い。近いって、白田さん。分かりました、分かりましたから」
キラキラと潤んだ瞳で鼻息荒い中年男性に両手を握られた俺は、身の危険を感じて思わず白田さんを振り払った。
「いやはや、すみません。ちょっと興奮が収まらなくて。ですが、私が長年追い求めてきた山下久兵衛氏の足跡にこんなに鮮明に、こんなに確固として触れることができる日が来るなどとは夢にも思いませんでしたから。あははは……」
「ええ、まあ、気持ちは分かります」
白田さんの愛想笑いに相槌を打って変な空気を払う。
確かに白田さんでなくても目の前の豪華な洋館の内装を見るとテンションが上がるものがある。それは現代のセレブが金をいくら積んでも手に入らない、本物の上質が語り掛けてくるものを五感が感じとるからだろう。
「へえ、サロンにダンスホールまであるのね」
片梨さんも余裕を装いながら絢爛豪華な部屋を覗いて回っている。
「ちっ」
遠くで小さく舌打ちが聞こえる。そちらに視線を送ると。階段ホールの先を曲がった廊下から男が一人姿を現した。黒ずくめだが地下街で英太たちを追ってきた連中とは違い、体にフィットする無駄のないシルエットが危険な相手であることを感じさせる。その後ろから場違いに明るいとぼけた声が聞こえてきた。
「なるほど、こちらがメインホールですか。すると、私が入ってきたのは女中口とでもいうのでしょうかね。すばらしい、すべてに本物の説得力がある」
黒いボディスーツの男がいやそうな表情で階段ホールの脇に避けて廊下の後ろから来る男に道を譲る。現れたのは肩で切りそろえた長髪を揺らすロングコートの男だった。浅野である。
「あーっ、あんた!よくもあたしのお宝を横取りしてくれたわね!」
片梨さんが指を振り立てて浅野を糾弾する。
「おやおや、レイドの獲物は早い者勝ちが常識でしょう。それとも、ここでやり合いますか?せっかくたくさんの謎とお宝が隠れていそうな素敵な場所に来たのにもったいないと思いますが」
やれやれと肩をすくめる浅野を片梨さんがキッと睨みつける。ちょっと待ってよ片梨さん、と心でつぶやいて止めに入るべく身構える。が、すぐに片梨さんが力を抜いて事なきを得た。
「ふん、いいわ。口車に乗ってあげる。あんな臭そうな長靴よりももっと良さそうなものが手に入りそうだし」
浅野がよろしい、とばかりに鷹揚にうなずく。こうして対峙すると学校の先生や大学の教授に通じる雰囲気がある。俺も目線があったときに会釈して浅野との間にある緊張感を和らげた。
「おー、こっちが広くなってるぜ」
黒いボディスーツの男が出てきたのとは別の通路の奥から声がした。
「こら、大きな声を出さない。人の気配があるでしょうが」
「あははは、いまさら取り繕ったってもうバレちゃってるよ」
通路から出てきたのレムナンツ・ハンズの面々だった。
「げっ、赤毛女」
「なによ、駄犬。あたしたちが先に着たんだからあんたは引っ込んでなさい」
「けっ。……赤毛女がいるってことは、英太もいるのか?」
ケイタの鼻に寄っていたしわが消え、俺を見つけるとニカッと満面の笑みを浮かべた。
「ども」
「おー、英太。がんばってるじゃねーか。どうだ、獲物はゲットしたか?」
「ええまあ、一つだけですけど」
俺はポーチにしまった懐中時計をケイタに見せる。
「おー、すげーじゃねぇか」
「いて、いてっ」
ケイタにバンバンと背中を叩かれて思わずむせそうになる。
「ちょっと、駄犬。ウチのリーダーに馴れ馴れしくすんじゃないわよ」
「へえ、英太がリーダーか。さっそく下克上かますとは、さすが俺のダチだな」
「いや、今回だけの臨時リーダーだから」
下克上とかそんなんじゃないんで。あまり過激なことを言って片梨さんを刺激しないでよ、ケイタぁ。
片梨さんがずいっと前に出る。
「臨時だけど今は英太がノクターナルのリーダーよ。それ以上近づくんじゃないわよ」
「その子の言う通りだよ。知り合いだからってレイド中にライバルチームと親しくするのはちょっと違うと思うな」
興味深そうにこちらを観察していた男子が発言した。ハスキーだが高めの声でしゃべる姿はどう見ても俺や片梨さんより年下だ。レムナンツ・ハンズの新しいメンバーだろうか。
「ははは、確かに。カサギさんがいたら今頃鉄拳制裁だね」
「お久しぶりですトオノさん。カサギさんは参加しなかったんですか?」
「いや、ロスト・アセットの数が足りなくてね。この洋館には入って来れなかったんだ」
チーム事情駄々洩れで俺と話すトオノさんの向こうで年下の少年がやれやれと大人びた仕草で肩をすくめる。
「ふむ。そちらのチームはお互い知り合いのようだね。どうだろう、ここにいる全員がこの館の謎を知らないみたいだし、今回は共闘するというのはいかがかな?」
浅野が提案する。
「……」
黒いボディスーツの男は否定も肯定もせずに押し黙っている。
「いいんじゃないかな。レイドの残り時間ももう半分を切っているし」
トオノさんは乗り気だ。
俺は片梨さんの態度をうかがう。
「ふん」
探りを入れる俺の視線に気づいて片梨さんがそっぽを向く。明確な反対意見はないと判断して俺も答える。
「ええ、いいと思います。ここから出る方法もみつけなきゃならないし、共闘したほうが選択肢が増えるでしょう」
「そっちもいいかな?」
浅野が少し声を張り上げて少し離れたところに声をかける。バルコニーの見える掃き出し窓の一角から背が低く丸眼鏡をした男が姿を現した。白髪の混じる灰色の髪と少し突き出し気味の前歯が特徴的な面長の男だ。
「ええ、私は構いませんよ」
少し甲高い倍音を含んだ声質が臆病な動物のような印象を与える。ネズミのような小動物っぽい仕草と小柄で肉厚な姿がカピバラを彷彿とさせる。
「なら、自己紹介と行きましょうか。まずは私から――」
CROWSの襲撃を振り切ってとりあえずの安全を確保した英太と桔花。謎の洋館に集まったレイダー同士で共同戦線を張ることを浅野が提案する――




