Ep6-14 橋石美術館
京橋駅にほど近いビルの裏側でもレイダーの暗躍が繰り広げられていた――
1時38分 八重洲通り東
中央通りとの交差点の南東側に立つ橋石美術館は東京駅八重洲口地下街にぎりぎり接続していない位置にあった。地上からの入り口はレイド結界外であるためガジェットが使えない。そのせいで季丞玄は侵入に時間がかかっていることに少しいら立ちを覚えていた。
通用口の電子ロックのインジケーターが赤から緑に切り替わる。カチリとロックが外れる音がして、季の握るハンドルが回転する。
「やれやれ、最近の電子制御式は処理が面倒だ。が、一度警備システムを掌握してしまえばお終いだからどっちもどっちというところだな」
中に入った季は迷わずエレベータに向かう。指紋を残さないように手袋はしているが、監視カメラの類を気にする様子はない。集中管理された警備システムを乗っ取っているのでカメラも各部屋のロックも、ついでに言えば金庫のカギさえも自由に制御できる。
エレベータが目的のフロアに到着し、先日の下見で目星をつけたターゲットに向かう。
季の進行に合わせてフロアの天井灯が点灯していく。
例の江戸切子の小瓶の前に立ち止まる。
『理髪師の小瓶』
瓶に吹き込んだ事実が世界から隠されるというロスト・アセット。
ギリシャ神話に登場するミダス王の逸話で、神々の怒りを買いロバの耳に変えられた王にその秘密を口外しないよう口止めされた専属の理髪師が、沈黙を守り続ける苦しさから地面に掘った穴の底に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫んだという物語に由来する。
この瓶の広口に向かって告げた一息分の真実は世界から姿を隠し、誰も知らない事実となる。だがこの瓶に封じることができるのはひとつ分の真実だけであり、新たに使用した場合は隠されていた事実は再び世界が知るものとなる。
季は無造作にショーケースを開けてロスト・アセットを取り出すと、重さを確かめるように手の中で弄ぶ。
「これが『地獄銭』の在り処をひも解く鍵、か。この中に地図が封じられているのか?」
季は栓を開けたくなる誘惑を感じながら、しかしそれをクライアントが許さないことを知っており、自分では絶対に採らない選択肢に心を乱されていることに苦笑した。
そのまま現物だけを持って行くつもりだったが展示物の下に敷かれた風呂敷の裏地に目が留まる。そこには小さな紙片が挟まっていた。
――天の高みの金字塔 風の通詞の住まう場所――
紙片に書かれた詩のようなメッセージを読んだ季が舌打ちをして顔をしかめる。
「こっちが本命か。ここから一番近いのは……」
季はポケットから携帯電話を取り出して言った。
「車を回してくれ。行き先は日本橋三越本店だ。それと、次の場所に勢子を派遣しろ。猟師のほうは上の判断に任せればいい」
手配りを終えると、季は散らかったままの現場を一瞥してそのまま立ち去った。
建物の外に出ると特徴のないシルバーの車が道路脇に停車していた。季は何も言わずに助手席に乗り込む。そのまま車は走り出し、三越本店までの短い距離を走った。
三越本店の脇にある地下鉄入り口から一旦地下連絡通路に入る。
黒ずくめの連中が揃う中、一人が前に出て報告する。
「三泉本店に侵入していた五人組を取り逃がしました」
「三泉?そっちはいい。適当に追い散らしておけ。俺は三越本店の屋上庭園に向かう。地下と地上、どちらも他のチームが邪魔しないよう見張っておけ」
「はっ」
季は地下の入り口から三越本店の内部に侵入し、屋上に向かった。
地上三十メートルの高さに整備された屋上庭園は中央に水盤を置き、四季折々の草花や樹木を配置して都心とは思えない安らぎの空間を作り上げている。その奥にまるで時代を飛び越えたかのような端正な佇まいを魅せる白亜の塔が建っている。
現在ある屋上庭園は2019年にリニューアルされたものだが、屋上の右手奥の角に立つ塔は1921年(大正10年)の西館増築のときからそこにある。アール・デコ調の白亜の塔は頭頂部に高い支柱を持ち、赤い小さな旗が風のない夜景に垂れ下がっている。四隅にはデパートのエンブレムが掲げられており本物の黄金のごとくに輝いている。建物の正式な名称は忘れ去られたが、創建当時からの呼び名である金字塔として今も人々から愛されている建造物だ。
「この塔は昔、支柱の先に掲げる旗の色で天気予報を周囲に伝えていたと聞く。風の声を聴き天候を読み解く通訳者、か。まさに『風の通詞の住まうところ』だな」
普段は立ち入り禁止の塔の内部に侵入し階上部分にある小部屋に上がる。隅に置かれた小さい机の引き出しに、パラフィン紙に巻かれたガラス板があった。
「扉を写したスライド……。ふむ、これ自体何かのレリックか」
懐から取り出したガジェットに押し当てて表示された結果を見て季がつぶやく。どうやらスライドからは量子結晶と同類の反応があるようだ。
「こっちが鍵で、こっちが鍵穴、というところか。面白い」
手にしたロスト・アセットとスライドを両手に掲げて季がニヤリと笑う。小さな丸眼鏡の奥で鋭い目じりがきゅうっと吊り上がった。
一斉に所在が明らかになった今回のロスト・アセット群に隠された秘密に一番最初に気づいたのは季だった。彼は彼の真の目標物のためにレイドの妨害をも辞さない覚悟で行動を開始する――




