Ep6-13 信託博物館(2)
軒端が潜む保管庫に浅野が入ってきた。レイド現場で会敵したレイダーは即戦闘が常識だ。だが、ソロの軒端が選んだのは潜伏だった――
カチャリと鍵が開いて保管庫の扉がゆっくりと引き開けられる。
「ふふふ、事前の準備を怠らなければこの程度の保安設備は自宅同然に通れるものです」
浅野の独り言が軒端の潜む保管庫に響く。
(どうする……こいつを片付けるか。いや、せっかくの偽装が無駄になる。可能な限り潜伏してやり過ごそう)
浅野は保管庫内のケースをいくつか覗き込んでは戻していく。やがて偽物の『未済報告書』を入れたケースにたどり着き、中身を取り出した。
「ふむ?」
浅野は何か違和感を感じた様子で黒革の帳面をじっくり検分し始める。
「贋作?いやしかし……。運営がすり替えた?だが何のために?くっ、情報が足りない」
浅野は胸ポケットに手をやりモノクルを取り出す。が、覗き込む動作を途中で止めて首を振る。
「『ファエトンの証明』は一日に一度しか使えない。このレイドには他のターゲットもあることだし、ここで使うわけにはいくまい」
そこではたと思い出したように顔を上げる。
「執務室にあったあの鍵。不自然な温もりがあったが先に誰かが触れていたということか。ならばここもすでに攻略済み。ロスト・アセットを手に入れるついでに偽物と取り換えたというわけか。やられたな」
先を越されたというのにどこか楽し気な表情で顎を撫でる。そして何かに気づいたように入り口を振り返る。
「おや、お客さんが大勢いらしたようだ。ここは退散して次に向かうとしよう」
そして慌てるふうもなくケースを元に戻し、保管庫に施錠をして出ていった。
十分に間をとってから軒端が動き出す。その隠形の技は完璧で先ほどまで暗がりの影としか見えなかった場所からぬっと姿を現す。そのまま無言で保管庫から撤収した。
一分後、日本工業俱楽部会館の屋根上に軒端の姿があった。
そこから見えるサンクンガーデンに複数の黒ずくめの男たちが見える。一人だけロングコートを纏っているのは浅野だろうか。
「独り言の多いヤツだったな。だが立体コピーの偽物を見抜くとは侮れん。体術のほうはどのくらいできるのか、高みの見物といこうか」
浅野が何かときおり腕を振って襲撃者を牽制している。投擲武器だろうか。やがて完全に包囲されてしまう。三百六十度全方位から一斉に飛びかかる体勢の敵に、どこか余裕のある立ち居振る舞いだった。数秒の睨みあいの末、黒ずくめの連中が一斉に動くと同時に浅野が垂直に跳びあがる。無駄なあがきと包囲網を狭める男たちが、宙に浮かんだままいっこうに落ちてこない浅野を見てたたらを踏む。嘲るような大袈裟なポーズで空中の浅野がオーケストラの指揮者のごとく広げた手をグイッとひねると、彼を見上げていた連中がドタドタとまるで満員電車に押し込まれるサラリーマンのようにおぼつかない足取りで中央部に集まり、おしくらまんじゅうのようにぎゅうっと締め上げられる。
ストン、と束ねられて揉みあっている連中の横に浅野が降り立つ。さらに浅野が手を動かすと、襲撃者連中が足の自由を奪われてその場にゴロリと倒されてしまった。
浅野は何か捨て台詞を残して余裕の足取りでその場を去っていった。
「なかなかの手練れだな」
どんな術を使ったのか遠目ではわからなかったが、十人近い連中を手玉に取ったのだ。次に遭遇した際は警戒するに越したことはない。
「さて、こっちはどんな具合かな」
軒端が屋根の上に来たのには別の理由があった。
黒革の帳面から滑り出てきた紙片に改めて目を通す。そこには一遍の詩のようなものが書かれていた。
天の高みの金字塔
風の通詞の住まう場所
古き異国の神殿の
坤を護りし獅子頭
翼広げし凰の大雨覆の陰の下
鷲が支えし轂の褥
地を見守りし二柱
麗しき人の携えし糸巻きに宿る御子の夢
猛き男の鉄槌が
打ち砕く前にとく手に入れよ
前半部分は今のところ意味不明だが、最後の節には心当たりがあった。
「麗人の持つ糸巻きの中、ね」
日本工業俱楽部会館の正面玄関の屋根の上には二体の像がある。一体はハンマーを持つ男で石炭を、もう一体は糸巻きを持つ女性で紡績を表し、日本工業俱楽部発足当時の財界産業界の新進気鋭たる思いを象徴した記念碑となっている。
軒端は高さを恐れるふうもなく女性像に近づき、左手に抱えた四角いオブジェクトを探る。隠された留め金に指が当たり、カチリとした感触とともに蓋が開く。中からは油紙に包まれたガラス板が滑り出てきた。
「なんだ、これは?」
パラフィン紙を剥いで出てきたガラス片には何かの絵が描かれているようだった。遠く眼下に灯る街灯の明かりにかざすが細部はわからない。
「入り口の絵?それとも写真か?」
もともと軒端の狙いは『未済報告書』のみで、手に入れたあと即座にレイドエリアを離脱する予定だった。が、ロスト・アセットから出てきた謎かけとなると俄然興味を惹かれる。
と、そのとき、眼下の路上から投光器に匹敵する強烈なハンドライトの光が浴びせられた。
軒端は咄嗟に像の陰に身を隠したものの、地上にはわらわらと黒ずくめの男が集まり始めている。
「いま誰かいなかったか?」
「何か動いた気がしたけど、一瞬だったからなぁ」
「B班からの連絡が途絶えている。何者かがこの辺りで活動しているのは確かだ」
「よし、ここを取り囲め。蟻一匹逃がすな」
無人のオフィス街は声がよく通る。それを差し引いても隠す気がないのが明らかな大声でやり取りをしている。
「ちっ、CROWSか。面倒な連中だ」
軒端は小さくつぶやいて闇の中に姿を消した。
ロスト・アセットを手に入れた軒端と逃した浅野。このラウンドの勝利の女神は軒端に微笑んだ。が、女神の誘いは軒端を窮地に巻き込んでいく――




