Ep6-11 カナエの十三分
ロスト・アセット『悔鳴懐中時計』。その成立には一つの悲劇があった――
明治末期。藤堂鼎は念願の鉄道機関手となり熱意に燃える新進気鋭だった。
このころの鉄道は単線で、列車同士の衝突を避ける運行システムとして通行証を運転手に手渡してそれを持つ列車だけが進行できるという制御方式をとっていた。
富国強兵策が行われますます勢いを増す社会の発展を支えるために鉄道には列車の運行本数を可能な限り増加すべしという圧力が常にかかっていた。強い需要に対応するべく、現場では旧来のスタッフ閉塞方式から最新式のタブレット閉塞方式への切り替えが急ピッチで進められている時代でだった。
鼎は知識としてはどちらの制御方式も習得していたが鉄道作業局で訓練したのは主にタブレット閉塞式だった。
鼎が現場にも慣れ、ようやく一人前になったと自覚を持ったある日、彼は始発列車の乗務に就いた。
折悪しく台風が接近しており、駅員は深夜から対応に追われすでにへとへとに疲弊していた。昨夜から降り出した雨は台風の接近に呼応していよいよ勢いを増すばかりだった。篠突く雨が視界を遮る中、機関手の鼎も神経をすり減らして列車を走らせていた。
鼎は提鎖でボタン穴につながる官給品の懐中時計を見つめながら、イライラと単線区間の閉塞が解けるのを待っていた。
定刻から二分近く経っているというのに駅員が現れない。タブレットが無ければ発車できないというのに。
ようやく駅舎の扉が開き、黄色い灯りが漏れる。日の出から三十分は経ったはずだが分厚い雨雲のせいで辺りはまだ夜明け前の暗さだった。
「早くしてくれ、始発列車なのにもう三分も遅れている」
「こっちだっててんやわんやなんだ。この先で水が出て土砂崩れがないか点検していたんだよ」
駅員は徹夜で対応しているとみえ、制服はヨレヨレでレインコートの中の詰襟もボタンを外している。
「ほら、いけ」
駅員が使い込まれて艶の出た樫の棒を鼎に手渡し、雨の中を急いで駅舎に戻っていった。それは旧式のスタッフ閉塞式で使用される通行証だった。
この区間はもうタブレット式に切り替わったはずじゃ……。
鼎は手渡されたスタッフを見て逡巡したが、樫の棒には確かにこの区間の通行証を示す真鍮の銘板が取り付けられている。
タブレットを払い出す機械が故障したのかもしれない。それよりも列車の遅延のほうが問題だ。始発列車が遅れたら、あとは雪崩式に運行ダイヤが乱れる。
鼎はそう自分を納得させて、駅員を呼び戻すことなく機関車を発車させた。
雨と暗闇に遮られ百メートルもない視界の中で鼎はときおり横目でスタッフに付けられた銘板を確認しては手にじっとりと汗をかく。
ほんとうにスタッフで良かったのだろうか?
タブレットを受け取るべきだったのでは?
もし、正しい通行証が払い出されていなかったとしたら?
始発列車だから途中まではほとんど行き違いの列車がないはずだ。
鼎は携行用の時刻表を確認した。
ちょうど次の駅で最初の行き違いがある。
鼎は焦った。
列車は三分遅れで閉塞区間に入った。スタッフが正式なものならば相手は駅で待っているはずだ。
だがもし、スタッフではなくタブレットを受け取る必要があったのなら……。
停車するか?
いやいや、相手が気づかずに閉塞区間に入ってくればこちらが停車しても正面衝突は免れない。
速度を上げて一刻も早く閉塞区間を通過するか?
だが雨でレールが滑りやすい上に、途中土砂崩れが起きている危険性もある。もし崖が崩れている場所があったら、速度を上げ過ぎると事故を起こしたときのダメージが倍増してしまう。
とはいえ、一分でも一秒でも早く駅にたどり着ければ衝突事故は防げるはずだ。
鼎は頭を目まぐるしく回転させ、だが結局は指一本動かせずに運転台にしがみ付くしかなかった。
あのとき、単線区間に侵入する前にちゃんと駅員に確認していれば。
あのとき、走り出した直後にでも停車していれば。
あのとき、最初からスピードを上げて、一分でも早く走り抜けていれば。
無限ループに思考が囚われるうちに貴重な時間はますます減り、速度を上げることも停車することもできないまま、大雨の中を蒸気機関車は走り続ける。
やがて雨に煙る車窓に、遠くポツンと明かりが映った。
「駅に着いた」
無限に思えた時間がようやく終わったことにほっと胸をなでおろそうとした瞬間、耳に警笛が届いた。
「ああ」
鼎は絶望の中で緊急ブレーキをかけ、つんのめる体を運転台に押し付けられながら懐中時計を握り締めた。
「十三分前に戻れたら――」
藤堂鼎は一命をとりとめたが衝突事故で片腕片足を失い、その怪我が原因で数か月後に死亡した。
彼の切断された腕が握り締めていた懐中時計はなぜか事故の十三分前の時間を指して止まっていた。
壊れた懐中時計はいくら修理しても動かなかった。
修理を担当した時計職人の一人が奇妙な証言を残している。
「確かに修理が終わって懐中時計が動いたのを見たんだ。けど、何故か十三分前に自分がやっていたことを追体験して、気付けば懐中時計はやっぱり止まっているんだ」
『悔鳴懐中時計』
一人の機関手の後悔と絶望を封じ込めたレリック。
彼は祈りの中で十三分前をやり直すことを願った。が、神ならぬ身の願いは同じ運命の繰り返しを体験するだけにとどまり、決して人生のやり直しを叶えるものたりえない。
このロスト・アセットは使用者が十三分前に体験した事象を一秒と違わず繰り返すものである。使用者の十三分は失われ、ただ苦い経験がより鮮明に心に刻まれるのみである。
「――どうしちゃったのよ英太。英太ったら。敵が来るわ。すぐに逃げないと」
懸命に俺の体を揺すり、泣きそうな、それとも怒りが爆発しそうな顔で覗き込む桔花の姿が意識に飛び込んでくる。
「あれ?えっ?俺、一体どうして……。あれはなんだったんだ?」
「やっと起きた。バカ英太!ぼおっとしてないで早く動け!!」
げしっと尻を蹴られる。
「イテッ」
「あんたが固まっている間に敵が集まってきてるんだよ!早く逃げなきゃ、こんな袋小路に篭ってたらすぐにやられちゃうんだから!」
「わかった。すまない」
まだ少し混乱している部分を意識的に切り離して行動に集中する。
とにかく急いでここを出ること。
敵に見つからないように逃げること。
次のターゲットに向かって移動すること。
優先順位を整理して出口から廊下を覗く。幸いこの階の廊下には敵の姿は見えない。が、廊下の奥のドームのあるホールからは人の気配が聞こえる。
「とにかく一か八かで逃げるしかない。ホールに飛び降りて地下鉄丸の内線方面に走るぞ」
「わかったわ」
「三、二、一、Go!」
身体強化を最大にして二人でいっしょに駆け出す。
「む?誰かいるぞ、追えっ!」
「お宝を持っているかもしれない。逃がすな!」
すぐ隣の部屋まで徒党を組んだレイダースが迫っていたようだ。俺たちは廊下を一気に駆け抜け、そのままの勢いでドームのホールに向けて開いた開口部から飛び降りた。運がいいことに敵チームはちょうど全員がステーションギャラリーに入ったところだった。丸の内線方面の通路を走りながら、背後に向けて腕を振り空気の壁を形成する。
「うわっ、なんだこれは?」
「見えない壁?」
「くそ、飛び道具が使えりゃあ逃がさねぇのにぃ!」
「そこの改札を通って中から中央改札に回り込め」
だが、敵チームが中央改札口に回り込むころには身体強化で加速した二人はすでに別のエリアへと移動していた。
貴重な十三分間を身動きできずに失った英太と桔花は、肉薄するライバルレイダーたちを振り切って次の目的地へと向かった――




