第10章:閉ざされた瞳
ぐっすり眠っていた。 ずっと欲しかったまともな人生を夢見ていたのに、軽いけどイラつく音でこのクソみたいな現実に引き戻された。夢の中でも安らぎなんてないなんて、ありえない。
片目開けて、文句の一つでも言ってやろうと思ったら、薫様がいた。しゃがんで何かをいじっている。三流の錬金術師みたいに見えたけど、その集中ぶりは尋常じゃなかった。
こちらを向いて、古びたカップを差し出してきた。中身は薬草……いや、ゴミか? 見た目からして怪しいし、それに臭い。
「これを飲め」
「何これ? あたし、お茶とか苦手なんだけど。特にこんな、全然信用できないやつ」
「これは茶じゃない。俺たちの脱出の始まりだ……それとも、もう諦めるのか?」
考える間もなく、カップを掴んで一気に飲み干した。ここから出られるなら、こんなもんでも飲んでやる。
味は最悪だった。
瞬間、吐き気が込み上げてきた。本当に気持ち悪い。
薫様は無表情であたしを見つめ、言った。
「それは猛毒だ。衛兵に飲ませるつもりだったんだがな」
「はあっ!?」
パニックになった。すぐに喉に手を突っ込んで吐こうとした。薫様は口元をニヤリとさせた。
薫様が笑うの、初めて見た。あれが最初だった。
「死ぬじゃん! このクソ野郎! 笑ってないで、早く吐くの手伝えよ!」 必死で叫んだ。
「嘘だ。毒など入っていない……だが、いつか気をつけないと、その衝動性が命取りになるぞ。常に疑え」
その瞬間、あたしは固まった。
絶望は消え、代わりに怒りが込み上げてきた。
「あんたのこと、たまにマジで嫌いになるんだけど。知ってた?」
「たまに、俺も自分が嫌になるよ」
「で、そのふざけた茶番が脱走とどう関係あるわけ?」あたしは腕を組み、焦りを隠そうとした。
「お前は明日戦う。チャンピオン、つまり重要な駒だ。もしお前が病気になったら、エルフどもが面倒を見る価値がある唯一の存在ってことだ……もしかしたら、試合自体が中止になる可能性だってある」
「賭けのせい?」
「その通り。大勢がお前に賭けてる。お前は奴らに金をもたらす。奴らは、お前が万全の状態で戦えることを求めてる」
「じゃあ、あんたの計画って病気のフリをするってこと? マジで奴らが気にすると思ってんの?」
「奴らの懐に響くからな。それに、エルフどもは仲間内じゃ言葉を重んじる。両方の対戦相手が100%の力で戦うのを好むんだ。それ以下はイカサマ扱いだ。お前が病気だと気づけば、医務室に連れてくだろう。警備は手薄だ」
「で、あたし、そこで何すんのよ?」
「医務室には行ったことがない。あとはお前次第だ。なんとかしろ」
「マジでクソな計画じゃん……全部失敗するに決まってんじゃん」
「そうだな。だから奇跡を起こせ」
薫はため息をついた。
「俺たちはこの独房から出たことがない。アリーナとここを行き来するだけだ。お前の怪我だって、いつもここで手当てされてきた。この場所を探ったことなんて一度もない。もっとマシな案を出すのは難しい。だが、お前がチャンピオンだから、奴らも特別な注意を払うだろう。もしお前が逃げられたら、俺はそれで満足だ」
「はあ? あたしがあんたを見捨てるって思ってんの?」
「いや、お前はしないだろう。だが、もし一人で逃げられるなら、俺は構わん……もう年だ、水野。長い未来なんてない。だから、もしチャンスがあるなら……俺のことは気にせず逃げろ。約束してくれるか?」
あたしは床に目を落とした。この約束はしたくなかった。彼だけが、ここで得た唯一の光だったから。
でも、顔を上げた。
「約束する」あたしは強がって答えた。
その直後、めまいがしてきた。視界がぼやける。
薫の声が聞こえた。
「よし……効いてきたな」
彼の声は、まるでトンネルの奥から聞こえてくるようだった。
「しばらく意識を失う。冷や汗をかいて、呼吸も少し荒くなる……医務室で目を覚ますだけだ」
マジかよ……あの人、本当に手加減なしだ。
そして、あたしの意識は途切れた。
顔が床にぶつかるのを感じた。
しばらくして、体中を這うような変な痺れがした。何時間も同じ姿勢でいたみたいだ。 声は聞こえるけど、何を言ってるのかさっぱり分からない。なんかイライラしてるっぽい……。
まだ頭がぼんやりしたまま、ゆっくりと目を開けた。
体を動かそうとした。
動かない。
鉄のベッドに太い縄で縛り付けられてる。手首も足首もガッチリ固定されてる。
やったね、水野。 計画もクソなら結果もクソってやつ?
今度はどうやってここから抜け出すか考えなきゃ。
足音が聞こえてきた。
即座に目を閉じた。 まぁ、あたしのバトルは中止ってことで。これで腹に剣刺されないといいけど。
大げさな痛みを装って叫び始めた。体をのたうち回らせて、まさにエクソシスト状態。もう一声、今度はもっと大きく、もっと必死に叫んだ。
ちらっと見ると、何人かのエルフがビビってる。
マジでオスカーものだわ。
あたしの演技に釣られて、奴らが近づいてきて押さえつけ始めた。息苦しいフリもした。
「座らせろ! 今すぐ腕を解け!」焦った声で一人が叫んだ。
他の奴らが従った。
腕の縄が解かれるのを感じた。
重要なことに気づいた。衛兵はいない。エルフだけだ。たぶん治療師だろう。
完璧だ。
一人があたしを抱き起こして座らせてくれた。まだ頭がぼんやりしてるフリをして、ちょっと震えた。奴ら、弱そうだし……。
これってチャンスかも。
震えるのをやめた。
あたしを支えてたエルフが、まじまじと顔を見た。
気づかれた。
そのエルフの首を掴んで、力いっぱい締め上げた。他の奴らはその場で固まった。目にパニックが浮かんでるのが丸わかり。
これ……最高に気持ちいい。ここ数年で一番の快感かも。
指で「シーッ」と合図した。
「今すぐ足を解け……さもないとこいつ死ぬぞ」低い声で言った。
予想外なことに、奴らは顔を見合わせ……逃げ出した。
ったく。
あたしが走れないから生きてるだけだぜ。
「……マジかよ」まだ掴んでるエルフを見た。「あんた、誰にも好かれてないみたいだな」
全力で締め上げて、そいつが気絶するまで握り続けた。
体を横に放り投げて、ポケットを漁った。銀のメスが出てきた。
小さいけど、使える。
足の縄を切り始めた。衛兵が来るまで時間の問題だ。
これで自由だ。
ベッドから降りた。
メス一本だけだけど……衛兵相手にどうにかするしかない。
でも、何もないよりマシだ。
もっとヤバい状況だって経験してる。
部屋を出て歩き始めた。
よし、ここからが本番だ。
この場所に地獄を見せてやる。




