第16話 【不香の華(ふきょうのはな)】 その13
昔々・・・氷の張る季節、とある国の王子がその従者達と湖のほとりで狩りをしていた。
王子達は湖の狩場に現れた見事な白鹿を森の奥深くまで追い詰め、一人の騎士が放った矢が白鹿の身を貫いた。
森の主と呼ばれていた白鹿の血潮は、周囲に積もっていた雪を赤く染めた。
その時、雪の中に咲いていた一輪の白い花が赤く染まり、その花から赤い髪の小さな妖精が生まれた。
夕日の様に赤い髪、雪の様に白い肌、そして揚羽蝶のような美しい白い羽根を持っていた。
その神秘の姿に王子と従者達は一遍に心を奪われた。
王子達はその妖精と、白鹿を縁起物として城に持ち帰った。
小さな妖精は城で歓迎され、大事にされ、妖精は王子達に珍しい様々な世界の知識を与えた。
だが、季節が冬から春に変わるころ・・・小さな少女の風貌から美しい女性の姿に成長した妖精は、生まれた湖の森に帰る事を切に願った。
風が暖かくなるにつれしきりに妖精は森に帰る事を何度も懇願したが、王子は妖精を城に閉じ込め、森に帰そうとはしなかった。
白鹿に矢を放って殺してしまった騎士はそんな妖精を不憫に思い、ある日、妖精を城から秘密裏に連れ出した。
だが、妖精を連れ出した騎士は怒り狂った王子に殺され、妖精は哀しみのあまり白い雪の塊になり、それはあっという間に解けて大地に吸い込まれてしまった。
やがて王子は国王となり、妖精に与えられた知識により国は繁栄したのだった。
自分の浅はかな行動を悔やみ、国王は森の湖の周辺の狩りを禁止し、妖精が現れた場合は決して捕まえてはならないと決まりを作り、美しいままの湖の風景と森の自然を護り続けた。
書店の貴族専用スペースで二人は本の試し読みをしていた。
少し大きめの本がゆっくりと閉じられた。
湯気の立つ紅茶の向こう側に、考え込む少年の顔が確認できたジャンは、思わず声をかける。
「どうしました? リトラス様?」
「不愉快だ」
「は? え・・・と、ご希望の本ではなかったのですか?」
表紙には“不香の華の妖精”と大きく題名が書いてある。
今流行りの絵師による、挿絵の多い高価な本だ。
「地方の様々な伝承の中で、これだけを脚色を加えて一冊の本にするとは・・・」
「よほど人気の話なのでしょう・・・、あ、流行ついでに御芝居も公演するそうですよ!」
「では、この話をどう捉えた?」
「一言で言えば恋愛モノ・・・ああ、その・・・妖精の取り合い・・・ですかねぇ」
ジャンは気まずそうに、咳払いをした。
「そうだ! この騎士が結局、地位も力もないが故に愛する女性を護れずに死んでしまったという、どうしようもない物語だ! しかも、この馬鹿が国王だと? ありえない!」
リトラスは本を掴み、その手に思わず力を込めてしまっていた。
「いや、あの・・・架空の話ですから・・・」
「・・・・・・あ、そうだな・・・架空の、話のはずだ・・・」
「でも、ある意味読んでそれだけ感情移入できるって事は、物語としては完成度が高いから人気なのでしょう? ほら、この挿絵も分かりやすいし」
「・・・・・・・なるほど、そういう捉え方もあるのか・・・ふ~ん・・・」
ジャンとリトラスの座る席に、店主が手をすり合わせながら声をかけてきた。
「ご自宅に送り届ける注文書を頂きたいのですが、こちらはいかがいたしますか?」
この新品の図書を扱う本屋に初めて入ったばかりの頃は、二人とも平民服のままなので粗雑な対応をされていたが、本が重いので配送を依頼した途端、店主の態度が一変していた。
「では、この本は二冊買う。一冊は直ぐに持ち帰りたいから包んでくれ。会計を頼む」
「かしこまりました」
店主は深々と頭を下げ、テーブルの上にあった本を確認しながら運び始めた。
「さすがと言うか・・・毎回、よく本を買いますねえ」
「自分でもちょっと笑える話なんだが、妖精に興味を抱いてから本を読み漁るようになった。お陰で色々知識を蓄えるようになったので、それなりに視野が広くなった」
なるほど・・・と、ジャンはリトラスの静かで奥深い雰囲気に納得がいった。
――――知識ばかりが暴走するどこかの世話の焼ける子供とは大違いだ・・・いや? ネレは本当に幼かったんだっけ・・・忘れてた・・・詰まる所は九年後はこんな感じに・・・なるわけがないな!
乾いた唇から小刻みに息を吐き、笑い声を押さえていた。
「趣味が高じて身に着いた知識ですか・・・武官ではなく文官コースとかに学問を進める気はないのですか?」
武官である騎士職でなくとも、トレフルの様に文官として功績を積めば貴族としての地位も手に入れる事がリトラスは可能な家柄だった。
「・・・・・・文官コースも悪くないが、今回はやはり武官で・・・」
「今回は?」
その物言いにジャンの瞼が一瞬、違和感に震えた。
「いや、その・・・生存確率の問題で武芸を・・・身に着けたい」
伯爵家の5男では、特に目立つような要素がない彼のはずだが魔力量は歴代の当主を凌ぐと言われ、家門の代表者である名前を継いでいる。
名誉騎士のケイルが所有していた名をわざわざ正式な手続きで継承していたのだ。
それはさすがに騎士職を選ばざるを得ない状況だったに違いない。
“生存確率”にこだわると言うならば・・・彼を亡き者とし、彼から名を奪おうとしている者が一族に存在するという事だ。
武芸を身に着け、生き残るという選択肢でもあった。
「――――と、言うか、今決心した」
「・・・・・・・・・・・・・いま?」
「大人になっても妖精に出会える可能性が高いならば、武官コースの方が地方に行けて便利だし、この物語だと、王子達にまるで力負けしたみたいだからな?」
「え・・・そこですか!?」
――――ああ、やはり十代前半の想像力豊かな思春期を患っているのか?
本屋での支払いと配送の手配を終え、ジャンは馬を繋ぎ場に迎えに行き、リトラスは店の前で街の風景を眺めていた。
「店の中で待っていては?」と、ジャンに提案されたリトラスだが、あえて店の前で待つと申し出た。
秋の長雨が明け、乾いた冷たい風がリトラスの銀髪を揺らした。
ぼんやりと街の風景を眺めていると、赤ら顔の男二人となんとなく視線が合ったが直ぐに逸らした。
酔っ払いであろうと思われるふらついた足取りで、吸い寄せられるように男達はリトラスのそばに近づいてきた。
「よお、美人さん! 一人?」
自分に問われている事は分かっていたが、壁にもたれ掛かったまま黙っていた。
男達は顔を見合わせて、薄笑いを浮かべて更に歩を近づけた。
「君の事だよ、きれいな銀髪だよね?」
「いい店知ってるんだ、これから一緒に飲みにいかない? あ、飯でもおごろうか?」
男たちの酒臭い息に、リトラスは眉をひそめた。
「・・・・・・人を待っている、向こうに行ってくれ」
心なしか低い声に、彼が男だと気が付いた。
「あ~・・・男かよ・・・詐欺だな!」
そう愚痴りながら、男はリトラスの髪に手を伸ばした瞬間、すぱんっ・・・と、何かに男の手ははじかれた。
腕を組んで立っているリトラスが動いた様子はない。
「・・・・・・私に、触るな」
「お・・・おい! おまえ腕!」
相方に声をかけられ、はじかれた手のぬるりとした感触に気が付いた。
男の掌から肘にかけて、一筋の切り傷ができ出血していた。
「なんだコイツ・・・魔法使いか!?」
「向こうに行け! 私に関わるな・・・」
男は、恐れるどころか笑みを浮かべながらナイフを懐から出した。
「せーとーぼーえー? 先に手え出したのはそっちってことでぇ・・・」
男の相方はあっという間にリトラスの細い両腕を片手で後ろに拘束し、もう片方の手でリトラスの口を塞いだ。
「こうげきまほーのぼーえーがく・・・てかぁ?」
「キレーな顔、いじっちゃおうか? それともオジサンたちといいトコ行くか?」
ナイフの刃先が、ゆっくりとリトラスの顔に近づいた。
「あ~、スマンがの・・・」
緊張感のないゆるい声とともに、あっさりとナイフは男から取り上げられ、そのナイフはそのままリトラスを押さえていた男の喉元に突き付けられた。
「今すぐ、その手を放せ・・・お前たちが気軽に触れていい相手じゃないぞ?」
暗い灰色の髪の男が、落ち着いた口調でそう言った。
そこに居た誰もが、その男・・・アベジの存在を認識しておらず、まるで突然その場に現れたようで、唖然としてしていた。
ナイフを奪われた男が、正気に返ったかのようにアベジに腕を伸ばしたが、後ろから現れたもう一人の男が両腕を押さえた。
「アルベルト様・・・“才”の本領発揮ですねぇ」
その誉め言葉らしからぬ台詞にムッとしながら、
「シャドン、その傷・・・焼いて血止めをしてやれ」
アベジは顎で促した。
「そーですね」
シャドンの山吹色の髪がわずかに光を帯び、男の切り傷は煙を出しながら塞がっていった。
「ぎゃああああああっ!!」
傷を負った男は渾身の力でシャドンを押しのけ、走り出した。
その姿を見送った直後に、アベジは青ざめている相方の喉元からナイフを離し、軽く蹴り飛ばし、よろけつつもその相方も逃げて行った男の後を追って行った。
「シャドン、何した?」
「言われた通り焼きましたよ? でも、あれって火傷だから激痛だったんでしょうねぇ」
そう言って、乾いた笑い声を上げてみせた。
「そうか、長引く痛みか一瞬の激痛か・・・どっちもどっちだな」
「いや、一応傷口は塞がりますけど火傷は痛いまま一週間は傷み続けて熱を持ちます」
「・・・・・・・雑菌が傷口から入るよりましだろう」
「それもそうですね~!」
再びシャドンが乾いた笑い声を上げ、その横でアベジが青ざめて口を噤んだ。




