第16話 【不香の華(ふきょうのはな)】 その12
午後三時を迎える前に、白月亭のスープは既に底をついていた。
店長のグエンは頃合いを見計らって表の看板を下げ、客はネレ達を残して居なくなった。
ネレは長椅子でクッションを枕がわりに横になり、小さな寝息を立てている。
「おっちゃん、いつも時間外になってごめんな?」
「気にすんな! 試作品は時間外じゃなけりゃ出せんしな」
グエンは小気味のいい笑顔で白い歯を見せて笑いながら、小さめのグラスと、琥珀色の液体が入った瓶と、炒めたナッツを三人のテーブルに置いた。
「おっちゃん・・・酒じゃねーか・・・まだ明るいだろ」
「ゼッテンさんはいいんだ。だが、おまえは我慢しろ、ネレちゃんをきちんと見送ってから飲みに来いよ」
力のこもらない指先で、酒瓶を差しつつ・・・、ビーヴは眉尻を下げた。
「・・・・・・・・わかった、そうする・・・」
厨房に戻ったグエンは賄いを作り始め、ゼッテンは上機嫌でウイスキーをグラスに注いで口に含んでいた。
「んん~? まあ、ワシは・・・この店の営業活動に少々貢献してるからな・・・かかかかかかっ! ウマ!」
ビーヴは天井に向かって何とも言えない吐息を吐きながら、料理の匂いを吸い込んだ。
「あ、そうだ・・・ゼッテンさん、実はお願いがあるんだ! 俺の話を聞いてくんない?」
「なんじゃ? お前さんも新しい包丁を作りたいんか?」
「いや、ほ・・・包丁じゃなくって新しい剣が欲しくて・・・」
ビーヴは寝息を立てているネレの様子を確かめながら、声をひそめた。
「普通の剣ではダメという事か?」
「あ~その・・・うん、俺、剣の使い方が荒いらしくて、直ぐにダメにしちゃうんだよ・・・」
ゼッテンのこめかみがヒクりと反応した。
「刃先の消耗が激しいのだな・・・切っては捨て切っては捨て・・・戦闘を任された時は先陣役か・・・ひと勝負で何体切るのだ?」
「小っちゃいヤツだと十体以上、魔獣相手は牙とかぶつかって骨が折れる・・・物理的に」
ビーヴが度々孤児院に顔を出すのは“癒しの才”を持つネレの母親役のプラタに頼る為でもあり、公にされないシスター達と孤児達の能力をジャンとビーヴは細かく理解していた。
無論、シスターソールに色々口止めもされている。
「っふ! 面白いヤツじゃの! さすがはネレ殿の護衛騎士!!」
「え~と・・・できるだけ連続切りに耐えられて、手入れが楽なヤツって手に入らないかなあ?」
静かにゼッテンはウイスキーをひとくちひとくち味わいながら、喉を鳴らし続け・・・ウイスキーの入ったボトルは底から二センチしか残っていなかった。
「おっちゃん! 俺の支払いでボトル追加!!」
少し考え込んでいたゼッテンはハッとして顔を上げ、ビーヴの顔を見た。
「おおっ・・・済まん、別に酒を要求した訳ではなく・・・ありがたく戴くが! 考えておった、お前さんと相性の良さそうな剣を作る事の出来る鍛冶師を・・・」
「え! 本当?」
「いやいやいや・・・まず、愛用の剣は一本か?」
「まあ、遠征仕事の時は使い慣れたヤツと予備一本は必ず持って行くけど」
「そうさの、まずは同じ剣を二本作って交代でメンテナンスするのが一番だの」
「料金二倍じゃん!?」
「お前さんの希望通りだとオーダーメイドになるし、価格帯を守った量産品だと耐久性は絶望的じゃろう」
「・・・・・・・・・・・そうなるかぁあ・・・」
「まあ、そこを何とかしてくれって話だ!」
試作品の第二弾、ちくわぶ・ソーセージ・玉ねぎのケチャップ炒めが登場し、ゴトンと、勢いよく二本目の酒瓶がゼッテンの目の前に置かれた。
「しょうがないのぉ・・・とりあえず、調べておおよその見積りを貰っておくよ、その依頼料としての酒代だのう・・・」
「いい匂い! すげえ美味そうっ!!」
炒めたソーセージの香ばしい匂いに、ネレの鼻はひくひくと反応し、口の端から無意識によだれを数滴垂らしていた。
兵舎の厨房では料理長のモーヴに目をつけられる可能性がある為、ネレは白月亭で料理の知識を交換し、何かと小言が多いトレフルの監視から逃れ、現在は合間を縫って様々なところに出没中である。
ケチャップはどうやら製品化手前でごたごたしてるらしいが、ちゃっかり一足先に白月亭で作っていた。
ちなみにネレの食べたいパスタの麺は原材料の小麦粉探しから、気長に試行錯誤中である。
ついでにセレポレの情報を集めていたが、進展はまったくなかった。
「これもネレかあ・・・」
「大事にしてやれよ、この類の子は短命じゃからな・・・」
「は? 短命? 冗談だろ!? だってマナシって・・・・・・」
ビーヴは後半の声を小さく掠れさせた。
「んん~? 知らんのか? 昔々の民話なんだがのぉ・・・」
「・・・・・・・・酒の入ったおっさんの話は長そうだな・・・食べながら聞くよ! おっちゃん、旨いお茶ちょーだい!!」
二人はちくわぶのケチャップ炒めを素早く互いの皿に移し、ネレの分は少なめに別盛りにしていた。
凍てつく空の下
生まれし不香の華
それは香りなく身を隠し
秘密の蜜を湛える
あるはずのない香りの届く傍に
その華を護る騎士達は存在する
「なんだその・・・呪文みたいなの?」
「“不香の華”ってぇと、あれだな、雪の事か?」
いつの間にか、眠っている赤ん坊を抱えたグエンがビーヴの隣に座っていた。
厨房では、外から帰ってきた息子と、女将が夜の部の仕込みを始めている。
夜の部は料理の仕込みだけを妻に任せ、息子とグエンが切り盛りする予定らしい。
「ワシの故郷の・・・いわゆる雪の妖精の物語があってな。ほれ、雪は溶けるじゃろ?」
「ま、溶けるわな?」
「人に知恵を授ける雪の妖精は短命じゃというおとぎ話じゃ」
「いや、知らんけど?」
「・・・・・・・言の葉を学ぶ心はあるかの?」
「え~と・・・つまり、昔から伝わる伝説的な・・・古文的な・・・ルノンとか、ジャンがちゃんと勉強してるような・・・」
「いや、ルノン? とかいう者はワシは知らんが・・・普通の若人が古臭いジジイの戯言など、好きではないかと思うてな」
ビーヴは料理を頬張りながら、せわしなく顎を動かしていた。
彼は料理を飲み込み、ひと呼吸してから答えた。
「なんだろな、ゼッテンさんの話は面白そうだから聞かせて欲しいな・・・」
「そう言えば、最近その話の本が新しくできた本屋に並んで結構売れとるらしいぞ」
「え? なんの宣伝? ゼッテンさん本屋の回し者?」
「その本・・・こないだアベジさんがうちの娘の土産に持って来てくれたヤツじゃないか? 字が多くて、まだ娘には早すぎるけどなあ・・・ああ、それと渡す書類があったんだ、ちょっと取ってくるわ」
ほい、と、当たり前のように赤ん坊をビーヴに渡し、グエンは店の二階に上がって行った。
「なに? アベジさん・・・貴族のくせにこんな店にしょっちゅう来てんの・・・」
もぞもぞと動き出した赤ん坊の体勢を変え、小さな頭を自分の肩に乗せるようにそっと抱えた。
「ビーヴは子供の面倒見がいいの・・・」
「兄弟が上に2人、下に6人いるからな、慣れだよ慣れ! ねーちゃんは料理担当、にーちゃんは掃除担当、俺は洗濯担当だった」
「ああ、姉君がこの店に嫁に入っていたのだな、兄君はどんな・・・」
「知らね、15の時家出てそれっきりだ・・・住所不定で金だけはたまに送って来るみたいだ」
「ま、色々あるわな・・・お、“不香の華”で思い出したわい! 最近、若いモンの間で同じ名前の変なクスリが流行っとるそうだの?」
「んん? あ、憲兵やってるヤツが・・・媚薬とかホレ薬とか言ってたやつかな? 男にしか効果がないとかなんとか、証拠が残らなくってスゲー厄介だって言ってた」
「悪趣味な名前だの・・・証拠が消えてなくなるから“不香の華”・・・つまり雪のような・・・」
「え・・・雪だから白い粉とか言わないよな?」
「そうさの・・・形状は謎のまま、どんな豪傑にでも効いちまうって話だ、特にお前さんみたいなのは変な女に騙されなきゃいいがの・・・」
「俺? 俺みたいなの騙してどうすんの?」
「・・・・・・どうもせんな! 騙すとしたら、ホレ、さっきの育ちの良さそうな坊ちゃんみたいのだな」
「でも、これと言って事件とか聞いてないけど?」
「きっと訳あって被害は報告できんのだろ・・・男のプライドがな・・・その成分分析が鉱物学者のワシの所まで来たわ・・・悪用すれば、自白剤にも使えるらしいぞ」
「ゼッテンさん・・・今の、怖いから聞かなかった事にしとく!」
ネレは少し寝ぼけた頭のまま、二人の話を途中から聞いていた。
――――男にだけ効果がある媚薬・・・悪用すれば自白剤・・・証拠が残らない・・・
ぱちりと目を見開き、勢いよく上半身を起こした。
「はっ! はわわわわわわっ・・・・ましゃ・・・きゃ・・・」
いきなり起き上がり、舌が思うように回らないネレに、二人は視線を向けた。
「どうしたネレ?」
「い、イヤイヤイヤイヤイヤ・・・・メモ! あのメモどこ行った!? え? 大麻って違法じゃないの!?」
寝起きに息巻くネレを、ゼッテンは目を丸くして見つめる。
「・・・・・・・な、何をいきなり・・・大麻なら、薬剤師が特殊免許を持っていれば加工前、加工後の両方が手に入るぞ? 一般人の取引は違法じゃが・・・ネレ殿は薬草学も勉強してるのかの?」
「白ケシは?」
「それも、薬剤分野の限定の話だが・・・生の白ケシは痛め止めとして使う事もあるぞ」
ネレは無理に身体をねじれた姿勢のまま、テーブルの下にずるりと落ち尻餅を付いた。
「おいっ! ネレ、大丈夫か?」
ビーヴは赤ん坊を抱いたままテーブルの下をそっと覗き込み、芋虫の様に縮みながらブツブツと何かを呟いているネレの姿を確認した。
「・・・う・・・うん、そんな事ある訳ないじゃん・・・こんな偶然ある訳ないじゃん・・・しかし、メモどこ行ったっけなあ・・・」
ネレは薄っすらと思い出す、三つ前の前世の世界はこの世界に酷似していた。
のっそりと何回か上げた短い脚でようやく元の場所に座ったネレは、テーブルを見つめて肩を落とし呆然としていた。
そこへ、二階からゼッテンに渡す書類と本を持ったグエンが降りてきた。
「お~う、ネレちゃん! 起きたか、この本良かったら読んでみるか? こないだアベジさんが土産に持って来てくれたんだけどな・・・字が多くてな・・・済まんが逆に教えてくれるか?」
「本・・・ですか?」




