第16話 【不香の華(ふきょうのはな)】 その4
クロエはその白い包丁を手にし、流しで丁寧に洗い、乾いた布巾で拭った。
「やれやれ・・・どうしたもんかねぇ」
厨房の窓から入る光に包丁の役目を務めている“白雪”をかざした。
太陽の光を浴びて、ぼやけた鈍い光を放つその刃物には鋭い刃が見えない。
厨房ではクロエは独り言ちる。
「あたしじゃ・・・やっぱりダメかい・・・」
道具の声を聞くことができるクロエの能力でも、その白い刃物は頑なに“何もしなかった”。
“刃物”として造られたにも関わらず、手にする者によっては刃が消えてしまうのだ。
まさか、化け物級のこの骨董品が、あんな幼い子供に簡単に従うとは・・・唯々、純粋に驚いたとしか表現できない。
初めてこの小さな包丁を手にした時、それはとても不機嫌で、黒ずんだ銀色をしていた。
どんなに磨いても、くすんだ黒い斑点が増えていくようだったのだが・・・何故かネレが触れる度に、錆びのような斑点は消えていき、白く輝くように変化している。
無論、過去に様々な人間に触れさせ、この刃物の声を聞いたが、一向に“違う”と否定するばかりで訳が分からなかった。
拒絶反応も結構な迷惑な現象だったので、最近では説明も面倒くさくなり、とりあえず消去法で当てはまる類の人間に適当に触れさせてみていたのだ。
男はだめ、剣士もだめ、調理師もだめ、聖職者もだめ・・・。
「条件は穢れなき乙女か? まさかユニコーン由来の品とか言うまいな? はたまた・・・特殊な“才”持ち?」
目の前の無機物は答えない。
どうやらこの作品を作った人間が、随分と偏った“念”を込めてしまったらしい。
いや“呪い”と言った方が近いかもしれない。
「おお、クロエ! 今夜の“遅番”を引き受けてくれたそうだな? 助かるよ」
最近更に増量していそうな身体を揺らしながら、料理長のモーヴは厨房内の狭い通路を横歩きで近づいてきた。
「いえ、あたしができる範囲で仕事をしますので、お気になさらず」
――――やること成すこと、あのポレーンの劣化版のようだな・・・
「おや? 随分立派なナイフじゃないか?」
何の気なしに、モーヴは作業台に置かれた“白雪”に手を伸ばした。
「あっ・・・」
クロエが制止する暇もなく、“白雪”に触れたモーヴの手は一瞬青い光ではじかれた。
当然ながら光が速く、後から痛々しい弾く音が耳に届いた――――。
「うっ!?」
“白雪”の拒絶反応によって弾かれた右手を、モーヴは慌てて左手で庇った。
「なんなんだコレは!?」
「・・・ちょっとした魔道具でして、意思があるんです」
「珍妙な・・・私では扱えないと?」
「ええ、あたしもね・・・何が使える条件なのか分からない代物でして」
「待て・・・ネレが使っていなかったか?」
「そうですね。あたしは手入れをする程度には触れますけど、ネレは実際に扱えますね」
「ふん・・・気に入らんな」
「あ、料理長は子供苦手ですもんね?」
的を得てしまったのか、モーヴはムッとする。
「気に入らんのは・・・その道具だ」
「ああ・・・何故かあたしのところにはワケあり品ばかり集まっちゃうんですよ」
「そうか・・・では、今夜はよろしく頼むよ」
「承知いたしました、料理長殿」
クロエは軽く頭を下げ、モーヴはずりずりと狭い厨房の通路を横向きに更衣室まで進んでいった。
――――みんな普通に歩けるんだけどねぇ・・・
「ただいま! ルノン」
「ネレ・・・事務室に入るのに“ただいま”って、面白いわね?」
そういいながら、オリーブ色の髪をかき上げ窓の外をチラリと確認した。
「きょ・・・今日はまだ陽は沈んでないよ?」
「夕食は?」
「美味しい賄に、デザート付きだよ、ちゃんと食べたよ」
「お風呂は?」
「きょ・・・共同浴場に入らせてもらったよ?」
厳しい目つきのルノンの表情が、ふっと和らいだ。
「なら、いいわ・・・おかえり、ネレ」
「うん! ただいまルノン!」
簡素な事務机の席に座っているルノンは、近づいてきたネレを抱きしめた。
二人の“おかえり”“ただいま”の日課のハグである。
ネレは時たま同時に沢山の人間に用事を頼まれる。
性格上、頼みやすいのだろう。
仕事は丁寧でとても正確だ。
性格も柔和で、その場その場で対応能力もある。
それ故、自分の許容範囲を超えた余りにも多くの頼まれごとをされてしまう。
こんなにも小さい子供に、この世界は容赦がない。
この子供は人を・・・良い意味でも悪い意味でも惹きつけてしまうのだ。
自覚のない小さなネレは・・・幼過ぎて“逃げる”という選択を未だ出来ずにいる。
ルノンは幼い頃の自分にネレを重ねた。
自分もまた・・・優秀な頭脳を持つが故に、一家を支える為に身売りをした境遇であったからだ。
それ故・・・ルノンは壊れた自分を知っている。
ネレを抱きしめた両腕をゆっくりとほどき、葡萄酒色の髪をルノンは撫でた。
「ねえルノン、お願いがあるの?」
上目づかいでネレがおねだりモードになっている。
ルノンはあまり良い予感はしなかったが、何となく鼻血が出る気配がした。
「え?」
「実は・・・ラブレターの返事を・・・教えて欲しいの」
「は!? まだ早いわっっっ!!」
「え? あの、ボクじゃなくって――――」
ネレは事の顛末をルノンに説明した。
「ふんふん・・・急にモテだした、調理師のルイード・・・だっけか? が、恋文を貰って混乱しているので、何とかやんわり返事を書きたい・・・と?」
「うん・・・ボクじゃ全く理解不能な領域なので・・・それと、報酬は業務用サイズの砂糖を一袋なので是非!」
業務用サイズの砂糖は・・・約5キログラムである。
それを聞いたルノンは納得したように深く頷いた。
「うんうん・・・でかしたネレ! こちとら孤児院はウェメレス様の件で少々収入が減っている状況だし、冬に向けて日持ちする食料は必要だものね!」
まじめな話、冬は雪によって道は塞がれ、野菜や肉や調味料が高騰する・・・だが、年末年始にかけて商店は休暇に入る為、厳しいながらも食料を買い溜めしなければならないという厳しい冬の食糧事情が待ち構えている。
孤児達が城内で働いて生活費として賃金の7割が孤児院に納められていても、たかが知れている状況だ。
子供の賃金は大人の5分の1以下なのである。
城内の孤児院だからといって、運営費の全てが税金で賄われている訳ではない。
よって、食費が一番厳しいのだ。
「砂糖はそれなら一冬持ちそうね・・・よし! その依頼任せて!」
「お願いします!!」
ルノンが手早く目の前の書類を木箱にしまい、簡素な事務机のスペースを開けた。
そこにネレが巾着袋に入れていた手紙をざざーっと・・・広げた。
「・・・なんか多くない? 1か月分?」
「え? 確か最新の分しか持ってきてないんで2週間分もないよ?」
「なんかすっごい腹立つんだけど・・・」




