第16話 【不香の華(ふきょうのはな)】 その3
「お~い、ネレ! そろそろ行くぞ」
ジャガイモの皮むきに集中していたネレの頭上から、ニジェルの声が聞こえた。
「は? どこに?」
「会議室への出前だ」
「聞いてませんけど?」
「今初めて言ったからな」
「なんですと!?」
遥か頭上から聞こえたニジェルの声に、ネレは不服気な声を上げた。
「いいから、手を洗ってから制服に着替えてこっち来い!」
隣に居たクロエと目を合わせ、ネレは借りていた包丁をさっと拭った。
「ああ、いいよ、後片付けはやっておくし、“白雪”もちゃんと洗っておくからそこに置いときな」
「はい、高価な・・・いえ、貴重な“白雪”をお貸しいただき有難うございます」
ネレはペコりと頭を下げた。
本当は水洗いをしたいところであったが、ネレの身長では流し台にすぐには届かず、自分の前掛けで拭うのが精一杯であった。
急いで更衣室に移動し、白い調理服に着替えはじめた。
――――セレポレの調理服・・・ボクがこのまま着てていいんだろうか?
普段は白っぽい洋服に、前掛けをして厨房内で働いていた。
だが、きちんとした服装でないと本来は会議室のある建屋には入れない。
トレフルがネレにわざわざ服を与えたのはその為であった。
兵士であるジャンが、たまに服を調達してくるが、ネレにはこの国のファッション基準がまだよくわからない。
古びた継ぎ当てが目立つ服ではまず警備兵に止められる。
貴族も行き交う本館側の廊下は、城内関係者であろうと見るからにみすぼらしい服装では警備兵に止められる・・・つまり、それなりのドレスコードがあるのだ。
城の敷地内では、孤児院は孤立している場所にある。
東側区域と言えどかなり広く、孤児が許可なく一人で出入りできるのは決められた仕事場と採取の森ぐらいまでである。
特にネレのような子供は、定められた制服を着用していなければ、警備の厳しい会議室周辺などでほぼ門前払いとなる。
「どんな時代も・・・やっぱり服装は大事なんだな・・・」
ズボンを履き替えた拍子に、ポケットから今朝書いたメモ紙が落ちたが・・・気が付かずそのまま走り出し、ニジェルの待つ厨房へと駆け出した。
会議室への出前の手伝いをニジェルに頼まれたネレが何を手伝うかというと、ガタガタと揺れるワゴンを廊下で誘導することだ。
行き交う通行人にぶつからないように気を使い、乗っている食品が落ちないように支えたり、落ちそうな場合にニジェルに素早く伝える。
「この廊下が悪い! くそ・・・せっかく台車の次に、このワゴンを改良してもらったのに」
会議室への人数の多い出前では、まとまった料理を会議室の近くに設置されている配膳室に一度持っていき、配膳室にある食器などを使用する。
会議室専用に雇われている給仕達にバトンタッチするのが基本である。
いちいち食堂から食器から何から運んでいては埒が明かないからだ。
食堂の大人数用の出前に使うワゴンは、車輪が重く扱い辛かったので、最近まで埃をかぶっていたのだが、それをネレとカプシーヌが試しに改造してみた。
「物流は大事! 人の流れと物の流れはとっても大事!!」という、ネレの言葉は殆ど周りの大人達にスルーされていたがあまり気にしなかった。
自分はまだまだ幼い子供、周りの大人達はネレの言うことなどいちいち本気にしてはいない事が多い。
そして彼女は、日々反省と学びを繰り返している。
この世界の常識は自分の中では非常識に近いからだ。
余計な真似をして孤児院副院長のソールの逆鱗に触れないように気を付け、また余計な知識をひけらかしてトレフルに説教部屋へと連行されないようにと、平和な日常を送れるように努めている。
「ネレ、この車輪で特許とか取れないのか?」
「意味ないですよ」
「なんで?」
「この車輪をプロの技術者が解体して調べれば、すぐにもっといいヤツができますし、一般的に流通している部品ですぐに応用できちゃいます」
その時、ネレはすっかり大事な事が記憶から抜け落ちていた。
ケイコ時代に培ったベビーカーのべアリングの基礎技術が、レオナル・ド・ダビンチの作った戦争兵器に基づいている事など・・・ネレ自身もこの世界での感覚が幼く、前世もまた平和な時代を過ごしていた為に、全く気が付いていなかったのだ。
「そうか・・・一儲けできそうだったんだがな」
「車輪なだけに、回り始めたら止まらないってヤツですよ」
「・・・うわっ、どっかのオッサンみたいな事言うなよ!」
――――済みません。中身は既に還暦超えてます・・・
出前予定の会議室近くにある配膳室に立ち寄ると、中では数人の給仕達が忙しそうに動いている。
その中の品の良い中年の男にニジェルが声をかけ、足早に男はニジェルに近づき丁寧に挨拶を交わした。
「ニジェルさん、急な注文で無理を言って済みませんでした」
「ああ、別にいいさ・・・ここの配膳室でもちゃんとした厨房があるのに、最近はわざわざ兵舎食堂に食事を依頼するなんて物好きが多いんだな」
「は? ご存じないのですか?」
ニジェルの惚けたような言葉に、給仕係の男はキョトンとする。
「ん? 何が?」
「あの・・・今回の依頼は食品管理局長ギヨム様の参加する小会議ですから・・・モーヴ料理長にはくれぐれも・・・と、お伝えしておいたはずなのですが・・・」
少し困り顔の給仕係の顔と、突然眉間に深い皺を浮かべたニジェルの顔をネレは下から見比べた。
「聞いてない・・・」
小さく舌打ちをしたニジェルの身体から苛立ちの熱気が立ちのぼり、その不穏な空気に、ネレは今日の勤務時間の延長を悟り、目をつぶった。
「ネレ・・・手伝え」
「あ、は~い・・・」
ネレは片目を開いて小さく返事をした。
「済まんがもう一品追加だ、厨房貸してくれ」
「え! 今からですか?」
「ああ、ネレ、デザートにいつものアレ作るぞ!」
「あ~はいはい、じゃあここの設備ですと大きめの耐熱容器でスプーンで分ける形状になりますね・・・中は半熟トロトロバージョンで時間ないんで温かいままで良いですかね? 牛乳と卵と砂糖とバター少々・・・バニラビーンズとかないですよね」
「・・・え? ありますけど?」
「じゃ、特急で作るか、ここは茶菓子製造の必要最低限の材料はあるし」
「作るんですか・・・バケツプリン・・・」
「は? バケツ?」
「いや、ここにあるカトルカールの型を使わせてくれ、な? ネレ、それなら多少形はカッコつくだろう?」
長方形の金属製の型をニジェルは指定した。
「なるほど! さすがはニジェルさん、あの金属型なら作業効率もいいし、熱の伝わり方もいい感じになりますねえ」
――――長方形のカステラみたいなプリンか・・・オシャレだな! っていうか、カトルカールってパウンドケーキの事だよね?
「今からカトルカールを焼くんですか?」
「いいや・・・」
ネレとニジェルは意気揚々と決意を固め、拳を握り、声をそろえる。
『作るのは、兵舎食堂厨房部の定番おやつのプリン!』
材料の計量はネレが確認し、ニジェルは滑らかなプリン液を作るために丁寧に材料を混ぜ、茶こしを使い、卵の不純物を取り除く、空気を抜き、触れる材料のすべての温度を確認し・・・オーブンをできるだけ低温に保ちつつ蒸気を充満させて焼き上げる。
後日、食品管理局以外の会議も東側で頻繁に開かれるようになり、毎回デザートには長方形の四角いプリンの特別指定注文が必ず入った。
余りにも頻繁に注文が入るので、面倒くさくなったニジェルが配膳室の代表にプリンのレシピを無料提供した。
東側の会議室は常に満室状態となったが、会議施設管理者とトレフルにはプリンの存在がまだ知らされておらず、貸会議室のキャンセル待ち状態と、その対応の忙しさに首を捻っていた。
しばらくして、兵舎食堂の厨房にトレフルが直々にニジェルに苦言と、プリンの要求をしに現れたのは言うまでもなく・・・幼い子供が配膳室で立ち回った事が噂になり、やはりネレは説教部屋行きとなった――――。
サブタイトル自身を間違えるという、致命傷のミスを連打しております・・・はあ・・・




