第13話 【肌肉玉雪(きにくぎょくせつ)のような?】 その2
ネレがジャンに「城の図書館にはないような、庶民向けの娯楽本が欲しい」と、希望を伝えたが、彼は少々眉を顰めた。
「それってエロ本?」
と、ビーヴがわかりやすくネレに問うた。
「そっか・・・そう考えるのが一般的かあ・・・」
「う~ん? 子供用の本は貴族向けで売ってるけど、ネレが欲しいのはそういうのじゃないよね・・・」
城下街の本屋街に辿り着き、三人はふらふらしていた。
ひとつひとつの店は小さいが、どうやら店ごとにジャンル分けされているようだ。
貴族の居住区も近くにある事もあり、それなりに本の種類は充実している。
「とりあえず婦人向けが見たいのと、今流行ってる物語とか、実際に平民が書いている書物とかはないんですか?」
「そうだな・・・平民と言っても、まともに文字が読み書きできるのは商売人とかだから、一冊大銅貨30枚ぐらいはするよ?」
日本円で約3,000円、ジャガイモが5個で大銅貨一枚の物価基準である。
「た・・・か~いっ!」
「俺はエロ本で覚えたクチだ!」
何故かビーヴが自慢気に胸を張った。
「うん・・・確かにそれもアリですね・・・」
「貸本屋で探す? それなら価格の十分の一以下だよ?」
「お・・・お願いします・・・まずは街の物価を教えて下さ~い」
こっちの書店をフラフラ、あっちの書店をフラフラ、ネレは様々な書店を吟味していた。
ビーヴが少し飽き始め、あくびをした。
「なあ、ネレ、本読むって大変じゃん? なんでそんなに本が好きなんだ?」
古びた書店の本棚の上部を確認する為に、木の梯子の上で、ネレは本を手に取りながら眺めていた。
「ん~と・・・、本の中にはボクの経験し得ない人生があります」
「は? 人生?」
ビーヴは任務とばかり、必死でその梯子を先ほどから支えていた。
「そーですねえ、兵士であるビーヴさんが詩人の人生を経験するようなものです」
「どうやって!?」
「だから本を読むんですよ、別の人の人生を、教えてもらい、ドキドキわくわく・・・悲しみと葛藤を経験できるんです」
「ほお?」
「そして、他人の得た知識を分けて貰うこともできます」
「おおおっ! なるほど・・・?」
ビーヴがわかったフリをしている事など・・・ネレには疾うに分かっていた。
「知識は、ボクにとって重くならない鎧です」
「よ・・・鎧に?」
「そして・・・文字を書く事は・・・剣を持つ事に匹敵します・・・」
「おっ!“ペンは剣よりも強し”か!」
「この国で、その言葉はどのような解釈ですか?」
「・・・ジャン! 助けて、ネレがなんか難しい事言ってる!」
少し離れた本棚で、自分用に本を探していたジャンにビーヴは助けを求めた。
本の立ち読みをしている春緑色の頭を上げた。
「この国では‟文才と文章は人を救う”という解釈だ」
「‟神の言葉は両刃の剣よりも鋭い”・・・とか?」
梯子の上にいるネレの表情は二人には見えなかったが、到底、五歳児が使うような言葉ではなかった。
「この国では神の言葉は“才”であると言う解釈が近年されているが・・・そこまでネレの勉強が進んでいるとは、想定外だったなぁ・・・」
「じゃあ、残念ながら‟マナシ”のボクには関係のない言葉かなあ?」
ぴくり、と、ネレは店内の少し離れた場所を見回した。
「ん? どうした?」
貸本屋の入り口近くで、灰色の髪のひょろりとした男が、先ほどから店内をじっと伺っていた。
梯子の上からその男の姿を改めて見ると、ネレは妙な感じがしてたまらなかった。
――――さっきまで全く気にならなかったのに・・・なんでだろう?
プロの兵士が何もアクションをしないという事は、大した事ではないのだろうと、ネレは気を取り直した。
「本、決まりましたよ。次はルノンに頼まれたショーユを買いに行きましょ!」
手に薄い三冊の本を抱え、幼い笑顔で梯子を降ってきた。
貸本屋で会計を済ませ、三人は食品が多く販売している商店街へと足を進めた。
ジャンが借りた本は三冊、ネレが借りた本は五冊・・・その五冊はビーヴが抱えている。
一方、ネレの荷物は肩から下げている布袋だけだが・・・どうも後ろが気になって仕方がない。
落ち着かないネレの様子に気が付いたジャンが、こう言った。
「ネレ、疲れたなら、抱っこしようか?」
「うん! お願い!」
ネレはその申し出に即答した。
したがって・・・ビーヴが全ての荷物を受け持つ事となった。
ジャンはしっかりとネレを後ろ向きにして抱きかかえているので、ネレは気兼ねなく後方を眺める事ができた。
どうやら貸本屋から、ひょろりとした男が自分達をつけているようだ。
何故か兵士の二人がまったく気が付いていない様子で、ネレはそれが不思議で仕方がなかった。
あんなにも自分達をじっとりと見つめ、後をつけて来ている男に、二人が注意を促さないのかと、首を傾げるばかりだった。
「ネレ・・・これはさすがに重い!」
ビーヴは、一升瓶サイズの瓶と500㎖程の醤油瓶、本8冊を抱えていた。
「ビーヴ、才を使えよ」
ネレを抱えたジャンが呆れたように言った。
「あ、そうだった! 戦闘や遠征の長距離移動以外で“才”とかあんまり使ったことないから気が付かなかった・・・」
「おまえは体力や筋力系の才に恵まれているのに・・・脳みそには何か足りないみたいだな?」
「ネレ、ジャンが俺をいじめる!」
「うん、言い方にエッジが利いてるよね」
「だろう? コイツいつもこうなんだよ! 体力ないくせに」
いいコンビだな、と思いつつ、先ほどから後をつけて来ている男に“必殺、幼児のガン見”を実行してみた。
自分は何の心当たりも無いのに、小さな子供が何故かじっと見つめてくるという、居心地の悪いアレである。
灰色の髪の男は、ネレの視線に気が付き、周りをキョロキョロ見回している。
――――オマエだよ!
とうとう自分の後ろさえ気になりだし、後ろ向きに歩いたりしていた。
――――ボクが見ているのはオマエだよ! あやしすぎるよ!
けれど行きかう人々は、その男の奇怪な行動など気づきもしない。
「ネレ? どうした?」
静かにしているネレに、ジャンが声をかけた。
ぐう~ぅ、と、ネレの腹の音が先に返事をする。
「おやつの時間です・・・と、ボクのおなかが申しております・・・」
「おっ! それなら、この近くでいい店知ってるぜ」
「この近くって・・・ネレをあそこに連れて行くつもりか?」
「うん、ネレだからだよ!」
ビーヴが笑顔で答えた。
「おまえ・・・の、奢りだよな?」
「トレフル様のはからいで、経費で申請できるから」
「どうしてそこは頭が働くんだよ?」
どうやら、今回の外出には明確な任務があったらしい。
「え・・・と、もしかして?」
「ネレ、しぃ~っ、なっ?」
ビーヴが片目をつぶり、唇に人差し指を立てて見せた。
――――今日の外出には、わざわざトレフル様がボクに兵士の護衛を付けたと?
意味がよく分からないまま、ネレはビーヴが案内する中、静かにジャンに運ばれて行った。
ネレには何もかもが新鮮で、街の買い物はとても刺激的であった。
香辛料の香りで包まれた通りは、服装や肌の色も様々な人々が騒いで活気づいている。
だが、先ほどから後をついてくる男は、どうも城内寄りの小綺麗な服装をしていた。
三人は食料品店が集まる商店街の外れの、さびれた小さなスープパスタの店に入った。
小さな休憩として入ったその店には、客が一人も入っておらず、休み時間かと思われた。
「おっちゃ~ん! お子様一人と、大人二人ねっ」
「おう、なんだビーヴか」
体格の良い初老の男性が、奥の厨房から顔を出した。
「小どんぶりと、普通サイズでいいよな?」
「おう、よろしく」
ビーヴはジャンとネレを先に席に座らせ、腰のポケットから小銭を出し、テーブルに置くと、セルフサービスの水を三つ運んで来てから、席に着いた。
「おやつって、スープパスタ?」
ネレの顔がようやく見えるぐらいの高さのテーブルに、あごを乗せながら首を傾げた。
「おう、不味いから覚悟しろよ!」
――――え? 今、なんつった?




