第12話 【氷雪に綴る王への手紙】 その9
「ネレちゃ~ん、今夜はもう遅いから仮眠室整えといたよ」
トレフルの個人執務室に入ってきたシャドンにそう言われ、ネレは苦笑いをしながら首を傾げた。
「今日はお泊り決定しちゃいましたか」
「この状況だからね、孤児院もバタバタだろうし、ソール様も今夜は泊まった方が良いって珍しく勧めてくれたよ?」
「そうですか・・・」
「・・・というワケで、はい!」
シャドンがにこやかに両手を広げて、ネレの前で少し屈んで見せた。
「・・・・・・・・・」
ネレは黙って、トテトテと彼に近づき、両手を上げてその肩に手を伸ばした。
当然のようにネレを抱き上げて、シャドンは背筋を伸ばす。
「よく・・・調教されているようで・・・」
呆れたような表情をするロティスに、抱っこしたネレと一緒にシャドンは丁寧に頭を下げた。
「それでは失礼いたします」
「ああ、ちなみに明日の昼食と夕食の件なんだけど・・・」
思わずシャドンとネレが顔を見合わせた。
「ボクは本屋に行く予定なのでお休みです・・・」
「ロティス様、明日はニジェル副長が非番の日です」
「と、ゆーことは?」
「察して下さ~い・・・」
「じゃ、明日はトレフル様を貴族寮の食堂に連れ出そうっと」
「すみません。急なお申し出だったので、スケジュールの調整ができませんでした」
シャドンは再び丁寧に頭を下げた。
「いいって! ニジェルさんとモーヴさんの対応の差も観察したかったけど、アイツの料理は食べたくないからねぇ」
意地悪気な顔をした後に、ロティスは軽くウィンクして見せた。
「おやすみなさい。ロティス様」
ネレは眠たそうな眼をして小さな手を振ったので、思わずロティスは手を振り返した。
静かに扉が閉まり、ロティスは執務室にひとりきりになった。
「相変わらず、扉を開ける為に簡単に“才”を使うよねぇ・・・」
天井に向かって両腕を伸ばしてから、がくりと脱力して、腕を下げた。
「あ~・・・さて、バカ王子に手紙でも書いとくか」
ひたりひたりと、人気のなくなった城内の薄暗く広い廊下にシャドンの足音が静かに響いていた。
「ネレちゃん、明日は本屋に行くって?」
「うん、ルノンと前から約束してたんだけど・・・この騒ぎだから行けるかどうかわからないけどね」
ネレの顔に“非常に残念”と、まるで書いてあるようだった。
「ふ~ん・・・そうだねぇ、ちょっとルノンさんじゃ頼りないかな」
「頼りない・・・?」
「もう、ネレちゃんは自分の事となると鈍感・・・」
コテン、と、ネレは脱力しシャドンの肩に頭を預けた。
ネレの寝息を耳元で聞きながら、ため息をひとつついた。
「仕方がない、ジェラニオ様とその上にも報告がてら手紙を書いておくか・・・トレフル様との取引があるから、君の事は報告しないであげる」
トレフルは無心がごとく書類に目を通しては、紙にペンを走らせる事を繰り返していた。
眼の下にはクマができ、右手は微かに震えている。
そんな上司を悲しげに見つめながら、ロティスは声をかけるのを躊躇っていた。
「帰っていいぞ、ロティス」
無表情を決め込んでいたが、憔悴しきった声は誤魔化せない。
ロティスは瞳に力を込めて声を出した。
「その言葉、そのままお返しします!」
「なに?」
「もう・・・急ぎの仕事はないはずです」
「・・・・・・・・・」
「だってそうでしょう? この件に関しては、僕達は一切関与してはいけないし、捜査や取り調べを受けるだけです!」
「だが、できることはしたい」
「嘆願書でも集めるおつもりですか? それとも知り合いの貴族達に手紙を大量に書くつもりですか!」
「そうだと言ったら?」
「止めて下さい! 後ろ盾の強い貴族を敵に回すだけです!」
「そうだな」
弱気な表情を浮かべるトレフルを、ロティスはつい、責めてしまいたくなっていた。
「立場の弱い者達を庇えば、庇うほど・・・高貴な貴族には嫌われます・・・。彼らはプライドを金で買う人間がほとんどですから、‟正義の言葉“は通じません」
「知っている」
唇を噛み締め、強く眼を瞑り、ロティスはやっとの事、腹の奥から次の言葉を紡いだ。
「トレフル様・・・逆に考えて下さい」
「逆?」
「金とは違うもので買えるんですよ」
「買う?」
「奴らのプライドを」
「そんなものなどあるのか?」
ふっ・・・と、ロティスは小ばかにしたように鼻から息を出した。
さっさと自分の帰り支度を整え、ロティスは扉に向かった。
「“喜び”と“若さ”と“美しさ”ですよ・・・失礼します」
パタン、と、ロティスは静かに背中で扉を閉めた。
執務室の扉の前から歩き出した彼の後ろに、いつの間にかマテオが立っていた。
「ロティス」
長く白い眉毛で目を覆っているが、鋭い眼光はロティスの背中を見つめていた。
「なんだよ、ジイやん」
「もう、やめるんじゃ・・・」
「何のこと?」
「トレフルの傍にいるのはもうやめて・・・静かに地方公務員でも・・・」
「ジイやん? なに言ってんの? 僕を地方に飛ばそうとしても無駄だよ?」
「今回ばかりは小細工は無理じゃて」
「じゃあ、“命”を使う! 僕の“才”も全部搾りだす!」
「だから無理じゃと言っておろうが!!」
扉の向こう側から、誰かが立ち上がる音と、扉に近づく足音が聞こえた。
何事か? と、トレフルは執務室の扉を開いたが、廊下には誰も居ない。
同時に開いた隣の会議室から顔を出した水色の髪のセリアと目が合い、お互いに会釈をして、苦笑いを浮かべて扉を閉めた・・・。
廊下の薄暗い角で、小柄な白髪の老人と、金髪の美青年は並んでで蹲っていた。
「ジイやん、声が大きいよ・・・」
「お前が要らん事しようとするからじゃろう?」
「このゲームに勝つ為なら使える手は尽くしたいんだよ」
「勝負にもなっとらんわ」
「そうかなぁ・・・」
「もっと頭を使え、たった一人で政治と宗教に並ぶ第三の派閥に敵うわけがなかろう」
「え? 僕らの敵ってそんななの?」
「知らんかったのか?」
「トレフル様を敵視している西側のジジイの誰かかと・・・」
「まったく視野の狭い孫じゃ・・・だから、ちょっと外の世界を見て来なさい」
「・・・・・・・・・」
「条件を飲めば手を貸してやらん事もない」
「条件って・・・」
「地方公務員! 修行し直して来い!」
「やっぱりか・・・」
よろよろと、壁に手をつきながら、ロティスに支えられ、マテオは立ち上がった。
両肩を上下させながら、大きなため息を吐いた。
「仕方がない、可愛い孫の為じゃ、ワシの最強の手札を貸してやろう」
「手札?」
「ワシはそれなりに権力者に顔は広い」
「そ・・・それって・・・」
「陛下に友としての“わがままなお願い”の手紙を書くとするかの」
やれやれ、と、腰をさすりながらマテオは仕事場である会議室へと戻って行った。




