祭りの夜
門を警備しているメイドさんから、エクレアが到着したという連絡が入ったので出迎えに屋敷の玄関まで行く。
門から屋敷まで、庭園を抜けて来るまでに少し時間がかかる。
我が家の玄関は2階まで吹き抜けになっている広々としたホール。
そこには紅葉のように目を楽しませてくれる絨毯が敷かれている。
しかもこの絨毯、腰がある上に柔らかい。
この屋敷自体が高いのは間違いないが、備品も高そうなんだよな……
お客様をお迎えする前に、屋敷にも日ごろの感謝を込めて掃除してあげた方が良いよね?
コロコロでもあれば、今の待ち時間の間にコロコロ~って走るのに!
詮無い事で唸っている間に、待ち人きたる。
呼び鈴が鳴ったので、ドアを開けて真紅の少女を出迎えた。
「エクレア! いらっしゃい」
「ふん、呼ばれたんだから来るわよ」
なんてツンと顔を背けるエクレアは、いつも通りのエクレアだ。
ただ今日はその顔に疲れが見える。
「はぁ~~、つっかれた。今日は忙し過ぎよ……」
「わわっ」
ため息を吐いたかと思うと、唐突にエクレアがその場で前のめりに倒れかかってくる。
咄嗟にほっそりとした腰に手を回して正面から抱き留めると、エクレアはそのまま力を抜いて俺に身体を預けてきた。
な、何かエクレアに甘えられてる感じがして、凄く……嬉しい。
「……お疲れ様、エクレア。ゆっくりして行って下さいね」
「言われるまでもないんだから」
なんておどけて見せるエクレア。
嬉しくなって、ぎゅっと抱きしめる腕に力を込める。
「ふふ、なに? アリス」
「ぎゅって……したかっただけです」
「そ、特別に許してあげるわ」
耳朶を擽るエクレアの鼻にかかった甘い声。
それが思考を溶かしてくる。
ダメだ、このままでは俺の理性的なものが!
エクレアを抱きしめていると色々危ない……
……まぁ、クランに抱きしめられると、また違う感じにドキッとするが。
でも今日は本当にお疲れみたいだな。
ぐったりと身体を弛緩させている。
「大丈夫、エクレア?」
「すぐに元気になるから、もうちょっと待ちなさいよ」
そう言うと、エクレアの方からも背中に腕を回してきて、抱きすくめられる。
し、しかしこれでは蛇の生殺し……
なんて悶々としていると、首筋に痛みが走った。
「あいたっ! 噛んだ!! なんで意地悪するんですか!?」
何とエクレアは俺の首に顔を埋めたかと思うと、チャームポイントの牙で噛んできた。
「大袈裟ね、甘く噛んだだけじゃない」
「ちくちくします……」
吸血鬼に転職でもする気か……
「……あの女は来るの?」
あの女?
「エクレアは無駄に敵を増やしてるんで、誰の事やら――ひっ!?」
俺の首筋に、さっきの甘噛みとは訳が違う強さで牙が立った。
「ぶっすり行く?」
「え、遠慮します……」
血は見たくないんだ、血は……
それでなくても定期的に見るのに……
それにしてもエクレアと引っ付いていると、凄く気分が高揚する……
エクレアは身長こそ今の俺より低いが、スタイルはバランスの取れた魅力的なものだ。
お胸も大き過ぎず、小さ過ぎず。
む~ん……
魂を揺さぶられた俺は、思わず同じようにエクレアの首筋に鼻を埋める。
それに慌てたのはエクレアだった。
「ちょっ!? やめなさいよ! きょ、今日は忙しかったんだからっ!」
途端に俺から離れて、自分を庇うように腕で身体を隠す。
な、何故だ?
俺から身の危険を感じたとでも?
……間違ってないが。
「そ、そんな物欲しそうな目でエクレアのことを見ないでよ……」
「あ、いえ……」
……悪かった。
でもね?
そっちが火をつけたんだよ?
それに、困ったような怒り顔で頬を染めるエクレアは反則だと思うの。
「お風呂、入った後なら……今、汗かいてるし」
汗?
「私全然気にしませんよ?」
それに抱き着いても何も気にならなかったよ?
「こっちが気にするの! 馬鹿!」
女の子は繊細だなぁ。
エクレアは気にし過ぎだよ。
むしろ頭を蕩かすいい匂いがしてたけどねぇ。
柑橘系かな?
フレッシュですっきりした感じがエクレアに似合う。
「あんたは良いわよ、ほんと、妖精みたいなんだから……」
「う~ん」
そういえば俺は汗とかあまりかかないな。
逆に新陳代謝がどうなっているのかと心配になるが。
「アリスはあれね、フローラルな感じ」
思わず自分の腕に鼻をくっつけてみる。
それを見たエクレアが噴き出した。
「やめてよアリス、犬ちゃんみたいだわ」
「わんこは嫌いじゃないですし」
今度こそ、奴を仲間にしに行くべきか?
しかしどこまで行っても俺の防御力に変わりは無いからな。
奴の噛みつきに恐怖を覚えるのは仕方ない。
その恐怖を克服できた時……俺は、分かり合える気がするんだ。
「何を遠い目をしてるのよ?」
「ちょっと、強敵について考えてました」
「? まぁいいけど」
ちょうど区切りがついたので、エクレアを案内しようとしたその時――
「――お嬢様!! 大変です、お師様が!!」
2階廊下の手すりに手をかけて、吹き抜けのホールを見下ろすイリアは血相を変えていた。
「ど、どうしたんですか、イリア!? ティル?」
ティルの部屋に寄っていたのか、もどかしいとばかりに2階からイリアが慌てて降りてくる。
そして、衝撃の事実を伝えてきた。
「――お師様が…………お亡くなりに、なられました!」
「――――は?」
ティルが……何だって?
「――という設定だから、今すぐ部屋に来いと仰っていました」
「………………」
しれっとした顔と冷静な佇まいで、イリアは俺の前で礼をした。
今までの慌て様は何だったのかと思う程に。
エクレアまで呆気に取られて動けない。
俺はご主人様として気を取り直した。
「……イリア」
「はい、お嬢様」
「さっきの勿体ぶった前振り、必要?」
「いえ、特には」
「……」
お茶目過ぎでしょう、イリア……
「いらっしゃいませ、エクレア様」
「え、ええ」
そしてイリアは何事も無かったかのようにエクレアに挨拶を済ませると、さっそく奥に案内して行った。
方向から、多分お風呂だろう。
「……また後でね、アリス」
「はい、ゆっくり身体を温めて下さいね」
「そうさせてもらうわ」
何なんだろうね、ほんと……
ティルの部屋の前に到着した俺は、メイドさんが扉の前で困り果てているのを発見した。
どうしたのかと問うと、扉の張り紙を示される。
――入るな、危険。
「猛獣か……」
そりゃ、メイドさんからしたら困るよね。
この屋敷の2階に住むのは俺とティルだけ。
メイドさんも、もちろんティルの正体は知っている。
畏怖と敬意をもって接している彼女たちが、(恐らく)ティルが自筆で書いたであろう張り紙を無視する訳にはいかないのだ。
例え部屋の掃除や、食事の連絡であっても。
メイドさんを労って戻る様に伝えると、俺は躊躇なく扉を開け放った。
「ティル! 何を馬鹿な事をしてるんですか!」
室内はカーテンが閉め切られており、月明かりも入らない暗黒に支配されていた。
ドアを開いた分、廊下の魔鉱石の灯りが異空間のような部屋の中をぼんやり照らす。
別に明かりがなくとも見えるので、俺はドアを閉めて中に入った。
「くぅ、すぅ」
「寝てるだけですし……」
ベッドの上で確認した師の姿は、絶賛睡眠中のだらしないものだ。
そんな事だろうとは思ったが。
相変わらず散らかした部屋の、そのしわくちゃのベッドでティルは気持ちよさそうに寝入っていた。
……この人俺が入って来ても眠ったままだけど、寝首をかかれるとか思わないのかな?
とりあえずティルの頭のすぐ側のベッドに腰掛けて、そのさらさらの髪を撫でてみる。
「む……ぅ」
可愛らしい。
リンちゃんみたいだな。
「ティル、ティル! 呼んだんじゃないんですか?」
でもとりあえず、心を鬼にして声をあげた。
幼子を叩き起こすようで忍びないが、実態はまるで違うからな。
「むぅ……煩いやつよのう、くあ」
「突然寝ないで下さいよ」
イリアに伝言を頼んでから、ここに俺が来るまでの僅かな時間で眠ったのか?
ティルは億劫だとばかりに緩慢な動作で起き上がり、ぺたんと可愛らしい女の子座りでシーツの上に居直った。
――なお、裸である。
冒し難い神聖な魅力が、そこにはあった。
未熟な身体に老獪な精神。
そのアンバランスさが絶妙に宿ったティルは、幼子では有り得ない妖艶さを纏っている。
「私がロリコンだって言いたいんですか!!」
「喧しいわ! 急に喚くな!」
「あいたっ」
軽いチョップを頭に受けた。
「……もう、何なんですか?」
自分の頭をさすりながら、恨みがましい視線を向ける。
「アリスよ」
「なんです?」
「妾は部屋から出とうない」
「はぁ、別に良いんじゃないですか?」
この人、出かけるときはふらっと消えちゃうんだけど、出かけない時は本当に引きこもるからな。
今はその引きこもりの周期だったか……
「だが腹は減る」
「……」
この流れ、元世界の手強い引きこもりに似てないか?
部屋までご飯を持って来いと?
「つまり食事を私が用意すれば良いんですか?」
メイドさんじゃ嫌なのか?
別に俺は良いけどね。
「違う」
え?
違うの?
俺が分からん、という顔をしていると、お師匠様は邪悪に微笑んだ。
「お主はエルフをまるで分かっておらん。であるから、妾が特別にエルフの生態を教授してやろうと思うてな」
……何だろう、悪い予感しかしない。
「ひっ!?」
ティルが俺の手をがっしり掴んだ。
もうここからでは魔法を使っても単純な力でも逃げる事は不可能だろう。
相手が相手である。
「さあ力を抜け、エルフの食事というものを、見せてやろう――」
早口でティルが何かを口ずさむと同時に、身体から力が抜けていく。
「な――な、に……?」
見ると、俺の銀色の魔力が掴まれた手を通して、ティルに流れ込んでいる。
「ま、まさか……」
「くふ、そうよ。魔力を――喰ろうておるのよ」
大事件だろおおおおお!!
「な、何考えてるんですか!!」
自分の魔力を食べなさいよ!!
今更暴れるが、後の祭り過ぎた。
邪悪な師匠の拘束を振りほどけない。
「自分の魔力など食っても、空腹は満たされんぞ? ……ふむ? なかなか……大したモノではないか、アリスよ」
「あ、ぁぁあ――!!」
この魔力を吸い取られる感覚……っ!
「いやな、時々通常の食事を摂るのも面倒になってのう」
だから死にそうだから、今すぐ魔力を提供しに来いと!?
この呼び出しはそういうことですか!?
「ティルの鬼! 人でなし!!」
「くふ、これも修行の一環じゃ。お主、最近鍛錬を怠っておるであろう? 魔力も循環してやれば、強くなるもの。これは怠慢のバツじゃよ、アリス」
「絶対うそだああああ!!」
理由のこじつけだ!!
この人お腹空いたから、俺の魔力ぺろりしたいだけだ!!
怠慢の塊みたいな人に、最近の息抜きを揶揄されたくないぞ!
「くふ、このように我らエルフは食物を摂らずとも生きて行ける種族なのじゃ。覚えておくと、冒険中いざという時に役に立つぞ?」
「う、うぅ……それ、は」
そうかもしれない……
食料が尽きる冒険――なんてゴメンだけど、可能性と対処方法の話だからな。
例えば食料を節約して、俺は食べずにエクレアから魔力を貰う、とか……?
……知っておいて損という事はないだろう。
「もっとも、魔力だけで生きて行くのは面白みが無いがな……それにしても、お主の魔力は……」
ティルが妖艶な笑みを浮かべて、頬を染めた。
「――美味であった。苦しゅうないぞ、アリスよ」
「はぁ、ぁっ!!」
満足したらしいティルから解放されて、ベッドに倒れ込む。
「今のお主がヒールをかなり使い込んだ程度、という匙加減かの」
……確かに、限界までヒールを使ったという程ではない。
それをすると意識を失うからな。
「魔力を使い切っては倒れる。その繰り返しでは、本当の強敵とはやり合えんぞ?」
「……ティル?」
どこかその深海の瞳に、深い後悔を浮かべてティルが零す。
「早う強くなれ、アリスよ」
今度はティルに頭を撫でられる。
その優しさが誰よりも深くて、懐かしい世界の揺り籠の中に戻ったみたいに心が締め付けられた。
「そ、そんなに急かさないで下さい……」
まだまだもっと、ティルの傍で不甲斐ない馬鹿弟子をやらせて欲しい。
「いつか、ティルを越えるつもりですから」
「いつか、とはいつじゃ?」
「いつかは、いつかです……」
明日明日!
明日から本気出す!
「くふ、仕様のないやつ……」
その諭すような声音と、ゆっくり撫でられる手が気持ち良すぎて次第に微睡んできた。
魔力を失って気怠い事も重なっているだろう。
「ティル、少しだけ一緒に寝ませんか……」
もう瞼を落としかけながら、提案する。
「構わんよ、妾は少しと言わず、明日まで眠るがな」
「はい……」
最期の気力で皺になりそうな服を脱いで、畳んで、棚の上に置いてから、ティルの待つシーツの中に滑り込む。
「相変わらず、几帳面なやつよ」
「ティル……」
抱き枕のようにティルを抱きしめて、横になる。
ティルは少し嫌そうにしたが、別に払いのけるでもなく眠り始めた。
魔力を食べる、か……
これ、もしかして……イリアの事に関係する?
ティルは、ヒント少ないからなぁ。
そんな事を考え、ティルの温かさを感じながら微睡みに落ちていく。
――次に俺が目覚めたのは、爽やかな光差し込む翌朝だった。
氷雪の魔女直筆、『入るな、危険』の張り紙の効力は凄まじく、俺は誰にも邪魔されずにぐっすりと一夜を過ごした。
――過ごしてしまった。
「だ、大丈夫、大丈夫だよ」
心配事の9割は、実は起きないものなんだ!
という気休めとは相反して、全身に珍しい脂汗をかいた。
俺に抱き着かれ過ぎて寝苦しいのか、「む~」と唸りながらも快眠を続けるティルからそっと離れて、服を着る。
「……よし!」
とりあえず、お風呂入ってから後の事は考える!
そう決意した俺は、そっと扉を開いてフロンティアに繰り出した――




