温泉の作法
「でし、どうしていっしょに入らないの! はいろうよ~」
リンちゃんにせがまれると、心が痛む……
「ごめんね。私には、どうしてもやらなければならない使命があるの……」
リンちゃんにもいずれ分かる日が来る。
……いや、来ちゃダメか、基本的には。
「ここで二泊するんですから、明日は一緒に入ろうね、リンちゃん」
「む~、やくそくだよ!」
と、頬を膨らませながらリンちゃんはイリア達と一緒に温泉に向かいました。
なお、サイラは遊びに行く前に言っていた通り、既に一度温泉に入ってきたらしい。
既に浴衣姿だ。
そしてまた皆と一緒に温泉に入るようだ。
楽しんでいるようで、何より。
「にゃふ……気持ち良かったですにゃ、アリスさんのお背中、明日流しますね!」
「う、うん」
旅館の浴衣に着替えたサイラは年下とは思えぬ程の色香を感じる。
浴衣特有の、首から覗く三角形の白い柔肌。
そっか……浴衣って――――下着つけないよね?
なんてこと……帯が解けたら、大事故じゃないの!
「……気を付けて、サイラ」
「? はいです?」
不思議そうな顔をしながら、サイラも部屋を出て行く。
よし。
いざ行かん。
最後までお姉ちゃんが、ほんとにやるの? ていう顔をしてたけど、二言はありません。
「……出陣!」
温泉旅館一日目、俺の戦いが始まった。
どこの世界もそうだろうけど、女湯を簡単に覗けるような仕様にしている温泉など無い。
女湯を覗くには、木々が生い茂る裏山から侵入して温泉の方に回り込まないとダメだ。
しかも、裏山から温泉の間には川があり、その川はかなり幅があり、流れも速い。
さらに、温泉を囲う竹の柵は入浴者を守る最後の砦として高く聳え立つ。
これを全て越えて行かないと、たどり着けぬのだ。
「魔法……使っちゃダメだよね? イリアと……たぶんエクレアも魔力感知持ってる気がする」
女湯への道、その第一関門である裏山の前にて考える。
行程は下調べした時に、魔法を使って簡単にクリアしている。
しかし魔法無しの体力勝負で、裏山と川と柵をクリアとか、俺に出来るか?
それに、慎重に行動しないと……エイム。
千里眼はまずい。
「何だろう……私の仲間って、絶対に敵に回しちゃダメな集団のような気がする」
だが、俺は負けない。
どんな敵も、駆逐してやる!
絶望の中で鈍く輝く心を奮い立たせ、険しい山道に足を踏み入れる。
基本的に、人が入るように整備されていない自然というのは驚異である。
別にこの裏山は前人未到の断崖絶壁という訳ではないが、それでも足元に生える深い草や、狩り込まれていない木の枝が行く手を阻んでくる。
傾斜もキツく、道なき道を息を切らせながら前に進む。
「!?」
日も落ちて、しかも木に囲まれて光の届かぬ山の中で、何かが揺らめいた。
この暗闇、普通の人なら目が慣れても気づかないかもしれないが、俺には分かった。
熊か?
魔物か?
いや、まさか。
いくら山の中と言っても、ここは街の中の一角だ。
魔物というのも考えにくいが……
いざとなったら魔法を使うしか無いか。
慎重にその影に近づいて――――俺は脱力した。
「……何してるんです、おじさん」
「ぇあ゛」
熊のような体躯をした不審者……おっさんだった。
いや、これマジで不審者だからね、この場で発見するってことは。
「言い訳があるなら聞きますけど」
「ア、アリスちゃんは……温泉に入らないのかい?」
脂汗を流したおっさんが、変にキリッとした顔で開き直る。
「……私が入ってたら、何だって言うんですか」
「覗かないと……失礼だろう!」
「おばさんに報告しますね」
「勘弁してつかぁさい!!」
泣くな、鬱陶しい!!
「はぁ……ここで引き返すなら、勘弁してあげます」
「アリスちゃん……! やっぱり、天使すぎ――――おぐっ!?」
どさくさに跳び着いて来たおっさんの腹筋に、雷のパンチをお見舞いした。
「どうです、私のパンチ? 以前と違って、効くでしょう?」
「――効いた、ぜ」
おっさんは真っ白に燃え尽きながら、その場に崩れ落ちた。
駆逐――――完了。
くっそー、これくらいなら気づかれない……よね?
魔法を撃った訳じゃないし……
おっさんめぇ。
中々に骨の折れる行程だったが何とか裏山を踏破して、変態を一人潰してきた。
「次は、川か……」
上流のせいなのか、水の流れも速めだ。
その割に川幅も結構あるので、これは厄介だ。
魔法を使えば一足飛びに向こう岸に渡れるだろうが、それは見つけてくださいと言っているようなものだろう。
所々に川から頭を出している岩を足場に、向こうまで地道に跳んでいくしかない。
難しいが、山を踏破する体力勝負に比べれば、敏捷4の俺にとってはこちらの方がマシかもしれない。
「やめろ、こんなことしたらサイラが悲しむ!」
「分かってる! でも……俺は、俺は!!」
川の前で、男が二人揉み合っていた。
「……」
とりあえず近づいて、後ろから思いっきり頭を叩いた。
「いてっ」
「うっ」
びっくりして二人がこちらを振り返る。
「あ、姐さん……!?」
俺と確認した二人が、その顔を驚愕に染める。
「全く……ここまで来たら目的に言い訳はできませんよ」
「姐さん……すまない、でも俺……」
「サイラが、覗かれてどう思うんです? あの子の純粋な心を考えて、想像力を働かせてみなさい」
しばし無言で、三人とも想像してみる。
ものっっっ凄く、罪悪感が込み上げてきた。
「姐さん……やっぱり俺、間違えてたみたいだ……最低だな」
「分かればいいんです。タケシもケンジも年頃なんだから、そういう茶目っ気、仕方ないですよ。良くはありませんけどね」
サイラはダメだよ、サイラは。
覗くなら、エクレアにしないと。
「だから止めろって、言ったんだ」
「なっ、おまえだって、あわよくば姐さんを覗こうとしてたくせに!」
「ばっ、おまえ!」
はい?
「……覗きたかったんですか、私?」
「ち、違う! いや……それはっ」
ケンジが慌てるが、タケシも慌てる。
「お、俺だって、姐さんが見られるならっ」
「……」
タケシ、ケンジ……
「本人の前で、堂々と覗き宣言しない」
「あ」
「う」
トン、と軽く二人を川に向かって押してやる。
何が起きたのか分からない、という顔で、二人は流れの速い川に落ちていった。
「あ、あねさあああああんっ!」
「くっ、これが罰か!」
そう、これがお仕置きです。
無事にどこかに流れ着くんですよ。
煩悩の罰は、厳しいのです。
駆逐――――完了!
「あ、二人ともちゃんと泳げる? 大丈夫~?」
「大丈夫だ、姐さん! 目が覚めたぜ!」
「ああ、罰をしっかり受け止めて、身体でも鍛えるさ!」
という返事が返ってきた。
青春だねー。
そして俺は、遂に最後の関門に辿り着いた。
竹で囲われた、高い柵。
その目の前に立ちはだかる、黒い影と俺は対峙していた。
「えっと……ソルトさん、何をしているんです?」
まさか、とは思うけど。
むっつりですか?
「……」
「あなたには、確かに黙秘権があります。ですが、こんな場所に居たら状況証拠だけでお終いですよ、覗きの罰は重いんです」
「……」
黒ずくめが、むっつり黙り込む。
「もう……誰目当てですか? お姉ちゃん? それとも、イリア?」
「……お前は、入らないのか?」
「は?」
「いや……忘れてくれ」
え……何?
「一応、見張っていただけだ」
「……う~ん、苦しい言い訳ですね」
「ふ、そうだな。申し開きするつもりはない」
クールに笑っているけど、覗きで御用とか死ぬほど恥ずかしいと思うなー。
「でもソルトさんも、やっぱり健全な男の子なんですね」
「年下みたいに、言うな」
「ふふ、気に障っちゃいました? 覗きに来るとか、可愛くって……」
「だから、覗きじゃ……もういい」
しかし、この柵高すぎて俺一人では魔法の力を借りないと登れないよ。
うーむ。
うん?
そういえば、この黒ずくめは背が高いな。
よし……
「分かりましたソルトさん、じゃあ、ちょっと肩車してください」
「なに?」
「だから、肩車。私、向こう側を確認したいので」
柵を指差す俺に、黒づくめが妙な顔を向けてくる。
何とも言い表し難い、妙な顔を。
「お前は……何を言っている? まさかとは思うが、覗きのつもりか?」
「ノーコメントで」
「……普通に入ればいいだろう」
「四の五の言わない。通報されたいのか、肩車して見逃されたいのか。ソルトさんに選択権はありません」
「本当に……分からん奴だ」
気にしない。
という訳で、黒ずくめにしゃがんでもらって、頭を挟んで肩に乗っかる。
思ったより安定が悪そうで、怖い。
「ん、しっかり掴んでてくださいね! 後ろに落としちゃ嫌ですよ!」
「……」
「ソルトさん! 聞いてますか?」
「あ、ああ……」
俺の両足を掴んで立ち上がった黒ずくめの様子がおかしい。
う~ん?
って、スカート凄く捲れてるし!
下を確認して、自分の痴態に気付いてしまった。
はっずかし!
これはダメだわ!
「……ソルトさん、自分の失態で心苦しいんですけど……恥ずかしいので川に飛び込むか、私に雷で気絶させられるか、どっちか選んでくれませんか?」
「……川に飛び込む。少し……頭を冷やしたい」
「そ、そうですか。では、いってらっしゃい」
柵の上に手をかけてから、黒ずくめの肩車から抜ける。
すると、間髪入れずに黒ずくめが後ろに流れる川に飛び込んだ。
まるで水泳選手並みの綺麗な飛び込みだった。
「……駆逐、かんりょー」
ここに、障害は全て取り除かれた。
「ぐぬぬぬぬっ」
懸垂の要領で、何とか柵に足をかけて登る事に成功。
何せいつまでもぶら下がっていられる程、力も体力もないからね!
そして、湯煙立ち込める温泉を確認――――した瞬間!
「っ!??」
桶が凄い勢いで飛んできた。
反射で身体を逸らして避けた――が、今度は体勢を維持できずに、真っ逆さまに柵内に落ちた。
ヤバい!
下は温泉じゃなくて、石で敷き詰められた床だ!
仕方ないので雷の魔力で落下を緩めて、着地する。
「ん? 今何か、魔力を感じたような?」
エ、エクレアの声だ。
「……さっき、そこの柵の上に何か居た。覗きかと思ったけど、手応えは無かった」
桶を投げたのは、エイムか!
弓じゃなくても、狙い正確すぎでしょ!
そんな俺は女湯の、その端の方にある観賞用に生えている立派な木の幹にこっそり隠れている。
どうやら皆は身体を洗っているようだ。
「……まぁ、気のせいじゃないの?」
お姉ちゃん!
でも、お姉ちゃんには既にバレてるよね、これ!
「ん、シオンがそう言うのなら」
「そうね」
どんだけ信頼度高いんですか、お姉ちゃん!
「なんかいたの~、さいら?」
「何でもないみたいですにゃ」
「きゃはっ」
サイラが、リンちゃんの面倒をみてるのか。
……しかし、これでとりあえずの安全が保たれた訳だ。
後はここから覗けば悲願達成なのだけど、湯煙凄すぎて……
正直これは、至近からじゃないととても見えない。
柵の上からとか、根本的に無理があるくらいだ。
どうやって近づいたら良い?
「――は?」
「……」
遠くばかり気にしていて、すぐ目の前の温泉に入る人影に、今気づいた。
その人影は、にっこにこしながらこちらを見ていた。
――イリア!!
ち、違う、違うのイリア!
違うんだって!!
ぶんぶん首を横に振る俺に、イリアは、うんうん、分かってます大丈夫です、と頷いた。
声に出せない、アイコンタクトのやり取りである。
……しかし俺は一体、何を理解されたんだろう?
困惑する俺に、イリアが立ち上がる。
湯船から出て、こちらに近づいて来る。
――って!!
ちょ!?
裸!
ふくらみ!
……先まで!?
「お嬢様も、服を脱いで温泉を潜って近づけばいいのです」
艶やかな声で、イリアさんが耳元で囁いた。
「だだだ、だって、私、身体洗ってないし……湯船浸かるのマナー違反だし!」
「ふふっ! 裏から入ってきておいて、とても可笑しな事を仰るのですね、お嬢様」
確かに!
「大丈夫です……お嬢様に、汚い所など何処にもありませんわ」
「~~~っ」
もうなんか、別に他の人の所まで行く必要あるの、これ?
もういいんじゃない?
目的達成じゃないの?
「さ、脱ぎましょうね~、お嬢様」
「は、はい」
何故か裏から柵を越えて温泉に侵入し、隅っこでイリアに服を脱がされました。
服はイリアが綺麗に畳んで、隅っこの方に濡れないように置いてくれる。
これは……一体どういう状況なのか、まるで分からない!
「あの……かけ湯だけでも」
「はい、お嬢様」
イリアに桶で温泉のお湯を汲んでもらい、何回か身体にかけ流す。
「……」
「ではどうしましょう、お嬢様? エイム様? それともやっぱり、エクレア様?」
やっぱりって何ですか、やっぱりって……
俺とエクレアって、どんな風に見られてるの?
いや、それよりも。
「えっと……イリア、手伝ってくれるの?」
「はい、それはもう。楽しそうでたまりませんわ」
何かこのままイリアに導かれると、破滅する未来しか思い浮かばないのは何故だろう?
「わ、分かりました。では、あくまでこっそりと、まるで覗きのように盗み見て、すばやく撤退します」
「イエス、マイ、レディ」
まるで覗きなんじゃなくて、そのもの覗きなんだけど。
「ん? 何か言った~、イリア?」
「何でもありませんわ、エクレア様」
「そう? そんな隅っこで、何してるの?」
「少し湯あたりしたので、涼んでいただけです。木の傍は趣があるので、つい」
「ふ~ん? あんまり長湯しないで、のぼせない様に気を付けなさいよ」
「はい、ありがとうございます」
エクレアは……基本、優しいよね。
でも……!
「ターゲットは、エクレアで!」
「ふふ、だと思いましたわ」
そう、ここまできて、後に引けるか!
そうして、俺とイリアのラストミッションが開始された。
イリアの影に隠れてさり気なく湯船に入った俺は、そのまま潜水して洗い場の方に泳いでいく。
マナー違反にはこの際目を瞑ってもらおう。
これは、崇高なミッションなのだ。
様式美なのだ。
お湯の中を潜行し、恐らく洗い場の近くと思われる端までたどり着いた。
こっそり浮上して、頭を出す。
目の前には……真紅の髪!
こちらに背を向けて、エクレアが身体を泡々にして洗っている最中!
う、う~ん、これ達成?
背中から、そして泡まみれで良く分からないのだけど、目的達成?
――――否!
まだだ!
こんな中途半端で終われるか!
手はある!
俺の身体に雷の魔力を循環させればいいのだ!
さすがにこの距離で魔力を使えば、確実にエクレアは気づく!
そして――振り向く!
――さあこい、エクレア!
魔力を身体に通して――
「!? やっぱり! 真後ろ!?」
エクレアが振り向いた瞬間――潜った。
すみません、チキンで……
どうしよっかなぁ……
もう、いいか。
逃げよう。
――と思ったら、湯船の中から見上げたそこに(鼻は摘まんでる)、真紅のシルエットが!
「誰!? さっきからこそこそと! 居るんでしょ?」
湯煙と湯船を挟んで、エクレアが俺を視認している。
ぼんやりとして、誰かまでは分からないのだろうが、とても逃げられる状況じゃない。
しかも、このままでは息も続かない!
「……ごぼっ」
「ちょっと、早く出てきなさいよ! 溺れちゃうでしょ!」
この期に及んでこちらの心配をするか、エクレア。
エクレアが心配そうに湯船の俺に向かって手を伸ばしたのが分かった。
それを――思わず掴んで引っ張り込む。
「ちょっ、きゃああっ!」
ざばん、とエクレアが湯船に入って来る。
あいた!
エクレアと身体をぶつけ合って――――そして、弾みで何か、噛んだ……?
「~~!?」
何となく、エクレアの驚愕が伝わってくる。
って、もうダメだ!
「ぷはっ!」
「はぁっ! あ、アリス!?」
湯船からお互い顔を出して、遂に面が割れてしまった。
「ご、ごめん、エクレア……ちょっとした冗談のつもりだったん……エクレア?」
エクレアが、胸を片方押さえて真っ赤になって、震えていた。
「あ、あの……そう云えば、私さっき何か噛んじゃったような……その、大丈夫だった?」
「~~~~だ、大丈夫な訳ないでしょ! アリスの、ばかああああああああっ!!!」
大絶叫と共に、湯船をかき分けて真紅の少女が駆けていく。
「ぐっじょぶ、マスター」
いつの間にか傍に来ていたエイムが親指を立てていた。
「…………いや、良くないでしょ、これは」
ちょっと、はしゃぎ過ぎちゃった……反省。
そんな風に、割と仕様も無い温泉宿の一幕が過ぎて行った。
まさか…………違うよ、ね?
その場で思い悩み過ぎてゆで上がった俺を、イリアが回収して行ったのはしばらく経った後だった。




