布団
一編 通へのお礼
松は机に向かい、筆を持って書き取りをしていた。
その隣では、通がじっと松の手元を見ている。
「姫様、そこはもう少し丁寧にお書きください」
「はい……」
松は返事をしながら、頭の中では別のことを考えていた。
(残りは六貫……細工師への支払いを除けば、三貫ほどか)
今回の養蚕で得た銭は九貫。太郎爺には一貫を臨時支給として渡した。糸作りを任せる人を雇うための費用も確保してある。
(通にもあげたいんだけどなあ)
松はちらりと隣の通を見た。
(でも、きっと受け取らないよね)
通は松の世話をする侍女である。仕えている姫から銭を受け取ることに、抵抗があるのだろう。
(どうしたら受け取ってくれるかな……)
松は筆を止めた。
(そうだ!)
「通」
「はい、姫様」
「少しお願いがあるのだけれど」
「何でしょう?」
「今回、姫路に戻るときも、砥堀に来るときも、井上殿に馬で迎えに来てもらったでしょう?」
「はい。それが何か?」
「井上殿にも、いろいろと手間をかけさせてしまったと思うの」
「それは夫の務めでもございますから」
「そうかもしれないけれど、私としてはお礼をしたいの。だから、通にも一貫受け取ってほしいのだけれど」
「姫様、私が銭をいただくわけにはまいりません」
「でも、井上殿には何度も迎えに来てもらったでしょう? そのお礼も兼ねているの」
松は通の顔を見上げた。
「だから、一貫受け取ってください」
通は困ったように松を見つめた。
二編 奥方の買い物
松から生糸を買い取った職隆の奥方は、届けられた生糸を改めて眺めていた。
「それにしても、結構な量がありますね」
傍らに控える女房も、生糸の束を見て頷いた。
「はい。これほどまとまった量を一度に買うことは、そうございませんね」
「松が買ってほしいと言うから買ったけれど……」
奥方は生糸を手に取り、指先で品質を確かめた。
「これだけあれば、絹の反物が何反かは織れるのではないかしら」
「それだけの量があれば、十分にございますね」
「ふふ。あの子が自分で作ったというのだから驚きです」
奥方は生糸を見つめながら、少し考え込んだ。
「養蚕を始めたと言っていたけれど、これほどの量を作れるようになるとはね」
「松姫様は、何か商いを始められたのでしょうか」
「そうなのでしょうね。あの子は、いったい次に何を始めるつもりなのかしら」
奥方は微笑みながら、生糸を女房に預けた。
「せっかくですから、これで何か織らせましょう。どのような絹になるか、楽しみですね」
三編 次の課題
松は書き取りの課題を持って、姫路の城へ戻ってきた。
奥方のもとへ行くと、通も一緒に呼ばれた。
「松、課題はできましたか?」
「はい。こちらです」
松は書き取りを差し出した。
奥方はそれを受け取り、ひと通り目を通す。
「よくできていますね。では、次の課題です」
「次ですか?」
奥方は傍らに置いてあった反物を取り出した。
「この前、あなたから買った生糸ですが、姫路近隣で織物のできる者に頼んで、織らせてみました」
「もう織ったのですか?」
「ええ。こちらが一反です」
松は反物を広げて眺めた。
「わあ、きれい……」
「これはあなたの分です。持って帰りなさい」
「私のですか?」
「そうです。ただし、これで終わりではありませんよ」
奥方は通に目を向けた。
「通。これを使って、松に自分の衣を作らせなさい」
「私が、でございますか?」
「ええ。松には、布から衣を仕立てるところまで覚えてもらいます。通はそばで見ていて、きちんとできるように教えてあげなさい」
「承知いたしました」
松は反物と奥方を交互に見た。
「えっと……私が作るの?」
「そうですよ。どこかの家へ嫁ぐことになるかもしれないのですから、衣くらい自分で作れなくてどうするのです」
「……嫁ぐ?」
松の顔が少し曇った。
(いやいや、私は嫁に行くつもりなんてないんだけど……)
「武家の娘として、身につけておいて損はありません。よい勉強になるでしょう?」
「……はい」
奥方はにこやかに微笑んだ。
「次に戻ってくるときには、できあがった衣を見せてくださいね」
松は反物を抱えた。
どうやら、養蚕の次は裁縫を覚えることになったらしい。
(せっかく稼いだのに、今度は嫁入り修業ですか……)
松は心の中で小さくため息をついた。
四編 自分の衣
砥堀に戻ってきた松は、さっそく奥方から渡された反物を広げていた。
その隣には通が座り、針と糸を用意している。
「姫様、まずは寸法を測りましょう」
「ええ……」
松は反物を見つめた。
(まさか、自分の服を自分で縫うことになるとは……)
「こちらが針です。まずは布に印をつけて、裁っていきます」
通は手際よく準備を進めていく。
松も教わりながら、布に印をつけ、裁ち始めた。
「姫様、急がなくてもよろしいですよ。少しずつ縫っていきましょう」
「うん」
それから松は、通に教わりながら少しずつ衣を縫い進めた。
慣れない針仕事に苦戦しながらも、どうにか自分の衣を仕立て上げることができた。
「できた!」
松は完成した衣を広げて眺めた。
「よくできましたね、姫様」
「えへへ」
反物は衣を作っても、まだ少し余っていた。
松は残った絹を見て考える。
「これ、まだ使えるわね」
「何かお作りになるのですか?」
「小座布団を作ろうと思うの」
松は余った絹を使い、小さな座布団を仕立てることにした。
通に手伝ってもらいながら中に詰め物の真綿を入れ、形を整える。
こうして、松の衣と小座布団ができあがった。
「これで完成!」
松は自分で作った衣を手に取り、満足そうに眺めた。
五編 寝布団が欲しい
松は、できあがった小座布団の上にちょこんと座っていた。
「うーん、これいいわね」
座布団の感触を確かめるように、何度か座り直す。
「これに寝転がりたいわ」
「寝転がるのでございますか?」
「うん。次の生糸ができたら、寝布団を作りたいです」
松は小座布団を撫でながら、すでに次のことを考えていた。
「それなら、奥方様の分も作って差し上げると喜ばれますよ」
通がそう言った。
「義母上の?」
「はい。奥方様はお体が弱いですから。冬の間、少しでも暖かくお休みいただけるようにして差し上げたら、きっとお喜びになります」
「なるほど……」
松は少し考えた。
「じゃあ、売れそうですね!」
「……姫様?」
「寝布団なら、ほかの人も欲しがるかもしれません。生糸だけでなく、真綿も使えますし」
通は少し困ったように松を見た。
「私は、奥方様に贈って差し上げてはどうかと申し上げたのですが……」
「贈るのもいいけれど、売れるなら商売にした方がいいでしょう?」
松は小座布団に座ったまま、次の商売を考え始めていた。
六編 増えていく生糸と真綿
ひと月ほどが過ぎるころには、太郎爺のところから新しい繭が上がり始めていた。
太郎爺に雇われた女たちが、足踏み式の糸車を使って、せっせと生糸を作っている。
糸を取る者、真綿を作る者。それぞれが手分けして作業を進めていた。
できあがった生糸や真綿は、順次、松のもとへ運び込まれてくる。
「姫様、今回できあがった分でございます」
運ばれてきた品を見て、松は頷いた。
「ありがとう。こちらに置いておいてください」
品物が置かれると、通が尋ねた。
「姫様、これらはどうなさいますか?」
「少しだけ使います。あとは貯めておいてください」
「売らないのですか?」
「ええ。村に買い取りに来る商人がいるのでしょう? その商人が来たときに、まとめて買い上げてもらいます」
「では、春までこちらに置いておくのですか?」
通は積み上がった生糸と真綿を見回した。
「しかし、これだけの量をここに置いておくのは、いささか困りますね」
「そうなの?」
「はい。姫様にはご自身の部屋もございません。今は高友様のお屋敷の一室をお借りして、寝泊まりしている状態ですから」
通は少し考えてから続けた。
「高友様にお願いして、荷物を保管している小屋に置かせていただいた方がよろしいかと存じます」
「なるほど。それがいいわね」
松は頷いた。
「では、叔父上にお願いしてみましょう」
松は生糸と真綿を眺めた。
自分たちで糸を作っていたころとは違い、今は太郎爺たちが生産を進めてくれている。
松と通が手を動かさなくても、品物は少しずつ増えていく。
「これなら、私たちは別のことに時間を使えますね」
松は満足そうに頷いた。
七編 織物職人との縁
松は、通に手伝ってもらいながら仕立てた衣を着て、姫路の城へ向かった。
義母上のもとを訪ねると、松はさっそく衣を見せた。
「義母上、見てください。自分で作ったのです!」
「あら、まあ。これを松が?」
「はい。通に教えてもらいながら縫いました」
奥方は松の衣を眺め、縫い目や仕立てを確かめた。
「よくできていますね。初めてにしては上出来ですよ」
「えへへ」
「頑張りましたね」
松は嬉しそうに笑った。
その後、松は奥方に頼みごとをした。
「それで、義母上。お願いがあるのですが」
「何でしょう?」
「姫路の近くで、織物を作れる方をご存じありませんか?」
「織物職人ですか?」
「はい。私のところで生糸ができるので、それを布にしてもらいたいのです」
奥方は少し考えてから答えた。
「それでしたら、近隣に織物を作っている者がおります。紹介してあげましょう」
「本当ですか! ありがとうございます」
こうして、松は奥方の紹介で織物職人のもとを訪ねることになった。
職人のところへ着くと、松は持参した生糸を見せた。
「この糸を使って、織物を作っていただきたいのです」
職人は生糸を手に取り、品質を確かめる。
「ふむ。これでしたら織れますな。ですが、織る手間賃はいただきますよ」
「もちろんです。おいくらになりますか?」
職人は必要な手間を考え、代金を告げた。
「それくらいでしたら、お支払いします」
松は迷うことなく頷いた。
生糸を売るだけでなく、布にしてもらう。
八編 寝布団の贈り物
松は、仕立ててもらった生地と真綿を使い、寝布団を作った。
自分で使うために作ったものだったが、通から奥方の体が弱いことを聞いていたので、義母上の分も用意していた。
「これを義母上に届けてください」
松は寝布団を持たせ、姫路の城へ向かった。
奥方のもとへ通されると、松はさっそく寝布団を差し出した。
「義母上、これをどうぞ。お体の弱い義母上のために作りました」
「あら、まあ。私のために?」
「はい!」
奥方は嬉しそうに寝布団を受け取った。
「ありがとう、松。大切に使わせてもらいますね」
「それで、お代はこれほどになります」
松はにこやかに値段を告げた。
奥方の笑顔が、ぴたりと止まった。
「……松?」
「はい?」
奥方は笑顔のままだった。
しかし、松にはなぜか少し怖く感じられた。
(あれ? 何かおかしい?)
奥方は心の中で思った。
(この娘は守銭奴なのでしょうか。せっかく私が教育してあげているというのに、恩返しどころか代金を請求するとは……。まったく、情けないこと)
「ま、間違えました!」
松は慌てて言い直した。
「献上します!」
「そうですか。言い間違いだったのですね」
奥方はにっこりと笑った。
「では、ありがたく受け取ることにしましょう」
「はい……」
松は少しほっとした。
「それから、殿の分も作っているのでしょう?」
「え?」
「殿の分も井上に持ってこさせなさい。そちらは代金をお支払いしますから」
「本当ですか!」
奥方はまた微笑んだ。
「ええ。殿の分まで献上してもらうわけにはいきませんからね」
松は、今度こそ素直に頷いた。
九編 寝布団が欲しい人たち
砥堀に戻った松は、高友の屋敷の城中部屋で、通に寝布団を作らせていた。
松が作った寝布団を見た屋敷の侍女が、羨ましそうに声をかける。
「姫様はよろしゅうございますね。そのような寝布団をお持ちで」
「そう?」
松は寝布団を眺めた。
すると、通が侍女の方を見て言った。
「そんなに欲しいのですか?」
侍女は何度も頷いた。
「はい。あのような寝布団で眠れたら、さぞ心地よいでしょうね」
「そうなのね」
松は少し考えた。
「じゃあ、材料を使っていいから、自分で作ったら?」
「えっ?」
「通も欲しいなら作っていいわよ。春も欲しいなら、自分で作っていいからね」
「よろしいのですか?」
「ええ。材料はあるもの。自分で作る分には構わないわ」
侍女たちは顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます、姫様!」
松はふと思い出したように尋ねた。
「そういえば、叔父上にもいるかな?」
通が答える前に、侍女が口を開いた。
「もちろんでございます。侍女の私たちが持っているのに、この屋敷の主である高友様がお持ちでないというのは、おかしゅうございます」
「なるほど。それもそうね」
松は納得したように頷いた。
「じゃあ、叔父上の分も作ってね」
通は、また仕事が増えたとばかりに小さく息をついた。




