9.尾行しているみたいって思ったでしょ
翌日、紬と優は駅で待ち合わせをして、松井電気の仕事現場へと向かった。
目的地は、電車で二駅ほど離れた郊外のエリアだ。最近開発が進んでいるらしく空き地も目立つが、その分、真新しい戸建てやアパートがぽつぽつと建ち並んでいた。
電車を降りてスマホのマップアプリで確認してみたが、歩いていくには少し距離があったため、近くまで路線バスで行くことになった。
松井電気は工場を持っているわけではなく、主に現場へ向かって設備工事などを請け負う会社だ。
事前に沢村には『決行日の前に、職場の雰囲気だけ外から確認しておきたい』と連絡を入れ、彼に気付かれないよう、今日の松井の現場を聞き出しておいた。
最寄りのバス停に到着し、まずはその現場へと歩き出す。沢村の話だと、午前中は松井も一緒に現場に入っており、午後からは会社に戻って事務作業をするらしい。
「このあたりだと思うんだけど……」
夏の強い日差しの中、紬はマップアプリと睨めっこしながら現場を探している。
そのまましばらく歩いていると、少し先の向こう側に、建築中の防風ネットがかかった真新しい集合住宅が見えてきた。
「あれかなっ」
紬はちょっと嬉しそうに声を上げ、指を差した。
バス停から意外と歩いたからか、それともただ暑かったのか。ようやく目的地を見つけてホッとしたような紬の顔を見て、優はなんだか急におかしくなってしまい、思わずふっと笑ってしまった。
「えっ、なに? おかしい?」
自分がなぜ笑われたのかわからず、紬はきょとんとした困惑顔になる。
「いえいえ、何もないですよ。気にしないでください」
いつも完璧で、人の心を見透かすようなプロフェッショナルの彼女が見せた、等身大の年相応な一面。それを少しだけ知ることができた気がして、優は密かに嬉しかった。
新築物件には簡易的だがバリケードが施されており、さすがに部外者が中に入ることはできなかった。敷地内では重機がけたたましい音を立てて地面を削り、ヘルメットを被った作業員が何人も右往左往している。多種多様な業者が入り乱れ、せわしなく作業を進めているらしい。
初めて建築途中の現場をまじまじと見た二人は、その活気と喧騒に少しあっけにとられていた。これは、迂闊に声をかけたりはできないな。そっと離れて見ているだけにしよう。優と紬は顔を見合わせ、暗黙の了解を交わした。
そのまま少し離れた場所から様子を見ていると、やがて見たかった瞬間が訪れた。
ドライバーやペンチ、ニッパーなどの工具がぎっしり詰まった腰袋を携えた、電気屋らしき数人が建物から出てきたのだ。ヘルメットを深く被っているのでわかりづらいが、その中に沢村の姿を見つけた。
「あ、紬さん。あれ、おそらく沢村さんですね」
優は小声で紬に告げる。作業着姿に、腰にぶら下げた重そうな道具。こうして現場にいる姿を見ると、やはり専門の職人というだけあって、事務所でのヒアリングの時にはあんなにおどおどしていた沢村も、なかなかに様になっているように見えた。
「時間的にお昼休憩かな」
紬が腕時計を見て言う。時刻はちょうど十二時。他の業者たちもぞろぞろと建物から出てくる。沢村たちに気づかれないよう、二人は道路の反対側に回り込んで様子を窺った。
松井電気の一行は、沢村と、上司である松井隆、そしてもう一人の若いスタッフの三人で歩いて現場を離れていく。向かう先は、新築物件から百メートルほど離れた大通り沿いにある牛丼チェーン店だった。
「優くん、入るよ」
紬が楽しそうに踵を返す。なんだか探偵の尾行みたいだ。優は密かに胸を躍らせた。
「優くん? 今、尾行しているみたいって思ったでしょ?」
完全にお見通しだった。
「そんなわけないじゃないですか」と誤魔化しつつ、内心焦る。そんなに顔に出ただろうか。店のガラスに映る自分の顔を優が盗み見ると、確かに少し口角が上がっていて、ひどく恥ずかしくなった。
松井電気の一行に気づかれないよう、彼らが腰かけた四人掛けのテーブルから少し離れ、かつ会話が聞こえる絶妙な位置の席に二人も陣取る。
メニューを見るふりをしながら、聞き耳を立てた。
「しかし、今日もやってくれたな沢村」
松井が、呆れたような、しかしどこか重みのある声で沢村に言う。
沢村は肩をすくめ、うつむいていた。
「あのミスはダメだ。顧客の信用も無くす。まずは確認すること。わからないことは聞く。いつも言っていることだが、それは徹底しろ」
今日もミスをしてしまったのか。優は、肩を落とす沢村を少し哀れに感じた。横目で見ると、紬も真剣な眼差しで彼らのやり取りを観察している。
「木下はまだ技術的にはダメな部分はあるが、確認と報告は出来ている。その調子で頼むぞ」
もう一名の若いスタッフは木下というらしい。今回の代弁案件に直接関係はないが、沢村には後輩がいる。それも沢村の人となりを形作るひとつの情報として、優は頭の中にインプットしていく。
「沢村も、いつも落ち込んでばかりだな。そんな顔ばっかりしていると、なんというか……ああ、運気が逃げていくぞ、ほんとに」
厳しい叱責のあと、松井はふっと口調を和らげ、不器用に慰めるようなことを言った。
「はい、すみません。気を付けます」
だが、沢村の返事にはまったく覇気がなかった。
「ほら、注文決まったのか? 頼むぞ、食え食え。昼からも暑くて大変だぞ。バテないようにちゃんと食べろよ」
「はい」沢村と木下が頷く。
一行の様子を見ていた紬と優も、向こうの会話がひと段落したのをきっかけに、ここぞとばかりにタッチパネルを操作した。
「ねぎ玉牛丼、うまそう。紬さんは何にします?」
「カレーで」
「あ、紬さんはカレー派なんですか?」
「いけない?」
「いや、そんなことないですよ」
牛丼屋に来てカレーを頼むんだ、とちょっと意外で突っ込もうと思ったが、余計なことを言うと話がこじれそうに感じたので優は黙っておいた。
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