8.何を思って依頼主になりきっているんですか
沢村の案件は、優が初めて担当する代弁となった。
その日から優は、沢村の代弁を完璧にこなすため、遅くまで事務所に残ってヒアリングの音声データや資料を読み込み、彼の話し方や発音、言葉の癖をひたすら頭の中でイメージしていた。
そんな優の姿を、紬は口出ししすぎることなく、見守るようにサポートしてくれていた。
「あまり無理はしないようにね」
紬はそう言い、湯気の立つコーヒーをデスクに置いてくれる。
「初めて任せてもらえるので。絶対にちゃんとしたいんです」
優の目は真剣そのものだった。
「代弁までの流れだけど、決行日は8月10日に決まったから」
「10日ですか……今日が7月25日だから、あと2週間くらいしかないのか」
「沢村さんの希望だからね。なるべく早めに対応してほしいってことだし」
「わかりました。それまでに形にします」
開いた窓の向こうから、遠くではしゃぐ子どもの声が聞こえる。世間は夏休みに入ったのだろう。優自身も大学が夏休みに入ったため、毎日ここへ来て特訓に打ち込むことができた。
しかし、何日経っても優の中で沢村を『完全に形にする』ことができなかった。頭ではわかっているのに、トレースするには何かが決定的に足りない。だけど、何が足りないのかが自分でもわからないのだ。焦りだけが募っていく。
「紬さん、聞きたいんですけど……」
ついに壁にぶつかった優は、向かいのデスクに座る紬に助けを求めた。
「紬さんはトレースする時、何を思って依頼主になりきっているんですか?」
「んー、そうだね」
紬は少し天井を見上げて考えた後、ゆっくりと答えた。
「まずは話し方やクセを掴むのは絶対条件かな。それができていれば、少し声質が違っていても、相手に『本人が言っている』とイメージさせることができるから。でも、ものまねとはまた違うんだよね」
「ものまねとは違う?」
「うん。ものまねは口先だけの技術だから、相手の心には伝わらない。頭の中で考えていることをリンクさせて、本人の気持ちを乗せてから、依頼主の話し方で出力する。そうするとできるの」
「頭の中をリンクさせる……」
優は思わず言葉を反芻した。ヒアリングであれほど執拗に、細かく経緯や感情を聞きこむのはそのためだったのか。話し方やクセという表面上の情報だけでなく、依頼主の思考回路や心の奥底まで覗き込もうとしていたのだ。
「慣れてくれば、優くんにもできるよ」
こともなげに言う紬を、優は少し恐ろしく感じた。普段の何気ない会話でも、彼女には自分の頭の中を覗き込まれているのだろうか。というより、おそらく彼女はすでに『新谷優』をトレースできるのだろう。
自分はまだまだ、その領域には程遠い。優は少しだけ自信を無くした。
「優くん、明日一回、松井電気の現場へ行ってみようか。相手の松井隆さんも見ておいた方がいいと思うし」
行き詰まり、少し落ち込んでいる優を見かねてか、紬がそう提案してくれた。たしかに、自分が言葉をぶつける相手の顔や空気を知っておくことで、少しでもイメージが湧きやすくなるかもしれない。優にとっては願ってもない提案だった。
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