7.やらせてください
「私はこの通り、松井電気で働いていまして……私が不甲斐ないばかりに、いつも上司に怒られてばかりいるんです。何度も怒られて、その度に改善しようとしていたのですが、どうしても変わることができなくて。もう、無理だと思ってしまいました。それからさらに仕事に集中できず、ミスをしてまた怒られるという悪循環で……」
沢村は俯いたり、しきりに視線を泳がせたりしながら、辛そうに経緯を説明する。
優はタイピングの手を動かしながら、心中で同情した。なるほど、それはいわゆるパワハラというやつだ。真面目そうな沢村がこんなに怯えているのだから、よほど厳しい上司なのだろう。
紬も「そうですか、大変でしたね」と、彼に優しく寄り添いながら話を聞いている。
「あんな厳しいやり方には、もう耐えられません。なので……角が立たないように、辞めさせてほしいんです。できますか?」
「もちろんです。私たちは依頼主様の気持ちに寄り添い、伝えたいことを伝えさせていただきます」 紬が力強く答える。
「そうですか。だったら、お願いしようかな……」
「かしこまりました。それではこちらの書類をお読みいただき、ご承諾いただければサインをいただいてもよろしいでしょうか?」
紬が差し出した書類は、正式に依頼をしてもらうにあたって事前に確認するための用紙だ。主に実際の代弁の流れや、守秘義務について事前に了承をいただくためのものである。
沢村は書類に目を通し、震える手でペンを握ってサインをした。
「ありがとうございます。そういたしましたら、改めて詳細をお聞かせ願えますか?」
そこから、紬の本格的なヒアリングが始まった。
優はノートパソコンに向かい、沢村が紡ぐ言葉を取りこぼさないよう記録していく。紬は沢村をじっと観察し、彼の話し方の癖や感情の機微をトレースしているのだろう。話を聞くその眼差しは、真剣そのものだった。
今回の依頼をまとめると、こうだ。
依頼主の沢村耕平は松井電気に所属しており、その上司である松井隆に退職の旨を伝えたいということだった。
退職の理由は、本人曰く上司からのパワハラ。精神的に限界が近いため、なるべく早く対応してほしいとのこと。代弁の決行日時と場所は、終業後、松井電気の社員駐車場で。そして、相手からどんな慰留があった場合でも、絶対に退職の意志を貫くこと。以上の内容で話がまとまった。
「お聞かせいただいてありがとうございます。以上で聞き取りは終了となります。この後は後日改めてご相談しながら決行日を確定し、実際に代弁の流れとなります」
「わかりました」
依頼内容がまとまったところで、沢村は立ち上がり、帰る支度をし始める。それを見て、優もパソコンから顔を上げ、二人のいる応接スペースまで歩み寄る。
「よろしくお願いします」
沢村は深く一礼し、紬と優に見送られながら事務所を去っていった。
「紬さん、お疲れさまでした」
優はテーブルのコーヒーカップを片付けながら紬に言う。
「ありがとう。あとでヒアリングの資料、見せてくれる?」
「はい、整理したらすぐ回します」
優は片付けを早々に終わらせ、デスクに戻ってパソコンを叩く。誤字脱字やニュアンスの漏れがないかを素早く確認し、紬に今回の共有ファイルを送信した。
モニター越しに、ファイルを開いた紬がじっと画面を眺めているのが見える。優にとって、この瞬間はいつも少し緊張する。
基本的には紬と依頼主の会話は優がすべて記録しているが、もし何か、紬にとって重要なキーワードなどが抜けていれば、彼女のトレースに影響が出てしまう。それは『確実な仕事』のために、なんとしても避けなければならなかった。
もともとは、紬が今までひとりで完璧にこなしていた仕事なのだ。それを助手として任せてもらっている以上、間違いは許されない。そういう覚悟を持って、優は仕事に取り組んでいた。
「……資料、問題ないですか?」
沈黙が気になり、おそるおそる優は確認する。
「うん。大丈夫だよ。ありがとう」
紬はパソコンから顔を上げ、優を見てふっと微笑んだ。しかし、すぐにその表情から笑みが消え、どこか探るような、真剣な眼差しに変わる。
「……ただひとつ、優くんの感じたことを聞かせてほしいんだけど」
「俺の、感じたことですか?」
「うん。沢村さんに……何か感じることはあったかな?」
「感じることですか? ……妙に落ち着きがなかったようには感じましたけど」
優が記録を思い出しながら答えると、紬は小さく頷いた。
たしかに沢村は、最初から視線を泳がせ、どこか落ち着きのない様子で会話をしていた。
「そうだね。あの落ち着きようのなさ……何かあるかもしれない」
紬は考え込むように、再びパソコンの画面へと視線を落とした。
「緊張していた……わけじゃないんですかね」
沢村に別の真意があるのか? 経験の浅い優には、その答えがわからなかった。
じっと考え込む彼女の横顔を見つめていると、ふいに紬が顔を上げ、優の目を見た。
「ねえ。今回の代弁、優くんにお願いしようと思う」
「えっ」
唐突な提案に、優は思わず間の抜けた声を漏らした。
「どうかな。そろそろ、やってみない?」
『男性の代弁は、俺にやらせてくれませんか』
あの日、自分が紬に言った言葉が脳裏に蘇る。ついにその時が来たのだ。いままでは紬の隣でひたすら仕事のやり方を学んできたが、ここからは実践だ。
「やらせてください!」
優は姿勢を正し、身が引き締まる思いで力強く答えた。
「うん。頼んだよ。優くんが感じたままに、言葉を紡いでほしい」
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