5.ご依頼ですか?
「あっ」思わず声が漏れた。
それは、あのファミレスで見た彼女だった。声をかけようと思ったが、向こうが自分のことを覚えている保証もない。下手すればただのナンパと思われてしまう。躊躇しているうちに、彼女は駅から伸びるアーケードの方へ足早に歩いていく。
「本屋は、アーケードにあるしな」都合のいい言い訳を自分に言い聞かせ、優は彼女の後を追った。いけないことだという理性のブレーキは当然ある。だが、そうしないといけないという得体の知れない使命感のようなものに、背中を押されていた。
それは直感だった。あのファミレスでの一件から感じていた、彼女の底知れない魅力。それを少しでも知りたいという強烈な好奇心。
「まぁ、本屋を通り過ぎるまでならいいよね。同じ方向だし」
なんとも不思議な感覚だった。ストーカーまがいのことをしているという罪悪感と、抗いがたい使命感。相反する感情が、優の冷静な判断力を奪っていた。
優が目印にしていた本屋の手前で、彼女はふいっと路地の方へ入っていった。それほど狭くはないが、人通りは少ない道だ。コインパーキングやちょっとした居酒屋が並ぶその路地で、彼女は小さな事務所のような建物の前に立ち止まり、中へと入っていった。
少し遅れて、優はその事務所の前に立つ。
『代弁屋 ことのは』そう書かれた小さな看板。ドアの脇には木製のボードが立てかけられていた。そこには、こう書かれている。
『あなたの言いたいこと、伝えたいこと。代わりにお伝えします』
「代わりにお伝えします……?」何なんだろう、この店は。優が呆然とボードの文字を見つめていると、不意にカランとドアが開き、彼女が出てきた。
「あっ……」あまりに突然のことだったので、優は驚き、固まったまま彼女をまじまじと見つめてしまった。
彼女は首をかしげながら、不思議そうに優を見る。そして数秒後、何かを思い出したかのように「あっ!」と急に大きな声を出した。
「あなたは……ファミレスのウェイターさん?」
彼女は、優のことを覚えていた。
「は、はい」突然の邂逅に、優はひどく焦った。
自分で尾行してきたくせになんとも情けないと思ったが、咄嗟に漏れ出る言葉を止めることができなかった。
「ご依頼ですか?」
店の前に突っ立っていた優に、彼女は首を傾げて聞く。どうやら、後を追っていたことには気づいていないらしい。少しホッとした優は、徐々に落ち着きを取り戻していった。
「えーっと……ちょっと気になったんで、看板を見ていました。言いたいこと、伝えたいことを代わりに伝えるって……どういうことなんだろうって」
「そのままの意味です。ここで立ち話もなんですから、中に入りますか?」
彼女はあっさりとそう促し、優はお言葉に甘えて中に入らせてもらった。
優は応接のソファに腰掛け、恐る恐る周りを見渡す。事務所の中は、きれいに整えられた清潔感のある空間だった。テーブルを挟むように置かれた二人掛けのソファが二つ。奥にはパーテーションで仕切られたデスクスペースがあるようだ。
彼女は更に奥にある給湯室へ向かうと、振り返って柔らかく微笑んだ。
「コーヒー、飲める?」
「はい、ありがとうございます」
あたたかいコーヒーを受け取った優は、「いただきます」と緊張をほぐすように一口啜った。続いて向かい側のソファに彼女が腰を下ろし、一枚の名刺をすっと差し出してくる。
そこには『代弁屋ことのは 代表 一ノ瀬紬』と印字されていた。非常にシンプルだが洗練されたデザインで、隅の方に小さく『あなたの気持ちを代弁いたします』と添えられている。
「代弁……」優は思わず声に出して呟いた。
「そう。めずらしいよね。一ノ瀬紬です。代弁屋をやっています」
「代弁って、あの、代わりに言うっていう代弁ですよね」
「そうですよ。他に意味あるのかな。確かに珍しい職業だし、あまり信じてもらえないことも多いんだけどね」
そう言って紬はくすりと笑い、言葉を続けた。
「本人がどうしても言えないこと、それを代わりに私が伝えるの。言えない事情は人それぞれだけど、伝えないといけないことって絶対にあると思うから。言えなくて後悔してほしくないんです」
「じゃあ……あのファミレスで男性と話していたのは、そういうことなんですか?」
「はい、そういうことです」
言葉を選びながら慎重に尋ねた優に対し、紬はあっさりと頷いた。
「そうだったのか。なんか、会話がおかしいと思ったんですよ。一ノ瀬さんではなくて、まるでまったく別の第三者が発言しているみたいで」
「ふふ、そう感じてもらえたなら、私としてもプロ冥利に尽きるかな」
紬はどこか満足そうに微笑んだ。
言いたいけれど、言えないこと。確かにそういう想いは誰にでもあるかもしれない。優もそう思うが、それを彼女に言わせるのかと想像すると、ファミレスでの男性の激昂を思い出して少し怖くもなった。
「あの……しんどいと思ったことはないですか?」優は率直な疑問を口にする。
「しんどい、というか……そういう個人的な感情を挟むのは、想いを預けてくれた依頼主の方に失礼ですから。ただ真摯に、言葉の温度を伝えさせていただいていますよ」
強い人だな、と優は素直に感じた。この得体の知れない『代弁』という仕事と、目の前の一ノ瀬紬という女性に、優は純粋な興味を惹かれ始めていた。
「今まで、どういった代弁をしてきたんですか? すごく気になります。言える範囲でいいので、聞きたいです」
「んー、守秘義務があるから言えないことの方が多いんだけど。よくある事例だと、学生の子に代わって告白するとか、兄弟げんかの後にごめんなさいを伝えるとか、そういうのもあったかな。あとは、まあ……ちょっと言えないかな」
言えないこと。ファミレスでの一件も、言葉の断片から察するに、しつこい男性に区切りをつけたい女性が代弁を依頼したのだろう、と優は推測した。確かにプライバシーの観点から、軽々しく第三者に言える内容ではないと納得する。
「たとえば、男性の代弁をするときも一ノ瀬さんがするんですか?」
「そこなんですよね」紬は少しだけ困ったように眉を下げる。
「聞き取りをして、依頼主の人となりや伝えたいことを十分理解した上でお相手に伝えるんですけど……どうしても、男性の代弁は100%気持ちを理解しきれないことがあるのも事実です。私の実力不足な部分なんですけどね」
紬は難しい顔をして、自嘲気味に笑った。
「そうですか。……あの」
この時、どうしてそんなことを急に口走ったのか、優自身にもわからなかった。ただ、無意識のうちに勝手に口が動いていた。
「俺にも、できますか」
きょとんとした顔で、紬は優を見た。
優は、自分でも驚くほどまっすぐな目で、紬を見つめ返していた。
「男性の気持ちを理解して伝える。それなら……俺にもできますか」
「……やってみたいの?」紬が、探るような瞳で尋ねる。
「はい」優は力強く頷いた。
なぜだかわからない。ただ、ここで頷けば、何者でもない自分のモラトリアムな人生を、変えられるかもしれないと強く思ったのだ。
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