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15.この件を担当できてよかったと思います

 松井電気での代弁を終えた二人は、『ことのは』の事務所へと帰ってきた。


「お疲れ様、優くん」


 紬はいつものように、労うようにコーヒーを淹れてくれた。


「ありがとうございます」


 優はそれを受け取るとデスクに置き、天井を仰いで急に叫んだ。


「あーーーーっ! ほんっと、疲れた!」


 今までこんなに大きな声で感情を爆発させたことがあっただろうか。自分でも驚くほどの大きな声で、全身の疲れを吐き出した。


「ふふっ、相当疲れたんだね。わかるよ」


 紬はくすくすと笑いながら理解してくれた。それがなんだかひどく嬉しかった。


「ねぇ、紬さん。ひとつ聞きたいことがあるんですけど」


「ん? なに?」


「松井さんの代弁の件なんですけど……」


 ずっと気になっていた。どうして会って話すのも初めてだった、牛丼屋での視察でしか見ていない松井を、あれほど完璧にトレースできていたのか。どうして、松井が心に秘めていた言葉をあそこまで引き出すことができたのか。


 優はどうしても答えが知りたかった。彼女の技術に関しては一級品だとわかっているので疑っていないが、あの異常とも言える『適応力の高さ』の秘密が知りたかったのだ。


「知りたい? ……んー、でも今日はダメ。もう帰って休みな。明日のお昼過ぎに来て。そこですべて話すよ」


「えっ」


 なんでもったいぶるんだ? 優は疑問に思ったが、「明日教えてくれるなら」と、今日はその秘密を聞くことなく大人しく帰宅することになった。


「優くん、今日は本当にお疲れさま。初めての代弁、すごくよかったよ。今日はゆっくり休んで。また明日ね」


「はい、お疲れさまでした。紬さんもゆっくりしてくださいね」


 帰り道。すっかり外は真っ暗になっていた。夏の虫が鳴く路地を歩きながら、優は今日の代弁を思い返し、手の中に残る確かな手ごたえを感じていた。フラッシュバックする駐車場での出来事。今日、俺は初めて『誰か』になったんだ。


「あー、あー」


 小さく声に出し、自分の発する言葉がちゃんと『自分自身のもの』なのかを確認しながら、優は空に浮かぶ星を見上げていた。


 次の日。結局、優は昨晩一睡もできなかったのか、明け方までずっと起きていた。


 さすがに少し寝ないとと思って布団には入っていたのだが、頭の奥が興奮状態にあり、結局目を閉じたまま朝を迎えてしまった。そうこうしているうちに、寝ていないのにスマホのアラームが鳴り響く。


 誰を起こそうというのか。スマホの持ち主はとっくに起きているぞと言わんばかりに、優はいつもなら誤タップしてしまうアラーム解除の操作を、よどみない指の動きでこなした。


 頭は、完全に覚醒したままだった。


「寝れなかったか。もう諦めよう」


 実際睡眠が出来なくても横になって目をつむるだけで少しは睡眠と同等の効果があるとかないとか聞いたことがある。それを信じて優は睡眠を諦めた。


 お昼に来てね。という紬の言葉も気になって余計に寝れなかったのかもしれない。


 時刻はまだ7時。いつもなら眠気眼でダラダラとしている時間だったが、覚醒している状態では同じ時刻でも普段とまるで違っていた。優はめずらしくコンビニでコーヒーと新聞を購入した。大学入学後すぐは世界に対しての知見を深めたかった。なんて思ったりもして新聞を買って読んでいたが、結局自分は世界の中に存在してる価値があるのかと悩んだ時期もあって買わなくなってしまった。だけど代弁をするようになってもう一度いろいろと知りたいと思えるようになった。


 自宅に戻り新聞を読んでいると時刻は11時。移動時間を考えるとちょうどいい時間になっていた。


「そろそろ行こうか」優は自宅を出る。


 『ことのは』の事務所の前、今日も紬は花に水を上げていた。


「あ、優くん。昨日はお疲れ様」


 優に気づいた紬は笑顔で優に微笑みかける。いつもの紬だ。


「ちょっと早いんですけど、寝れなくて来ちゃいました」


 寝れなくてなんて、遠足前日の小学生のようで少し恥ずかしかった。ただ事実なので仕方ない。


「まぁ、中入って。コーヒー淹れるね」


 紬は優を迎え入れる。「ありがとうございます」優は自分のデスクに腰を掛け、時計を見る。時刻は12時半。何か食べてくればよかった。まぁ今は何も食べる気分でもなかったのでいいかとそんなことを考えていた時、コーヒーを淹れた紬も優にカップを渡し自分のデスクに腰を掛けた。


「昨日は大変だったね。お疲れ様」


「はい、でもいい経験でした。この件を担当できてよかったと思います」


 何気ない会話も大事だと思うが、優は聞きたかったことがあった。明日にと濁された件。口火の切り方がわからなかったので率直に尋ねることにした。


「あのー、昨日紬さんが明日にねと言った件なんですが……」


 気になっていただろうなという笑みを紬は浮かべていた。


「そろそろだよ」


 紬の言う意味が分からなかったが、その瞬間カランとドアベルが鳴った。お客さんかなと優は玄関の方を向く。そこに立っていたのは松井だった。


「いらっしゃいませ」


 紬が歓迎する。


「えっ、どうして……」優は困惑している。来るとすれば沢村ではないのか。松井がこの場にいること自体おかしい話だった。


「昨日はありがとう。あの後沢村と少し話をすることができた。退職願は引き下げるという事だ。優秀なスタッフが辞めないでいてくれてよかったよ」


「いえ、私たちはお互いの気持ちを代弁させていいただいただけですので、お互いがお互いを思いやった結果です。そのお手伝いをしただけですので、最良の結果になってよかったです」


 優はその会話に引っかかった。果たして最良の結果だったのか。良い結果だったのは間違いない。それ以前にこの状況を呑めていない。


「あのー……紬さん?これは」


「ごめんね。優くんには黙っていたんだけど、松井さんからも代弁の依頼を受けたの」


「えっ、どういうことですか?」


「優くん、松井さんにお茶を用意してもらえる?」


 紬は松井を応接室に案内し、ソファに腰掛ける。そしてコーヒーを淹れた優を交えて、紬と松井は優に経緯を語ってくれた。

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