16.……あいつに聞いてやってくれ
事の始まりはこうだった。松井電気への視察の日。お昼を食べたあとの別行動で紬は松井電気へ向かった。松井は車ですでに戻っていたので、遅れて紬も到着した。代弁当日の段取りを考えるためと訪れたのだが、牛丼屋での松井の態度と沢村の証言の違和感も探れればと思っていた。
そんな時、それは本当に偶然だったのだが、松井は駐車場に現れた。煙草を取り出し、喫煙スペースで一服をしていた。そこにもう一名現れた。「社長……」松井はそう言った。確かに紬はその顔を見たことがあった。会社のホームページに掲載されていた松井電気の社長、松井幸三だった。おそらく松井隆は社長の息子であろう。面影がはっきりとあるため、親子だ。そう紬は確信した。二人のいる喫煙スペースは駐車場の外れにあり、フェンス囲いの外からでも会話を聞くことができた。怪しまれないように木の陰から様子を伺った。
幸三と隆は何気ない会話をし始める。何かヒントを得られればと思っていた紬は注意深く会話を聞く。そんな中話題は沢村の話になった。
そこで交わされていた会話は、幸三社長も沢村のことを気にかけており、人の嫌がる作業を進んで行っていたことを知っているという内容だった。そして隆自身も、沢村のミスを社長に謝り、彼の将来を信じている旨を熱く語っていた。
聞くものは他に誰もいない。これは間違いなく、彼らの真実なのだろう。松井隆の『真意』を、この時紬は知った。
このまま、沢村の代弁を完遂させていいのだろうか。この件の本当のゴールはどこか。紬は深く考えた。
優はきっと、沢村の代弁をこなすだろう。本心を掴み、沢村の言葉を紡ぎ出すだろう。だが、それだけではこのすれ違いは終わらない。私にできることは何だろう。考えた結果、数日後、紬は松井隆に直接会いに行ったのだった。
松井と連絡を取ることは難しくなかった。会社の代表番号に連絡を入れ、なんとか彼と会う約束を取り付けた。
松井電気の近くの喫茶店。紬と優が代弁の直前に訪れることになるその場所で、二人は会う約束をしていた。紬が先に到着して待っていると、作業着を着た松井が現れた。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。『代弁屋ことのは』の、一ノ瀬紬と申します」
名刺を差し出すと、それを見た松井はひどく不審そうな、怪訝な顔をした。
「代弁屋……? なんの用だ。俺はそんなもの頼んだ覚えはないぞ」
早く切り上げたいのか、松井はそんな雰囲気を醸し出している。
紬は沢村と守秘義務の契約を交わしているため、「沢村が退職の依頼をしてきた」とは口が裂けても言えない。だが、どうしても聞きたかったこと、引き出したかったことがあった。
「ええ。ですが、松井さん。あなたは今、ご自身の部下との接し方について悩んでいらっしゃいませんか?」
「は?」
「沢村耕平さんのことです」
その名前が出た瞬間、松井の眉がピクリと動いた。
「あなたは彼に期待している。彼の見えない功績も知っている。先日、駐車場で社長とお話しされているのを偶然耳にしました。……ですが、あなたのその不器用で厳しい態度のせいで、沢村さんは今、完全にあなたの本心を誤解し、潰れかけています」
松井は反論しようと口を開きかけたが、何も言えず、奥歯を噛み締めた。図星だったのだ。
「このままだと近いうちに、彼から取り返しのつかない悲しい決断を突きつけられることになりますよ。それでもいいのですか?」
紬のまっすぐな眼差しに射抜かれ、松井は大きくため息をついた。そして、頭をかきむしる。
「……わかってる。俺は口が悪いし、不器用だ。あいつが怯えてるのもわかってる。だけど、どう接していいかわからねえんだ。あいつには、俺の右腕になってほしいと本気で思ってるのに……」
松井の吐露した言葉は、まさしく彼が心の奥底に抱えていた『本心』だった。
紬は小さく微笑んだ。
「なら、その本当の気持ち……私が沢村さんに届けましょうか?」
「えっ」松井は驚いて顔を上げた。
「代弁屋は、本人が伝えられない『言葉の温度』を、そのまま相手に届ける仕事です。あなたの不器用な本心を、彼に100%伝わる形で代弁させていただきます」
松井はじっと紬の目を見た。その瞳の奥にあるプロとしての覚悟を感じ取ったのか、やがて深く頷いた。
「……あんたなら、俺の不器用な本心を、あいつに伝えられるっていうのか」
「はい。絶対にお届けします」
「なら……頼む。俺の気持ちを、沢村に代弁してくれ」
こうして、松井からの依頼も秘密裏に成立した。
それが、昨日紬が駐車場で『松井の逆代弁』を行った、すべての真相だった。
「……というわけ。お互いがお互いを思いやっているのに、すれ違っていたから。だから私は、松井さんからの依頼も秘密裏に引き受けたの」
応接室で紬の種明かしを聞き終えた優は、あまりの展開に言葉を失い、ポカンと口を開けていた。
「すべては……紬さんの掌の上だったのか」
優は呆然と呟いた。だが同時に、これまでの奇妙な感覚がすべて線でつながり、胸のつかえが下りるように腑に落ちていった。
「黙って勝手に動いてごめんね。でも、優くんには沢村さんの代弁を一人で成功させてほしかったし、優くんなら絶対に成功するって信じていたからこそ……あのタイミングでの、松井さんの代弁だったのよ」
紬が優しく微笑みかける。
ゴホン、と松井がわざとらしく咳払いをし、二人の会話を遮るようにテーブルへ白い封筒を差し出した。
「今回の依頼料だ。受け取ってくれ」
紬は両手でそれを受け取り、深く頭を下げる。
「ありがとうございます。今回の完了報告書は、改めて御社に送付いたしますね」
「いや、いい。昨日の駐車場でのやり取りがすべてだ。報告書も不要だよ」
松井が笑って手を振る。確かに、依頼者である松井本人が、言葉が届く瞬間をその場ですべて見届けていたのだ。今さら他人行儀な紙の報告書など無粋だろうと、優も素直に頷いた。
「かしこまりました。ではお言葉に甘えて、今回、報告書は省略とさせていただきます」
紬が再び礼を述べる。
仕事はこれで完全に終わった。松井が立ち上がり、『ことのは』の事務所を去ろうと背を向けたところで、優は思わず声をかけていた。
「あ、あの……松井さん。沢村さんは、その後どうでしたか?」
昨日、自分たちが駐車場を去り、松井と沢村が二人きりになった後。あの不器用な二人の間で、一体どんな会話が交わされたのか。それがどうしても気になって、優はつい引き留めてしまったのだ。
松井は振り返り、ふっと口角を上げた。
「俺からは言わない。……あいつに聞いてやってくれ」
そう言い残し、松井はひらひらと手を振って帰っていった。
優は、出過ぎた真似をしてしまったかと少し後悔した。しかし、松井の乗った車が走り去ってすぐのことだった。
カラン、と心地よいドアベルを鳴らして、再び事務所の扉が開いた。
「いらっしゃいませ……あっ」
そこに立っていたのは、作業着姿の沢村だった。
優は思わず息を呑んだ。今までの彼に張り付いていた、しきりに視線を泳がせるような臆病な雰囲気はすっかり消え去っている。まるで憑き物が落ちたように晴れやかな顔で、沢村はまっすぐに優たちの方を見ていた。
その堂々とした姿を見た優は、自分の代弁屋としての初めての仕事が、確かにこの人の人生を変えたのだという実感を強く抱き、自然と微笑みがこぼれていた。
とりあえず一区切りです。
このお話はもう一章あってその後最終章を予定しています。
すこし更新の感覚が空くと思いますがよろしくお願いいたします。




