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ルーファの救済  作者: 伊丹 喜助
3章

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「ルーファ様、またその絵本を読んでいらっしゃるのですか?」

「あ、うん。やっぱり気になって」


 自室で本を読んでいると後ろからセツが声をかけてきた。セツの鼻を撫でると私の頬に顔を擦り寄せてくれる。


「おかえり、セツ。見回りをありがとう」

「いえいえ。私が勝手にやっている事ですから。特に今日はリベラが研究室にいますし」


——ニチカが襲われて3ヶ月。この3ヶ月、レイ帝国は行方不明になっていたリベラが戻ってきた事で大騒ぎであった。戻ってきたリベラの容姿がまるきり変わっていた事も騒ぎの大きさに影響していたのかもしれない。


 リベラの頬から顎にかけては花脈のような痣が浮かび、碧眼の瞳には黒い靄が浮かんでいる。髪は切られ、白に限りなく近い金髪へと変化していた。一体何があったのかと帝国騎士団が捜査を進める中で、リベラは、ルビナール商会の商人にニチカを人質に脅された上で襲撃され、誘拐されていたところをベイリー家の私兵団によって助けられたのだと供述した。このリベラの供述を受けて帝国騎士団は騒然とした。


 このリベラの供述内容は、私のお願いを聞いてもらった形だ。


 当初、リベラは私の誘拐未遂に関わっていた事を自白しようとしていたのだけれど、私がそれを望まなかった。貴族——特に帝国政治に深く関わる重臣とその家族の誘拐は国家反逆罪に問われる。リベラがスローパー家の人間であってもそれは変わらない。国家反逆罪で捕まれば、最悪死刑だ。リベラの立場では流石に死刑とはならないだろうけれど、どこかに生涯幽閉される事にはなるだろう。


 リベラは被害者でもある。捕えられるのを見過ごせなかったというのも理由としてはあるけれど、これから起こる悲劇を回避する上で、リベラが必要だと思った。彼女の頭脳で乗り越えられる場面はきっと多くある。だから味方に引き入れたい打算があった。


「最初にルーファ様がリベラと今後もデゼスの研究を進めたいと言い出した時は驚きました。私としてはなるべくリベラと距離を取ってほしいのですが」

「ごめんね。でも、今回の件のお礼として、リベラ様はちゃんと秘伝の薬を手配してくれたし、『攻撃内包型・代替免疫操作術』に頼らない形でデゼスの特効薬も完成に向かっている」

「それはそうですけど……」

「それに、リベラ様はベイリー家に恩を感じている。彼女を救った事もそうだけど、何より弟を救った事に恩を感じている。そこから裏切られる可能性はかなり低いと思うの。裏切りの可能性が低い味方を得る事ができたと思っているよ」

「ルーファ様……」


 心情的には納得がいかないのかセツはぶるぶると頭を振った。セツには負担をかけてばかりだ。


「ごめんなさい、セツ」


 振り返り、セツの鼻を抱き締める。嫌な思いを飲み込ませている。セツは私の一番の味方なのに。

 顔を上げるとセツの目が優しげに私に向けられていた。


「ルーファ様が謝られる事は何もございません。未来を見据えての決断をされたまでですから。ただ、ルーファ様のお気持ちを考えるとどうも憤ってしまい。決まった事なのにいつまでも文句を垂れてすみません」

「ううん。私を想ってくれているって事だから。ありがとう」


 改めて抱き締めると、セツがゴロゴロと喉を鳴らす。少し戯れていたけれど、セツの目が私の背後にちらりと向いた。


「そう言えばルーファ様、その絵本……気になった事があると仰っておりましたが」


 私がイヅル国から取り寄せた絵本——イヅル国の始まり。イヅル国では何百年も語り継がれている童話で、史実を元にして作られたのだそう。イヅル国の歴史書にも、神獣の聖女と呼ばれている女性が神獣を連れて各地を巡り、後にイヅル国を建国したといった内容の記述がある。


「うん。何というか……違和感があって」

「違和感ですか?」

「絵本の中ではお弟子さんが聖女様を神殺しの剣で殺してしまうじゃない? でも、何で神殺しの剣なんだろうって。まるで聖女様を人間だと思っていないみたいだなって」


 歴史書や絵本でも聖女は人間だという記述がある。妖魔ではなく、秘術の扱いが特別できる人間。弟子であるならば、聖女とはある程度、関係が近かったはずだ。相手が人間だという事を実感しやすい立場だったんじゃないかと思ったのだけれど。


「神殺しの剣ってそう簡単に手に入らなさそうな武器なのに、人間を殺すためにわざわざ準備しているのがね。お弟子さんという立場なのに、民衆視点に感じる」


 セツは目を見開いて私を見ている。セツから情報を引き出そうとしているように見えただろうか。そんなつもりは無かったため、慌てて口を開く。


「で、でも、聖女様は、お弟子さんの立場から見ても神殺しの剣でなければ殺せないと思わせるような人だったのかもしれないね。ちょっと考え過ぎだったかも。忘れてほしいな」


 この絵本を取り寄せてすぐの頃、セツにこの絵本の話は全て事実なのかと尋ねた事がある。セツは契約上答えられないと言っていた。でも、セツの表情はどこか切なげで。建国の聖女をとても大切に想っていた事が窺えた。


 ふと、部屋のドアを控えめに叩く音がした。


「アルデルファ様、パトリシアです。スローパー様より言伝を預かっております」


 隣にいるセツは嫌そうに顔を顰めたけれど、私の頬を舐めると、胸に飾っているペンダントに入っていった。


「どうぞ、入ってください」


 パトリシアを部屋の中に促すと、彼女は一礼し部屋へと入ってきた。


「スローパー様が間もなくお帰りになるのですが、その前にお茶でもいかがでしょうとお誘いいただいております。いかがいたしますか?」

「もちろん、喜んで。パトリシア、準備をお願いできますか?」

「畏まりました」


 リベラは3ヶ月前の事件のお詫びとして、秘伝の薬の提供とデゼスの研究に手を貸してくれる事に同意してくれた。以降は、リベラの都合が良いタイミングで、ベイリー家に足を運んでもらい、研究に参加してもらっている。

 今回のようにタイミングが合えば一緒にお茶をする事もある。もちろんリベラに前科がある以上、護衛がついてという条件にはなるけれど。


「すぐ向かうと伝えていただけると助かります」


 もう季節は秋だ。どこでお茶をしようか。考えを巡らせながら私はパトリシアの助けを借りながら支度を進めた。

 

◇◆◇


 ベイリー家の庭園の木々は、秋を謳歌するようにその衣を一斉に変えていた。夏は一様に瑞々しい葉をつけて、陽の光を生き生きと浴びていた木々達が、今はその葉を紅色、黄色、褐色へと変化させている。華やかではあるものの、役割を終えた葉がはらりはらりと地に落ちていく様子を見ていると物寂しさを覚える。ソウマはどうしているだろうか。


 ソウマがベイリー家を離れてから季節が一つ終わりを迎えた。多忙を極めるのだろう。この3ヶ月間、ムギの姿も見ない。ムギの使い魔らしき子達が遠巻きに私を見守ってくれているのを感じてはいるけれど、ソウマとの繋がりは少なくなっていた。

 それとは対照的に、新聞では何度かソウマの活躍が報じられるようになった。村人を脅かしていた山賊を退けた、氾濫した河川を鎮めた、イヅル国内の汚職事件の解決に関わったなど、3ヶ月の間に成し遂げたとは思えないほどの功績が次々と報じられていく。離れたレイ帝国でも活躍が報じられるほどだ。イヅル国ではさらに大騒ぎになっているのだろう。


 ソウマの活躍を嬉しく思う。師匠に裏切られた絶望を抱えながらも、そこから持ち直し、レイ帝国で訓練を重ね、イヅル国に戻り、功績を残している。そのソウマの努力をとても誇らしく思っているのは事実だ。けれど、それと同時にソウマがどんどん遠い人になってしまっているという焦りがある。広い世界で幸せを掴んで欲しいと願っているはずなのに、取り残された気になっている自分が嫌になる。純粋にソウマの活躍だけを喜んでいたいのに。


 悶々と考えている内に、リベラと会う約束をしていた東屋に到着する。既に着席していたリベラは、私と目が合うなり、立ち上がって丁寧にカーテシーをしてくれた。私も同様にカーテシーをとる。私達を囲うように護衛達が配置されており、お茶をするには少し物騒な雰囲気ではあるが、今までの事があるため仕方がない。


「大変お待たせいたしました、リベラ様。お誘いいただきありがとうございます」

「いえ。私も今到着したところです。アルデルファ様も朝は領地での視察があったと伺いました。お忙しい中お時間を作っていただき感謝いたします」

「視察もすぐ終わりましたので、どうかお気になさらないでください。楽にしましょう」


 挨拶はそこそこに私とリベラは席に着く。テーブルにはかぼちゃのタルトや、栗のマフィンなど、季節に合わせた焼き菓子が並んでいる。テーブルの傍ではパトリシアが紅茶を淹れてくれており、温かく甘い香りが広がった。


「ニチカ様のお加減はいかがですか」


 ニチカの話を振ると、リベラは嬉しそうに顔を上げて柔らかく笑った。本当にニチカが大切なのだと分かる。


「おかげ様で、かなり回復しております。日常に戻りつつありまして、来月には公務に戻れそうです。あと、アルデルファ……あ、お薬のお話です。薬との相性も良く、現状補給機無しで過ごせておりまして。アルデルファ様にご配慮いただいたおかげです」

「それは何よりです。回復しているようで安心いたしました。兄の蘇生術も来月に控えていると聞いています」

「ええ。ベイリー家の皆様には頭が上がりません」


 今回の一連の出来事を受けて皇帝の命により、ニチカは蘇生術で兄の治療を受ける事になった。魔導管炎損病の完治が目的だ。

 皇帝は今回のスローパー家の事件を重く見ており、言い方は悪いが、付け入る隙を無くすため、完治を命じたと言われている。スローパー家は帝国政治に深く関わる重臣だ。今回のような事が何度も発生するのを避けたいのは理解できる。


「以前アルデルファ様には、イファデール様の治癒を希望しないと偽りを述べましたが、私としてはニチカには一刻も早くイファデール様の治療を受けて欲しかったのです。父にもずっと訴えてきましたが、聞き入れてもらえず」

「そうだったのですね。理由はリベラ様が私にお話した内容でしょうか」

「ええ。ご推察の通りです。父の言葉を借りました。大変無礼な発言でした……申し訳ございませんでした」

「リベラ様は実際にそうは思っていないのでしょう? それに、大切な人の命に関する事ですので、危機感を覚えるのも当然かと思います」


 蘇生術は治癒した相手の身体の構成を覚えてさえいれば、例え相手に触れていなくとも、好きなように乗っ取る事ができる。それをリベラの父、レヴォンが恐れたのだろう。

 リベラは眉を下げ、困ったように表情を崩す。今までたくさんもどかしい思いをしてきたのだろう。


「話は変わりますが、アルデルファ様、先日レイ帝国とイヅル国の国境付近で野盗が捕えられた話を知っておりますでしょうか? 実は今日はこの話がしたくてお誘いしたのです」

「野盗? いえ、恥ずかしながら知らず。いつの話ですか?」

「3日前です。国境付近で意識を失っている集団を国境警備隊が発見し、連行するに至ったそうです。どうやら野盗の馬車にイヅル国の違法薬物が積まれていたのだとか。その野盗、ルビナール商会の紋章を馬車につけていたそうです」

「え?」


 ルビナール商会は、リベラの誘拐を企てたとしてファビエル伯爵が帝国騎士団の尋問を受けている。商会も皇帝の指示により帝国騎士団の立ち入り捜査が行われており、現在は無期限の営業停止となっているはずだ。営業どころではないはずなのに、どうして国境付近にルビナール商会の紋章をつけた一派がいたのだろうか。


「それで昨日聞き取り捜査のため登城したのですが、捕えられた者の中に私を脅迫していたあの商人がいました」

「そんな事が」

「ええ。かなり痩せ細っていましたが、忘れはしません。間違いなくあの商人でした。その場ですぐに証言しましたわ」


 リベラは怒りを抑えるように固く拳を握っている。

 リベラを脅迫した商人は実のところ見つかっていなかった。潜伏していたと思われるザケニアにも帝国騎士団の捜査が行われ、違法賭博施設の摘発および閉鎖するまでに至ったけれど、結局はルビナール商会に関わっている人物は見つからなかった。それが今になってこんな形で見つかるだなんて。


「そんな事があったのですね。相手と顔を合わせるのはお辛かったでしょう」

「いえ、これは私が受けるべき罰ですから。それぐらいは向き合わねばなりません」


 リベラはきっぱりそう言い切る。彼女への配慮の言葉は受け付けないという、強い意思が見えた。


「まだ帝国騎士団の捜査が進められている段階ではありますが、行方知れずの人間が捕まった事を取り急ぎお伝えしたかったのです」

「そうだったのですね。お心遣いありがとうございます」


 私に少しでも安心して欲しかったのかもしれない。目の前のリベラは紅茶に口をつけつつも、少しだけ私の様子を窺っているようだった。


 リベラは、人の目を射抜くように見つめながら淡々と一定のトーンで話をする事が多い。それ故に威圧感があるのだが、行動の端々に彼女なりの優しさを感じる事があった。

 今日だけじゃない。この3ヶ月、彼女と話す機会は何度もあった。もしかして配慮してくれているのかもしれないと、ふと気がつかせてくれるような優しさをリベラは持っている。お互いがお互いに恐怖を感じていた時期もあったけれど、でも、今ならば——そこまで考えたところで、考える事を止めた。私はセツに、リベラは私に恩を感じているから、裏切る可能性の低い味方だと打算的な説明をしていたのに。リベラと違う関係を結べたらと少しでも脳裏をよぎった自分が嫌になる。


「アルデルファ様は……ソウマ様との結婚を考えているのですか?」

「ん? ……え!? ソウマ様!?」


 まさかここでソウマの話題が出るとは思わず、大声を上げてしまう。


「アルデルファ様を驚かせるつもりはございませんでした。すみません」

「いえ、私もはしたなく驚いてしまい……失礼いたしました。ただ、その、リベラ様からそのようなお話が出るとは思わず」

「あ、それはその……こちらにいらっしゃる前に何だか寂しそうな表情をされていたので、それが気になって」


 そうだったのか。確かにリベラと会う前にソウマの事を考えていたけれど、寂しそうに見えていたのか。心の中を覗かれたようで恥ずかしい。ソウマの事を考えていると他人の目には寂しそうにしていると映っているのか。


「えっと、そう、ですね。その、ソウマ様の事はお慕いしておりますので」

「そうなのですね。ソウマ様の行方が分からなかったこの3年はさぞお辛かった事でしょう。ソウマ様の無事が分かった後もこうしてイヅル国で保護されたままですから……お察しいたします」

「ご丁寧にありがとうございます」


 リベラがここまで寄り添った言葉をかけてくれるとは思わなかった。リベラは私の痛みを実際に感じているかのように眉を垂らしていたけれど、すぐにその表情を引っ込めると、姿勢を正し、私を真っ直ぐ見つめる。


「ただ、恐らくイヅル国に蔓延る反帝国派はムスビ家とベイリー家の婚姻を許さないでしょう。話を戻しますが、ルビナール商会の商人が私に接触をしてきたのは3年前——ソウマ様が行方不明となった時期です。ソウマ様が帰還された途端アルデルファ様を連れ去るように指示が出た事を考えると今回の誘拐未遂事件は反帝国派が絡んでいてもおかしくはないと考えています」


 時期を考えるとそうだろう。レイ帝国内の貴族の中では、立場や年齢を考慮すると、私もしくはリベラがソウマの婚姻相手に適している。

 私がいなくなればソウマとの婚姻の話もなくなるし、後からリベラが私の誘拐に加担したのだと発覚すれば、リベラも婚姻相手の候補からは外される。そうなればソウマの立場に合う相手は帝国内にはいなくなるわけだ。そう考えると件の商人は、最初からリベラを使い捨ての駒として考えていた事になるわけだ。腹が立つことこの上ない。


「ええ。その可能性はありますね。これまでムスビ家はレイ帝国内の貴族と婚姻を結んだ事はありませんから。そうなると、今まで問題になっていないだけで反帝国派の妨害を受けてムスビ家が帝国内貴族と婚姻が成立していなかった可能性がありますね。その線でムスビ家の過去の婚姻に関する情報を調べれば黒幕の情報が得られるかも……」


 そうだ。そうなのだ。リベラと話をして今更ながら気がついた。ムスビ家がこれまでレイ帝国内の貴族を婚姻相手として選ばなかったのは不自然なのだ。その線で調べてみよう。ベイリー家の偵察隊に調査を依頼するのがいいかもしれない。或いは、父はもう気がついているのかもしれない。まずは父に話をしてみる事から考えるか。悶々と考えていると、ふと、名前が呼ばれている気がした。顔を上げるとリベラが心配そうに私を見ていた。


「アルデルファ様、黒幕を捕える事は重要ですが、どうか今後このような話は心の内に留めておいてください。誰が聞いているかも分かりません。ましてや、私はアルデルファ様に危害を与えた相手です。私が言えた事ではありませんが、どうかお気をつけください。ソウマ様のお側にいたいのならば尚の事です」


 リベラの言う通りだ。思いついた事を口に出し、その後思考に耽っていた。あまりにも軽率だった。


「仰るとおりです。肝に銘じます」


 リベラは深く頷く。私のこういった軽率さを狙われたのかもしれない。改めて慎重になるべきだ。それに、想定外に自分がリベラに心を許している事に驚いた。あんなに怖い目に遭ったのに。私は自分が恐ろしくなった。このままでは大切な人を危険な目に遭わせてしまう。


「私の方でもムスビ家に関して色々調べてみます。何か分かれば連絡します。思うところもたくさんありますので」


 ムスビ家の話はそこで終わり、デゼスの研究の話を少ししてからリベラとのお茶はお開きとなった。

 

 その数日後、ペリシアンから私宛に手紙が届いた。婚約者候補として話ができないかといった内容が綴られていた。

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