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『幼馴染じゃ足りないって、先に言ってよ』 朝霧律 × 星野灯真 #1

##1


朝霧律あさぎり・りつは、昔から静かな男だった。


感情を大きく出さない。怒鳴らないし、騒がない。

教師にも同級生にも、いつも同じ温度で接する。


だから周囲からは、何を考えているのか分からないと言われていた。


でも、星野灯真ほしの・とうまだけは知っている。

律が、自分には少しだけ甘いことを。


****


小学生の頃。

転校してきたばかりの律は、教室の隅で一人、本を読んでいた。


誰かに話しかけられても短く返すだけで、休み時間も給食も、いつも一人だった。

そこへ、灯真が来た。


「なあ、お前いつも一人だな!」

「……別に」


「俺、星野灯真! 今日から友達な!」

「勝手に決めるな」


「じゃあ明日も来る!」


律は本から顔を上げた。

何なんだ、と思った。


うるさい。距離が近い。勝手に笑う。

なのに、次の日も、その次の日も、灯真は律の隣に来た。


給食の苦手なおかずを押しつけてくる。放課後に勝手についてくる。雨の日は当然みたいに律の傘へ入ってくる。


「律、傘でかいな!」

「灯真が勝手に入ってきただけ」


「いいじゃん、友達だろ!」


律は何も言わなかった。

けれど、灯真が来ない日は、教室が妙に広く感じた。


その時にはもう、律の生活の中に、灯真の席ができていた。


****


高校二年。


「律ー、腹減った!」


放課後の教室で、灯真は机へ突っ伏していた。


「さっき昼休み終わったばかり」

「俺の腹はもう次の時間割に進んでる」


「意味分からない」


そう言いながら、律は鞄から小さな包みを出した。

サンドイッチだった。


灯真が顔を上げる。


「え、また作ってくれたの!?」

「朝、余った」


「絶対俺用じゃん!」


灯真は嬉しそうに笑い、包みを受け取った。


律は否定しなかった。

本当は、灯真が卵サンドを好きなことも、トマトが多すぎると残すことも、最近朝食を抜きがちなことも、全部覚えている。


覚えようとしたわけではない。

気づいたら、灯真のことばかり見ていた。


「うまっ。律の飯、ほんと好き」


律の指が止まった。


「軽く言うな」

「え? 好きって?」


「……何でもない」


灯真は不思議そうに首を傾げる。

その無自覚さが、律の胸を静かに乱す。


灯真は昔からそうだった。

誰にでも明るい。誰にでも優しい。誰の隣にも自然に入っていける。


けれど律にとって、灯真の隣は、もうずっと前から自分の場所だった。


****


ある日。

灯真は女子に囲まれていた。


「星野くんって優しいよね」

「今度、一緒に遊びに行かない?」


灯真は困ったように笑っている。

その笑顔を見た瞬間、律の胸に、冷たいものが落ちた。


灯真がこちらに気づく。


「律!」


一瞬で、笑顔が明るくなる。


律は安心した。

安心してしまった自分に、少しだけぞっとした。


「灯真、帰るよ」

「うん!」


灯真は当然みたいに律の隣へ来た。

帰り道、灯真はいつもの癖で律の制服の袖を掴む。


「なあ律」

「何」


「俺さ、お前といる時が一番楽」


律は足を止めた。

灯真もつられて止まる。


「……律?」


「灯真」

「うん?」


「他のところへ行くな」


灯真が目を丸くする。

律は自分でも驚いていた。


そんな言葉を口にするつもりはなかった。

けれど一度出てしまえば、もう戻せない。


「灯真は、俺の隣にいればいい」


静かな声だった。

怒っているわけではない。


でも、軽くもない。

灯真の顔が、じわじわ赤くなった。


「……へへ」


「何」

「なんか、嬉しい」


律は言葉に詰まる。


灯真はいつもそうだ。

こっちが必死で押さえているものを、何も知らない顔で、簡単にほどいてしまう。


****


夜。

灯真は、当然みたいに律の部屋にいた。


幼い頃からの習慣だった。

テスト勉強をすると言って来たはずなのに、灯真は早々にベッドへ倒れ込んでいる。


「律、布団あったけぇ」


「勉強は」

「休憩」


「始めてもいない」

「心の準備してた」


律はため息を吐く。

けれど、毛布をかける手は優しい。


灯真が目だけを動かして、律を見る。


「なあ律」

「何」


「もし俺が雄女化したら、どうする?」


律の手が止まった。

雄咲市では、成人後に“子宝の実”を選び、雄女になることができる。


声も体も少し柔らかくなり、婚姻も、家族を持つこともできる。

灯真がその選択をする未来を、律は考えたことがあった。


考えたくなくて、何度も考えた。


「灯真は灯真だろ」


「……それだけ?」

「それだけ」


灯真は少し笑った。


「そっか。律ならそう言うと思った」


律は灯真から目を逸らした。


それだけ、のはずがない。

もし灯真が雄女になったら。


もっと目を引くようになったら。

誰かが灯真を欲しがったら。


灯真が、自分以外の隣を選んだら。

その想像だけで、息が苦しくなる。


「律?」

「寝ろ」


「え、冷た」

「明日、朝起こす」


「それは助かる」


灯真は笑って、律の毛布に潜り込む。

その無防備な寝顔を見ながら、律は小さく息を吐いた。


昔から、灯真の朝を起こすのは自分だった。


灯真の腹を満たすのも、自分だった。

灯真が怖い夢を見た時、隣にいるのも、自分だった。


だったら。

この先も、そうでありたいと思うのは、欲張りなのだろうか。


****


冬。

灯真が高熱を出した。


「っ、さむ……」

「動くな、灯真」


律は濡れタオルを替え、体温計を確認した。


熱は高い。

灯真は頬を赤くし、ぼんやりした目で律を見上げている。


「律……」


「水飲める?」

「ん……」


律が身体を支えると、灯真は律の服を掴んだ。

離したくないみたいに。


「帰んな」

「帰らない」


「……よかった」


弱った時だけ、灯真は素直になる。

律だけに。


その事実が嬉しくて、苦しい。


「律」

「何」


「俺、お前に嫌われたら死ぬ」


律の中で、何かが静かに壊れた。


「灯真」


律は灯真を抱き締めた。

熱い身体が腕の中に収まる。


灯真が驚いたように息を呑む。


「そんなこと言うな」


律の声は、普段より少し低かった。


「俺が灯真を嫌うわけない」


「……律」

「灯真がいない未来なんか、考えたことがない」


ずっと黙っていた。


幼馴染だから。

近すぎるから。

壊したくなかったから。


でも、もう無理だった。


「俺の人生、最初からずっと灯真がいる」


灯真の目が揺れる。


「幼馴染じゃ足りない」


灯真の頬を、涙が伝った。


「俺も……」


震える声だった。


「俺も、律が誰かのものになるの嫌だ」


律は目を見開く。

灯真は熱に浮かされた顔で、それでも必死に言葉を続けた。


「律がいないと、朝起きられないし、飯もちゃんと食えないし、怖い夢見た時も駄目で……」

「灯真」


「俺、ずっと甘えてるだけだと思ってた」


灯真は律の服を強く握った。


「でも違った」


涙で濡れた目が、律を見た。


「律じゃないと嫌なんだ」


律は、もう何も言えなかった。

ただ灯真を抱き締める。


いつもみたいに守るためではなく。

初めて、自分のものにしたいと思いながら。

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