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『狼獣人に“番”認定されました』 獅丸虎太郎 × 羽白晴臣 #2

##2


****


成人して、晴臣は雄女になる事を選んだ。


悩んだ末の事。

雄女化すれば、身体が変わる。


声も、肌も、匂いも変わる。

晴臣にとって、それは少し怖かった。


自分が自分ではなくなるような気がした。

けれど、虎太郎の隣にいる未来を考えた時、逃げる気にはなれなかった。


虎太郎は、何度も言った。


「晴臣は俺の群れ」

「晴臣がいい」


「番になって」


その言葉は重い。

でも、嘘がない。


晴臣も、もう分かっていた。

虎太郎の隣にいるのは怖い。


けれど、虎太郎のいない場所へ戻る方が、もっと落ち着かない。

だから選んだ。


虎太郎の番になる未来を、晴臣自身の意思で。


****


処置後。

晴臣は鏡の前に立っていた。


肌の質感が変わっている。

声も、少し柔らかく響く。


輪郭も、以前よりどこか中性的になった。

晴臣は眉を寄せる。


「……何か、落ち着かない」


自分の姿を見て、胸がざわつく。

虎太郎はどう思うだろう。


見た目の変化に驚くのか。

匂いが変わったと言うのか。


それとも。

番として、ちゃんと自分を見つけてくれるのか。


その時、扉の向こうで足音が止まった。


「晴臣」


虎太郎の声だった。

晴臣の心臓が跳ねる。


「……入っていい」


扉が開く。

虎太郎が入ってきた。


そして、晴臣を見た。

何も言わなかった。


ただ、耳がぴんと立つ。

尻尾が床を一度、強く叩く。

喉の奥で、低い音が鳴った。


ごろ、と。


狼の唸り声に似た、けれど怒りではない音。

晴臣の背筋が震える。


「虎太郎?」


虎太郎は動かない。

目が晴臣から離れない。


それから、ゆっくり近づいてきた。

晴臣は思わず一歩下がる。


「な、何か言え」


虎太郎は晴臣の前で止まった。

鼻先が、晴臣の首筋へ近づく。


「っ、嗅ぐな」

「無理」


低い声。

虎太郎は深く息を吸った。


次の瞬間、喉がまた鳴った。

さっきより低く、強い。


「……匂い、変わった」


晴臣の顔が熱くなる。


「変?」


虎太郎は首を振る。


「違う」

「じゃあ何だよ」


虎太郎の目が、暗く熱を帯びる。


「俺の番の匂い」


晴臣の心臓が跳ねた。


「っ、そういう言い方やめろ」

「やめない」


虎太郎の手が伸びる。

けれど、触れる直前で止まった。


晴臣はその手を見る。

虎太郎は、待っている。


以前なら、本能のままに抱え込んだかもしれない。

でも今は、晴臣が許すのを待っている。


それが分かって、胸が熱くなった。


「……触っていいか、って聞け」


晴臣が言う。

虎太郎の耳が揺れた。


「触っていいか」

「……いい」


その瞬間、虎太郎は晴臣を抱き締めた。


強い。

でも、痛くない。


全身で囲い込まれる。


「近い」

「近くないと落ち着かない」


「出た」

「晴臣」


低い声。


「離れるな」


命令みたいで、願いみたいだった。

晴臣は虎太郎の服を掴む。


「離れない」


虎太郎の喉が、嬉しそうに鳴った。


「だから鳴るな」

「無理」


晴臣は、虎太郎の胸に額を押し付けて、小さく笑った。


****


雄女化してから、虎太郎の反応は明らかに変わった。

もともと距離感がおかしかった男が、さらにおかしくなった。


晴臣が部屋に入ると、まず顔を上げる。

匂いを確かめる。


隣に座る。

尻尾で足元を囲う。


「虎太郎」

「ん」


「尻尾」

「逃げないように」


「逃げる前提やめろ」

「離れると落ち着かない」


「お前の情緒、全部俺にぶら下げるな」

「無理」


晴臣はため息を吐く。

でも、尻尾をどかせとは言わない。


ふわりと足元を包まれると、確かに温かい。

悔しいけれど、安心してしまう。


「……俺も、ちょっと落ち着く」


小さく呟くと、虎太郎の耳が勢いよく立った。


「本当か」

「今のなし」


「聞いた」

「忘れろ」


「無理」


虎太郎の尻尾が、嬉しそうに揺れた。


晴臣は赤くなりながら本を開く。

文字はまったく頭に入らなかった。


****


婚姻手続きの説明を聞きに行く日。

晴臣は緊張していた。


雄女化した。

虎太郎と恋人になった。


番になると言われた。

それでも、正式な書類を前にすると、現実味が違う。


虎太郎は隣でやけに静かだった。


耳が立っている。

尻尾も、椅子の下で落ち着きなく動いている。


「お前、緊張してる?」


晴臣が小声で聞く。

虎太郎は短く答えた。


「してる」


素直すぎた。


「意外」

「晴臣を、俺の群れに入れる書類だろ」


「言い方」

「違うのか」


晴臣は少し黙る。

職員が説明する。


婚姻に必要な書類。

同居予定。

家族登録。


番という言葉は制度上の正式名称ではないが、狼系獣人の婚姻では、互いの意思確認が重要だと説明される。


晴臣は書類の文字を見つめた。

虎太郎の群れになる。


でもそれは、虎太郎に所有されるという意味ではない。

自分で選んで、隣に立つことだ。


「虎太郎」

「ん」


「俺、群れに入れられるんじゃないからな」


虎太郎がこちらを見る。

晴臣はまっすぐ言った。


「俺が、自分で入るんだからな」


虎太郎の目が、少し揺れた。

それから、深く頷く。


「分かった」

「ほんとに?」


「晴臣が来る」


虎太郎は、ゆっくり言葉を選んだ。


「俺は、待つ」


晴臣の胸が熱くなる。


「……お前、成長したな」

「群れを怖がらせたくない」


「そういうところだぞ」


虎太郎は少し首を傾げた。

晴臣は照れ隠しに書類へ視線を戻す。


それでも、繋いだ手は離さなかった。


****


新婚生活の準備は、予想以上に大変だった。

理由は主に虎太郎だった。


「寝室はここ」


「即決するな」

「晴臣が安心して眠れる」


「俺の意見を聞け」

「聞く」


「じゃあそのベッドのサイズは何だ」

「大きいやつ」


「説明が雑!」

「尻尾も入る」


「お前の尻尾基準で家具を選ぶな!」


家具屋の店員が笑いをこらえている。

晴臣は頭を抱えた。


虎太郎は真剣だった。

本当に、自分の尻尾で晴臣を包んで眠るつもりらしい。


「虎太郎」

「ん」


「俺はぬいぐるみじゃない」

「知ってる」


「知ってるなら、寝具の基準を俺の意思にしろ」


虎太郎は少し考えた。


「晴臣は、どれがいい」


晴臣は拍子抜けした。

ちゃんと聞いた。


少し前の虎太郎なら、無言で自分の本能に従ったかもしれない。

でも今は違う。


「……これ」


晴臣は、少し硬めのマットレスを指差した。


「腰痛くなりにくそう」

「じゃあ、それ」


「即決?」

「晴臣が選んだ」


また重い。

でも、嫌じゃない。


晴臣は顔を赤くしながら言った。


「……枕はお前もちゃんと選べよ」

「晴臣の隣なら何でも眠れる」


「そういうことを店で言うな!」


虎太郎の耳が嬉しそうに揺れた。


****


同居の準備が進むにつれ、虎太郎はさらに晴臣の匂いに敏感になった。

晴臣が外から帰ると、玄関で待っている。


「ただいま」

「ん」


虎太郎は近づく。


「待て。まず手洗い」


「先に匂い」

「手洗い!」


「少しだけ」

「駄目!」


虎太郎は尻尾を下げた。

晴臣はため息を吐く。


「手を洗ったら、少しだけな」


耳が立つ。

分かりやすい。


晴臣は笑いそうになるのをこらえた。


手を洗って戻ると、虎太郎は当然のように晴臣を抱き締めた。

首筋へ鼻先を寄せる。


深く息を吸う。


「……帰ってきた」


低い声。

その一言が、晴臣の胸を柔らかくする。


「俺の方が言う台詞だろ」

「晴臣の匂いが家に戻った」


「言い方が独特すぎる」

「でも落ち着く」


虎太郎の腕が少しだけ強くなる。

晴臣は、抵抗しなかった。


怖いと思っていた腕の中が、いつの間にか帰る場所になっている。

そのことに気づくと、少し照れた。


「……ただいま」


小さく言い直す。

虎太郎の喉が低く鳴った。


「おかえり」


その声は、晴臣が今まで聞いたどの声よりも優しかった。


****


ある晩。

晴臣は、自分の変化について少し不安になっていた。


雄女化してから、周囲の目が前より増えた気がする。


虎太郎が隣にいる時は誰も近づかないが、一人の時には視線を感じることもあった。

それが嫌というより、落ち着かなかった。


自分は変わった。

でも、変わりすぎたのだろうか。


図書室で本を整理しながら、晴臣は小さく息を吐いた。

そこへ、虎太郎が来た。


「晴臣」

「ん」


「匂い、沈んでる」

「匂いで気分を読むな」


「分かる」


虎太郎は隣に立つ。


「何かあったか」


晴臣は少し黙った。

それから、正直に言った。


「見られるのが、ちょっと落ち着かない」


虎太郎の耳が低く伏せる。


「誰に」

「そういう圧を出すな」


「言え」

「違う。誰かに何かされたわけじゃない」


晴臣は本を棚へ戻した。


「ただ、雄女化してから、前と見られ方が違う気がして」


虎太郎は黙って聞いていた。

晴臣は続ける。


「俺は俺のままだと思いたいけど、たまに分からなくなる」


虎太郎の大きな手が、晴臣の手へ触れた。


「晴臣は晴臣」


低い声。


「匂いが変わっても、声が変わっても、俺が分かる」


晴臣の目が揺れる。

虎太郎は、晴臣を見つめた。


「本棚の前にいる匂い」

「何だそれ」


「眠い時、少し甘くなる匂い」

「やめろ」


「怒ると、尖る匂い」

「本当にやめろ」


「俺に飯くれた時の匂いも覚えてる」


晴臣は言葉を失った。


虎太郎は短い言葉しか持たない。

でも、虎太郎なりに、ずっと晴臣を覚えていた。


見た目ではなく。

匂いで。


声で。

気配で。

自分だけの方法で。


「だから」


虎太郎は、晴臣の手を握る。


「変わっても、晴臣」


胸が熱くなる。

晴臣は、視線を逸らした。


「……ずるい」


「何が」

「そういう時だけ、ちゃんと言葉にするところ」


虎太郎は首を傾げる。


「晴臣が不安なら、言う」

「普段からもう少し言葉を選べ」


「努力する」

「ほんとか?」


「晴臣のためなら」


また重い。

でも、その重さがもう嫌ではなかった。


****


同居初日。

晴臣は、新しい部屋の真ん中に立っていた。


本棚。

机。

二人分の食器。


尻尾も収まる大きなベッド。

色々おかしい。


でも、ちゃんと二人で選んだものばかりだった。


「……本当に一緒に暮らすんだな」


晴臣が呟く。

虎太郎が隣へ来る。


「うん」


「不安じゃないのか」

「晴臣がいる」


即答だった。


「だから落ち着く」


晴臣は少し笑った。


「お前は単純でいいな」


「晴臣は?」

「俺?」


晴臣は部屋を見回す。

怖くないと言えば嘘になる。


この先、番として、夫夫として、虎太郎と暮らしていく。

虎太郎の本能も、独占欲も、重い愛情も、きっと毎日浴びることになる。


でも。


「……落ち着くよ」


晴臣は正直に言った。

虎太郎の目が少し見開かれる。


晴臣は顔を赤くしながら続けた。


「お前の匂いがするから」


言った瞬間、虎太郎の喉が鳴った。

ものすごく嬉しそうに。


「鳴るな!」

「無理」


「本当に分かりやすいな!」


虎太郎は晴臣を抱き締めた。


大きな身体。

温かい腕。

ふわりと足元を包む尻尾。


「晴臣」

「何」


「俺の群れ」


その言葉に、晴臣はもう怒らなかった。

代わりに、虎太郎の背中へ手を回した。


「……俺の狼」


虎太郎が固まった。


耳が立つ。

尻尾が止まる。


晴臣は勝った気がした。


「何その顔」


「もう一回」

「言わない」


「晴臣」

「言わない」


「俺の狼」


虎太郎が自分で呟いた。

晴臣は真っ赤になる。


「自分で言うな!!」


虎太郎は嬉しそうに晴臣を抱き締めた。


****


その夜。

晴臣は、新しいベッドの端に座っていた。


虎太郎は床に座り、晴臣の膝に頭を乗せている。

完全に大型犬。


いや、狼。


「重い」

「落ち着く」


「俺の膝は枕じゃない」

「晴臣の匂いが近い」


「だから言い方」


虎太郎は目を閉じている。

尻尾がゆっくり揺れていた。


晴臣は、その銀色の髪にそっと触れる。

虎太郎の耳がぴくりと動いた。


「嫌か?」

「嫌じゃない」


虎太郎は目を閉じたまま答える。


「晴臣に触られるの、好き」


晴臣の顔が熱くなる。


「……そういうことは、もう少し照れて言え」


「何で」

「俺が困るから」


虎太郎は目を開けた。

じっと晴臣を見る。


「困るの、嫌か」

「嫌じゃないけど」


「じゃあ言う」

「待て」


「好き」

「待てって言った!」


虎太郎の喉が低く鳴る。

晴臣は手で顔を覆った。


この先、本当に大変だ。

でも、きっと退屈はしない。


怖くて、重くて、不器用で。

なのに、誰よりも真っ直ぐ自分を求めてくる狼。


その狼の群れになることを、晴臣は自分で選んだ。


「虎太郎」

「ん」


「明日も図書室行くからな」

「一緒に行く」


「本読めよ」

「晴臣見る」


「本を読め!」


虎太郎は少し笑った。

その笑い方が、以前よりずっと柔らかい。


晴臣は、その顔を見て胸が温かくなった。

孤独だった狼が、自分の隣で笑っている。


それだけで、選んでよかったと思った。


「……まあ」


晴臣は小さく呟く。


「隣にいるくらいなら、許す」


虎太郎の耳が立つ。


「ずっと?」


晴臣は視線を逸らす。


「……ずっと」


虎太郎は、晴臣の膝に額を押し付けた。

喉が低く鳴る。


幸せそうな音だった。

晴臣は、今度は止めなかった。

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