婦見舅姑(翌朝の挨拶)
地坤は嫁ぐと、「香妻」という身分になる。
「正妻」ではなく、唯一天乾を胎に宿せる希少性から、使用人に近い立場の「側妻」とも区別される。それが一般的な扱いである。
正妻として娶ること──それが、花家当主・花采琳が弟の夫となる者に求めた条件だった。
地坤を妻に持てるのは、天乾のみ──つまり名門の御曹司であることが多く、そうした家門は、有力な姻戚との結びつきを求めて良家の令嬢を正妻に迎えるのが常である。
その上、花采琳の出した条件は一つではなかった。
何があっても夫から離縁しないこと──たとえ子供を産めない、地坤としては致命的な妻であったとしても。
この鉄壁の門前払いを突破し花家の末っ子を迎えるために、新郎の母である景大夫人の果たした役割は大きい。というより、彼女の獅子奮迅の働きがなければ、たった百日で華燭の典まで漕ぎ着けるのは不可能だった。
景大夫人は三品官の妻であり、五品官の母である。順番待ちの高名な術士と陰陽人、儀礼を仕切る四司六局(婚礼の専門業者)を、権威と人脈、そして札束で即座に動かすことができた。
正式な求婚から婚礼まで、通常早くて半年はかかる──ところを、相性を占い、結納を済ませて法的な婚姻が成立するまでを一月弱、並行しておよそ百日ですべての婚礼の支度を調えたのである。最も時間をかけたい婚礼衣装は、贔屓にしている刺繍店を三月丸ごと貸し切り、職人たちに不眠不休で彩らせた。
この結婚の何もかもが気に入らない花采蓉も、辣腕家の義母には興味を引かれていた。
母は幼い頃に亡くなり、当主以外は男女を問わず香妻として嫁ぐ花家には、五年前から乳母と料理人、そして下女以外の女っ気がない。
武家の名門・趙家の嫡女、趙婉寧──景大夫人は、結婚前の数年間、皇宮に上がり皇后のお側近くに仕えていた経歴の持ち主である。高潔な人柄で知られ、開封の社交界でも屈指の賢夫人として尊敬を集めている──というのは、情報通の次兄の受け売りだ。
といっても、わざわざ婚家の情報を次兄に確認したわけではない。本心では根掘り葉掘り聞きたくても、手の平を返して婚礼の準備を進める次兄とは、なるべく話さないようにしていた。
それでも身上書に記載のない噂話まで知っているのは、婚約期間中、夕食の席で次兄が誰にともなく語ることに、興味のない素振りで聞き耳を立てていたからである。──甥は先に済ませてその場にいない、たった二人の食事に、独り言もないのだが。
そうした不自然な一人語りの最後を、次兄はいつもこう締め括った。
『ようやく迎える嫁なのだから、母として敬えば大切にしてくれるだろう』
返事はしなかったが、そう言われた夜、花采蓉は寝床でこっそり泣いた。
請われて嫁いでも、婚家のために尽くしても、踏み躙られた妻がいる。それなのに何故、と。
花家当主としての務めに忙殺されながら、弟の婚礼の支度も一切手を抜かなかった花采琳。
その言葉が嘘ではないことは、婚礼の翌朝の儀式──新妻が義父母にお茶を献じて挨拶をする「婦見舅姑」で証明された。
「義父上、どうぞお茶をお召し上がりください」
「孝」は、社会秩序の土台とされる。
最も優先されるべき社会規範であり、義父母に礼を尽くすのは当然のことである。
自身の振る舞いが実家の名誉に関わるため、花采蓉は睡眠不足で重い頭と体を奮い起こして、早朝の儀式に臨んだ。
景氏の家長にして、正三品吏部尚書の重職にある景惟清は、息子と同じく天乾である。景氏は、代々天乾を家長に戴く文人の一族として知られる。
花采蓉を香妻ではなく正妻とする息子の結婚に、両親が異議を唱えなかったのは、三十手前という晩婚でもようやく息子が身を固める決意をし、熱望した相手が次代の天乾を産める地坤だからだろう。
最大の不孝は子孫を残さぬこととされる世で、本家の跡継ぎが一向にその義務を果たそうとしないことは、一族の長年かつ最大の懸念事項だったのである。
景惟清は、孫のような年齢の嫁が恭しく茶托を捧げる様子を、感慨深げに見守った。受け取った茶を飲み、労いと祝辞を述べると、続く言葉で花采蓉を驚かせた。
「知っての通り景家は代々文人の家柄であり、その知の源泉は蔵書楼であると言っても過言ではない。落ち着いたら、芳修も足を運んでみなさい。花家の蔵書には及ばないかも知れないが、医籍の聚成はなかなかのものだ」
「蔵書楼……僕、いえ私も、入ってよろしいのですか」
「勿論だとも。芳修は儒医を目指して学んでいるのだろう。我が家は、学問の徒の志は最大限尊重する」
「家のことは、これまで通り私が差配しましょう。先のことも考えていますから安心なさい」
義母にまでにこやかに言い添えられ、花采蓉は戸惑いを隠せない。
家長の正妻として家を差配するには、大変な時間と労力を必要とする。嫁が来たならば、次代の女主人として家政のすべてを仕込み、さっさと優雅な楽隠居をしたいのが姑というものである。
思い描いていた義父母との対面とは随分異なり、調子が狂う。それでも気を取り直し、まずは失礼のないように義母にお茶を献じた。
「義母上、どうぞお茶をお召し上がりください」
「男女七歳、席を同じうせず」という。
邸宅と呼べる規模の住居は、中門を境に二つの世界に分かれている。表の外院は政の場であり、中門の奥に広がる内院は、女たちの囁きが支配する家族の住まいである。
外院は、主人の書斎と客間、未婚の息子の寝室などが並ぶ、「公」の場。
内院は、女主人が管轄する家族の空間であり、原則的に男子禁制の「私」の聖域。
二つの世界を自由に行き来できるのは家内の妻帯者だけであり、妻妾と娘たちが外院に足を踏み入れることはない。稀に許される外出時に通り抜けるだけである。
昨夜の鬧洞房では、家族以外の男たちが、内院にある夫婦の寝室の中庭までなだれ込んだが、婚礼というハレの場のめでたい儀式、という特別な例外である。礼を重んじる景家では、普段は中門の前に門番がおり、許された者以外の出入りを厳しく見張っていた。
蔵書楼は、外院を拡張した外書院と呼ばれる区画にある。代々の当主が収集した蔵書は、質量ともに開封屈指の呼び声高く、文人が集う風流な場としても名高い。
花采蓉にとって、景家の蔵書楼は憧れの場所だった。冠礼の加冠役を承諾してくれたお礼と挨拶に、次兄とともに景家を訪ねた時、塀越しの蔵書楼の威容に圧倒された。
成人したらいつでも見に来られるように取り計らおう、と景哥が請け負ってくれた時には、天にも昇る心地がしたものだ。しかし冠礼の後すぐに縁談が持ち上がり、彼の妻──内院に閉じ込められる存在となることが決まった。
憧れの蔵書楼は、近くにありながら、最も遠い場所になるはずだった。
「約束しただろう、好きなだけ書を読めるように取り計らうと。昨夜も言ったが、閉じ込めるために君を妻にしたわけではない」
「景大人……」
そう言われて無邪気に喜ぶほど、子供ではない。
以前とは違う。景廷毅とは、理由もなく向けられる好意を信じられる関係ではなくなった。
義父母の温かい言葉も、どのような裏が隠されているのかと勘繰って当然である。
しかし景大夫人が態度を変えたのは、戸惑うだけで礼も言えない花采蓉に対してではなかった。
「『景大人』……?」
武家の娘らしい威厳をたたえ、大夫人は詰問した。
「廷毅、お前、一体何をしたの」
「私は何も」
「何もしていないなら、何故芳修は『大人』などと──」
「夫人」
声を尖らせた妻を、落ち着いた声が宥める。
夫がさり気なく新婦に目線を送っているのに気づき、大夫人は小さく咳払いをした。
「そうね、朝餉にしましょう。お腹が空いているでしょう、芳修。思い出すわ、私も婚礼の日は殆ど何も食べられなくて、気絶しそうだった。だから義父母との初めての朝餉なのに、つい箸が止まらなくて……」
「美しい所作ながらも見事な食べっぷりに、父上も母上もすっかり貴女を気に入ったのだったな。私に言わせれば、数多い貴女の美点の一つに過ぎないが」
「まあ、郎君」
聞いている方が照れてしまうおしどり夫婦ぶりに、花采蓉は目を丸くする。
何事も、礼を重んじる世である。
家族とはいえ人前で、夫婦がこれほど率直に愛情表現をするのは珍しい。ついその息子に目を向けるが、動じる様子もなく両親のやりとりを眺めている。いつものことなのだろう。
朝餉の間、花采蓉はこっそり義父母を観察した。
正三品という高い官位にある夫が、妻にあれこれとおかずを取り分けて勧めている。妻も夫の好物を小皿に取り分け、互いがいなければ食事が成り立たないような睦まじさである。
次兄によれば、義父にはかつて側妻と香妻がおり、どちらもすでに亡くなっているが、存命中も正妻である景大夫人への愛情は揺らがなかったという。二人を娶ったのも、跡継ぎを儲けるためだった。
地坤より平庸を求める天乾などいるのだろうかと半信半疑だったが、次兄の情報の精度は高いようだ。
義父母は、性別に惑わされない、敬意を土台にした情愛で結ばれている。その絆が、とても崇高なものに思える。
婚礼を済ませて正式に夫婦となった以上、景廷毅との新しい関係を構築していかなければならない花采蓉にとって、二人の様子は眩しくも遠い光景だった。
裏切られたという気持ちは強いが、景廷毅は一生をともにする相手となった。義父母のように円満でなくても、互いに空気のように、傷つけ合うことなく過ごしたい。
そのためには、わだかまる不満に蓋をして、なるべく感情を波立てないようにするのが一番に思える。
蔵書楼には足を運んでもいいようだが、自由に外出し見聞を広めていた花采蓉の世界は、景家の内院に封じられてしまった。格段に狭く逃げ場のない場所で、これ以上自らを追い詰めることはしたくない──。
それぞれの思惑を隠して、家族の食事は和やかに終わった。
退出しようとする若夫婦に、大夫人が声を掛ける。
「廷毅は残りなさい。話があります」
「はい、母上。芳修、一人で戻れるか」
夫の問い掛けに、花采蓉は頷く。
内心、ほっとしていた。今はなるべく二人でいたくない。
「義父上、義母上、失礼いたします」
義父母に挨拶し、花采蓉は侍女を従えて廊下に出た。
中庭に面して並ぶ建物群が、塀に囲まれている。それを一単位として、南北の一直線上に、また入れ子状にいくつも接続するのが、四合院と呼ばれる大邸宅の様式である。
規模は異なるが、花家も四合院の屋敷である。基本的な造りは同じなので迷うこともなく、花采蓉は、中庭にいくつも置かれた鉢植えの菊を眺めながら回廊を進んだ。
季節は、重陽を過ぎたばかり。澄んだ朝の空気の中、露に濡れた菊の佇まいが、凛として美しい。
(素敵なご夫婦だな、お互いを大切にされていて)
六十を超えてなお仲睦まじい義父母だが、二人の間に子供はいない。天乾である景廷毅は、香妻が産んだ息子である。
景廷毅の生母は、幼い息子を残して病死している。養育は景大夫人によって行われたが、血の繋がらない嫡母と庶子の関係が実の母子に劣るものではないことは、朝食の短い時間でも見て取れた。
子供を産めなくても、夫に尊厳を傷つけられることなく、母となった妻もいる。
地坤である以上、花采蓉には訪れることのない未来である。
今のところ、景家の人々は、正妻として嫁いだ地坤を尊重する方針のようだ。家族内でどのような取り決めをしたのか、義父母は花采蓉を字で──成人男子として呼んだ。天乾を産む性ではなく、儒医を志す一人の人間として見てくれた。
しかしそれは、いずれ必ず跡継ぎを産むという前提の待遇だろう。
昨夜、景廷毅と交わした取引を思い出し、花采蓉は、うーんと唸りながら腕を組んだ。
『誰にも言ってはいけない。二人だけの秘密だ』
抱き込まれた腕の中、耳元に囁かれた言葉。
目先の恐怖から逃れるために、よく考えずに飛びついてしまったが、──よく考えてみても、あれは取引ではなく、一方的な譲歩だった。
新婚初夜に《《事》》が成らないのは縁起が悪いとされ、また《《成果》》を確認する侍女も控える中、新郎新婦は立派に初夜を──演じた。
直接肌を合わせ、それぞれ悦を極めたが、肉体は結ばれなかった。妙な言い方だが、花采蓉は今も処女である。
とはいえ、景廷毅は色々なことをして、花采蓉もさせられた。
褥に伏せたり、胡坐をかいた夫の上に向かい合わせで座ったり。
侍女に聞かせるのが肝要なのだ、と景廷毅は言った。寝台が軋む大胆なやり方で、妻の秘めた肌を味わい、果てた。
快楽を得る道具にされたようで、花采蓉は屈辱を感じたが、自身も気持ちよくされてしまったから文句は言えない。景廷毅の行為は決して独り善がりではなく、献身的で、執拗だった。
もういい、嫌だと泣き言を洩らす口を吸われ、くぐもった悲鳴すら奪われながら、二度も極めてしまった自分に非はない──はずだ。あんなに熱心に脆いところを弄られたら、誰だっておかしくなるに決まっている。
半ば気絶するようにそのまま眠りに落ち──気がつけば夫の腕の中、朝を迎えていた。
濃密な初夜だった。
大仕事をやり遂げた達成感すらある。が、──《《あれ》》では子はできない。
『……そんな死にそうな顔をするな。怖がらなくていい、契るのは、芳修が望むようになるまで待とう。ただ婆やを欺かなければならないから、私のすることを受け入れてくれ。──これからも、すべて』
景廷毅が持ちかけた取引を、改めて思い返してみる。
怯えて動けない妻を抱き寄せ、宥めるように背を撫でる夫の声はやさしかった。ぽんぽんと頭まで撫でられ、込み上げるものに、つんと鼻の奥が痛くなった。
目元を相手の肩口に押し付け、滲んだ涙を誤魔化しながら、花采蓉は頷いた。
それほど、名実ともに妻に──雌に変えられることが怖かった。たった百日で、覚悟などできるはずがない。
普段であれば、子供扱いには断固抗議する花采蓉も、この時ばかりはありがたく甘んじたわけだが──それでも、なかなか大変な初夜を経験したのだが──目の前の危機をやり過ごした今は、取引の目的が気になってくる。
義母の居所を出た花采蓉は、広い中庭の真ん中で足を止めた。
重陽の節句のために飾られた菊は、小花の群れるようなものから大花の一輪咲きまで、実に見事だ。遠くから眺めるだけでは勿体ない。
(実家では婚礼の支度で、花を眺める余裕もなかったな……)
とはいえ、忙しくしていたのは次兄と使用人たちで、三男坊は強引な結婚に抗議して、自室に閉じ籠っていただけなのだが。
嫁ぎたくない理由、それを次兄が許していた理由を知っているのに、突然手のひらを返し求婚した時点で、景廷毅が地坤の意思よりも天乾の論理を優先したのは明らかである。花采蓉が最も忌み嫌う、天乾の所業だ。
許すことはないと、景廷毅もわかっているはずだ。五年前、傷つき泣きじゃくる子供を抱きとめて、何も言わず一晩中側にいてくれたのは彼なのだから。
結局のところ、天乾の跡継ぎを儲け、早く両親を安心させたいというのが本音なのだろう。
そして確かに、跡継ぎさえ生まれれば、花采蓉も重荷から解放される。夫には側妻を迎えてもらって、義父母に注意されない範囲で、里帰りや参詣と称して外出するのも自由になるはずだ。
ただし、地坤として熟したあの日──精通を迎えた五年前のあの夜、誰にも嫁ぐものかと心に決め、以来地坤ではなく男として、儒医の卵として生きてきた歳月を、すべて否定することになる。
(天乾でなくても、優秀な人はたくさんいるのに。自分が天乾だからといって、どうして子供にまでそれを求めるの?)
見方を変えれば、景大夫人に息子がいたとしても、香妻の子である景廷毅が家を継ぐのである。正妻にして愛妻の嫡長子を跡継ぎにできない状況は、景家に冷ややかな緊張をもたらしたに違いない。
嫡庶も性別も関係ない。子供は等しく尊いものなのに。
(……阿月は今頃、論語を音読しているかしら。それとも、二哥と薬草園の手入れかな)
結婚を拒んだ二つ目の理由──目に入れても痛くない、大切な甥っ子がすでに恋しい。
花家の宝。三兄弟の希望の光。
あの子の成長を、長兄と義姉の代わりに、ずっと側で見守るはずだった。
阿月を思えば、子供が欲しいと願う景廷毅の気持ちはよくわかる。
学友の弟を長年慈しむほど、子供好きな彼のことだ。たとえ平庸の子が生まれても、跡継ぎにしないだけで、愛情深い父親になるに違いない。
(いくら地坤は数が少ないからといって、よりによって、どうして僕なの。景家の香妻なら、嫌がる地坤なんて僕以外はいないのに)
この百日の間、毎日、何度繰り返したかわからない問い。答えは見つからず、与えられもしなかった。
だから嫁いでもなお、こうしてまた無限の問いに戻り、いつまでもくすぶっている。
自分が産むのでなければ、景家に子供が誕生したなら、花家の慶事のように喜んでお祝いに駆けつける。心から健やかな成長を祈り、一族の益々の繁栄を寿ぐだろう。
──そう、誰の子であろうと子供は尊くて、問題は親なのだ。
何故、花采蓉が選ばれたのか。
何故、選んだのが景廷毅なのか。
十一も離れているが、年の離れた幼馴染として親しんできた仲なのに──納得もできないうちに、夫として真に受け入れることなどできるはずもない。景大夫人のように、「郎君」などと呼び掛けられるわけがない。
もう景哥でもない。他人行儀な「景大人」で十分である。
昨夜彼は、契るのは、花采蓉が望むようになるまで待つと言った。周囲の圧力に耐えられずこちらが折れるのを待つつもりなら、お門違いというものである。
こちらこそが、待つつもりなのだ。
彼が折れて謝るのを。──それを受けて、いずれ自分が内院で過ごす日々の惰性に負け、なし崩しに地坤の運命に埋没するのを。
次兄ほど自分が強い人間ではないことを、花采蓉は知っていた。嫁いでしまった以上、妻の勤めを果たし、花家の名誉を守らなければならないこともわかっていた。
次兄は、吹けば飛ぶような名誉など気にしなくていいと言ってくれるだろうが、そうではない。心に蓋をして生きていくにしろ、家を離れた知らない場所の居心地を、つらいものにしたくない。誰も味方のいないところで、後ろ指を指されながら暮らしたくない。
つまりは、我が身が可愛いのだ。
自身の卑小さに肩が落ちるが、非情なまでに鍛錬され鋼の意志を持つに至った次兄とは、そもそもの土台が違うのだから仕方がない。
なるようにしかならない、と花采蓉は腹を括った。まだ結婚二日目の朝である。
義父母の態度は冷たいものではなかったし、自身の弱さに嫌気はさしても、すっかり絶望する状況ではない。
(ああ、天から子供が降ってこないかしら)
この百日ほどで煮詰まった現実逃避が、寝不足の頭を焦げつかせる。
欠伸を堪えながら中庭を出て回廊に戻り、また一つ角を曲がった時、
「爹爹っ」
甘えて舌足らずな、幼い声。
天からではなく膝下に、産んだ覚えのない子供が飛び込んできた。




