星の導きに微笑む女帝
朝。近所の薬草屋から仕入れた月の雫をミルで挽き、ハーブティーを淹れる。
この清涼な香りが好きだ。
月の雫を湿らせた布で、タロットカードを1枚1枚丁寧に浄化していく。
月の雫を受け取る時、薬草の値段が変動するかもしれないと聞いた。
詳しくはわからないのだが、上の方が騒がしくなっていると商人仲間達が囁きあってたそうだ。
「何が起こるかわからないからね…蓄えておくんだよ?」
こんな話もできる程に馴染めてきたのだろうが。
正直、蓄える余力がないのだ。
今の生活で精一杯。
そして世の中の値段が上がれば、真っ先に切り捨てに合うのも目に見えている。
生活する中で、占いは嗜好品程度の価値しかない。
まず主食には敵わないから。
…タロットを拭く手が止まっていた事に気付き、思いを振り払いながら浄化を続けた。
朝のルーティンも終わり、清涼な香りが店内を満たし始めた頃、路地裏では普段聞かない音が響き渡ってきた。
多分、立派な馬車なのだろう。音でわかる。
店の前で音が止まり、客となって現れた。
「…あぁ。この香り…あの頃と少しも変わらないな」
入って来たのは、上質な外套を身にまとった初老の男だった。
彼は懐かしむように、店の隅にある先代の水晶玉を眺めている。
私の視線に気付いたのか、はにかみながら向かって歩を進める。
「…失礼したね。私は昔、ここの先代に命を救われた者でね。当時、ほぼ一文無しの行商人だったんだがね。先代の星の導きに従ったおかげで、今では王都に店を構えるまでになったんだよ。今日は、あの時の御礼と新たな岐路について相談したくてね」
私は頷き、対面の椅子へと促す。
「どうぞ。こちらへ」
月の雫のハーブティーを淹れ、差し出す。
商人の男は、綺麗な所作でお茶を一口飲んだ。
ふぅ。
吐き出した息は重い。
成功の裏で、どれ程までに重い責任を背負って来たのだろうか…その苦労を思わせる。
「相談の方なんだが…迷っているんだ。ある貴族の方から話しがあってな。ざっくりと言うと大規模な独占契約を結ばないかというものでな。商人からすれば、諸手を上げて喜ぶ所なんだが…少々怖じ気付いてしまってな…」
お茶を一口飲み、息を吐く。
「それよりも、商会を広げずに信頼できる仲間との交易を深めた方が良いのではないか?と、迷ってしまってな…」
「それでは、分かれ道のその先を視てみましょう」
タロットカードを広げ、円を描くように混ぜ合わ、集中。貴族との契約か、仲間との交易か。
タロットを1つにまとめ、3つの山に分け、再び1つにする。
二者択一のV字スプレッド
最初のカードをめくる。
「この札は、あなたの現在の状況を表しています。ペンタクルの10。あなたは既に多くの富と信頼を築いています。全てにおいて強固な基盤が整い、安全で満たされた状況ですね」
「ま、まぁ、そうだな…」
軽い咳払いをして、お茶を一口飲む。
「こちらは、貴族との契約を選んだ場合どうなるか、の札です」
最初の札の左上にあるカードをめくる。
「剣の7。計画の達成の為に手段を選ばず、周りを出し抜く形での契約とみられます。そのやり方が不誠実ととられ、周りからの信頼を損ねるかもしれません。細心の注意をして物事を進めなければなりません」
ヒュッと息を吸う音が聞こえた。
「こちらは、仲間との交易を深めた場合の札です」
隣のカードをめくる。
「ペンタクルの3。その仕事へ向き合う姿勢から、周囲にも能力を認められるようです。また周囲の協力で何かを成し遂げるともあります」
ふぅ。お茶を一口飲む。呼吸はなだらか。
「貴族との契約を選んだ場合の結果です」
左上のカードをめくる。
「なっ?!」
老商人の息が詰まったようにみえた。
その後、呼吸が荒い。
「悪魔。絵柄は恐ろしいですが、呪いなどという効力はありませんよ?札からは警告を受けるだけですから…」
「警告…?」
「はい。他の恐ろしげな絵札も、それ自体には何の効力もありません。ただ、恐ろしげな絵柄で注意や警告を促してくれるのです」
「そうか…」
お茶を一口飲み、息を吐く。
「では、続けますね?悪魔。条件の悪い職場に縛られることになります。また甘い誘惑により困難な事態を招き、損害を出すでしょう。同時に、自分の意思で抜け出せると示唆しています。勇気を持ってその環境を変える努力が必要です」
「環境…まさか、貴族の…?」
「…おそらくそうでしょう。というよりは」
そっと剣の7に触れ、悪魔を眺める。
冷たく絡みつく鎖のイメージが浮かぶ。
「冷酷な貴族社会の絡みつく鎖…の感覚がありますね…」
乾いた笑いが萎む。
そのタイミングで最後のカードをそっとめくる。
「仲間との交易を深めた場合の結果は、女帝。仲間との絆が深まりより協力し合えるでしょう。物質的な豊かさだけでなく、精神的な充足と次世代へと続く繁栄を意味します」
「…なんと美しい姿か…微笑んでいるな」
長く深く息を吐いた。
「これは占いですから、確定したものではなく、未来の可能性の1つとしてみて下さい。どちらの運命を選ぶのも、あなた次第。何を成すかもあなた次第です…」
「…そう、だな。私次第で商会の運命が変わるかもしれないのだな…」
お茶を飲み、溜息を吐いた。
とても重い、溜息だ。
カタン
店の隅から小さな音が聞こえた気がした。
老商人にも聞こえたようで、共に視線を向ける。
特に何もない。
物が倒れた様子もない。
ただ先代の水晶が鈍く光るだけ。
いや?一瞬、いつもより強く光った?
「…先代の後押しか。そうか…そうだったな」
「?」
老商人にだけ感じる何かがあったのだろうか?
いや、先代の言葉が老商人に届いたのかもしれない。
老商人が女帝のカードを見つめ、つられるように私も視線をむける。
女帝の微笑みに、先代の微笑みが重なる。
「いや、失礼したね。先代に言われた言葉を思い出したんだよ。『足元を照らす灯火を見失うな』とね」
ああ…そうか。
彼も先代からの言葉を受けていた1人だ。
灯火を感じていた1人なのだ。
「どうやら、貴族の華やかな光に目が眩んで、足元が見えなくなっていたようだ…」
老商人は頷くと、さっぱりとした晴れやかな笑顔を浮かべた。
カップを引き寄せた老商人の手が止まる。
お茶を飲み切ったようだ。
「新しいのを用意しますね」
「…お願いしよう」
月の雫のハーブをミルで挽き、ハーブティーを淹れる。今回は、私の分も。そっと机に運ぶ。
老商人にお茶を差し出す。
その瞬間までずっと、老商人の視線はタロットカードに向かっていた。
「ありがとう。お嬢さん…この絵札は随分と美しいが、数も多いのだね」
「はい。78枚あります。運命の数に見合うだけあるとは言えませんけどね」
「…違いないかもしれんな」
ゆっくりとお茶を飲むと小さな溜息。
「お嬢さん。あなたは、先代とは全く違う方法で視ているが、この温かさは受け継いでいるのだね…」
「…私も先代から戴きましたから」
穏やかな微笑みを老商人に向ける。
「あぁ…そうだね。そのようだね」
うんうん。老商人は数回頷き、何か閃いたのだろうか?パチリと大きくまばたきをした。
「お嬢さん。あなたは灯火を受け継いだ人だ。きっと、これからも多くの迷える人々を照らす事になるだろう」
「私は、ただここにいるだけです…きっかけを伝えるだけですよ…」
「それがいいのだよ…いてくれる。照らしてくれる。そんな存在に支えられると思えば、また歩いて行けるんだよ。私の大切な知人にも、そんな存在を必要としてる人がいてね?この店の事を伝えたら、たいそう喜んで貰えと思うんだよ」
大切な知人…十中八九、御貴族様ではないか。
厄介事の臭いがする。
あの日の地面の冷たさが、背中を這い上る。
断らなくては!
「あなたはここにいて、照らしていてくれるだけで、きっとその人の足元にも灯火は届くと思うんだよ…」
「…きっかけが必要ならば、私のする事は変わりません」
老商人は静かに頷き、机の上にジャラリと音のする小袋を置いた。
銅貨の音ではなかった。
私はゆっくりと静かに首を振る。
「ここでは、誰であっても数枚の銅貨で結構です。それが先代から受け継いだこの場所の掟ですから」
老商人は驚いたように目を見開いた後、向けてきた眼差しに敬意と優しさが混ざっていた。
「失礼したね。近い内に、私の知人が訪れると思うけど。よろしく頼むよ」
そう言って、数枚の銅貨を机の上に置き直し、ゆっくりと去って行った。
鈴がカランと音を鳴らす。
老商人が去った後、路地裏には再び静寂が戻って来た。
この銅貨は重く、それでいて温かい。
夜。魔石のランプの下で日記を書く。
『今日、先代の繋いだ縁が星の導きで戻って来た。先代がかつて照らした光に悪魔は退き、女帝が微笑んでいた。先代の灯火は私を通じて、さらに広がろうとしている。私が出れば、影も写る。それが少し怖い』
店の隅に目を向け、先代の水晶玉を眺める。
いつも通り、鈍く光っているが…
その光は、肯定の光か否か。
今の私にはわからなかった。




