酒場の隠者
路地裏に夕陽が差し込み始めた頃。
カランと控え目に鈴がなった。
入って来たのは、乾いた眼差しの20代前半の女性。
まだ若いだろうに、その表情には長年の苦労を滲ませていた。
おずおずと居心地悪気にしている女性へと声を掛け、対面の椅子へと促す。
そして淹れたお茶を、そっと差し出す。
ゆっくりと頷き、穏やかに微笑みと、女性はお茶を一口。
「美味しい…」
小さな呟き声が聞こえた。
また一口飲み、ほぉ〜…
長い溜息を吐き出した。
彼女もまた、呼吸の仕方を忘れる様な生活をしてきたのだろうか…
ゆっくりと落ち着ける様に、本人が語り出すまで待つべきだろうか。
「あの…ここで運命を見て貰えるって聞いて…来ました」
案外早目にリラックスしてくれたようだ。
流石良いお品の月の雫…効果は抜群だ。
「はい。運命と言うよりは、未来の可能性の1つですね。後は、お客様の捉え方次第になりますが」
「…話しを、聞いて貰えますか?」
ゆっくりと頷き、穏やかに微笑む。
女性も頷き、話し始めた。
「私は、孤児でした。15歳で孤児院を出てから働きに出ました。…酒場の給仕です」
酒場の給仕か…独り立ちしたての子供に、なんて酷な事を…
この世界の酒場の給仕は、娼婦まがいの事も仕事としているのだ。
特に娼館の無い小さな町や村の酒場は、大体が娼館の役割を担っている。
だから酒場の上には、寝泊まり出来る個室が数部屋準備されているのだ。
住み込みの給仕部屋が、直接連れ込み場所と言っても良いかもしれない。
その方がお互いに利益を生むから…
金銭を得なければ生きて行けないから…
何とも言えない社会のルールだ。
「酒場のマスターは、最初、私を雇うのを渋ってたんです…けど、どこも見つけれなくて…渋々、雇って貰えました…だから最初はマスターに嫌われていると思ってたんです…」
お茶を一口飲み、息を吐く。
「最初はマスターの言う、給仕だけをしてました。変な事を言うお客さんには、マスターが対応してくれて…今なら、わかるんです。マスターに守って貰っていたって…」
マスターの感覚に好感が持てるわ。
子供に花を売らせるなんて、とんでもないからね…なるべく守りたいと思うのが普通よ。
不埒な輩に目を光らせてたのだろうな。
不器用なマスターだね…
「でも給仕仲間の姉さんが『稼ぎが変わるから給仕は夜のお相手もするもんだ』って言って…姉さんの恋人がどうやるか教えてくれるって…」
伏せた目に感情は無かった。
ただ乾いた眼差し。
…心臓が絞られる程の衝撃的な話だ。
涙も、遠に枯れ果てたのだろう…
「そこからは流れに身を任せて生きて来ました…マスターは、もう何も言ってくれなくて…」
…マスターは、本人が選んだ事に何も言えないもの。
本人の意思で花を売る覚悟をしたならば、マスターはそれを認めるしかないのだから。
それが暗黙の了解なのだから。
なんて残酷な世界なんだろう…
弱い者は悪意に絡み取られれば、成す術も無く引きずり込まれて行くのだ。
止めたくても、それが社会の歯車ならば。
手を伸ばす事もままならない。
「マスターは責める事も、止める事もしません。それが1番辛いんです…心が毎日、削られて行くような気がするんです…私は、どこで間違えてしまったんだろう…」
目を伏せ、カップを両手で包み込む彼女が、急に幼く見えた。
疲れた表情でわからなかったが、本当はもっと若いのではないだろうか?
ショックが大き過ぎて、心が身体の成長に追い付けなかったのかもしれないし…
言葉に出来ない尖った感情が、私の胸の内でチクチクと暴れている。
…そう。目の前にいるのは、先代と出会えなかった場合の私なのだと訴えている。
ふっと目の前が暗くなった。
夕陽が沈み込んできたのだろう。
「少々お待ち下さいね?明かりを灯しますから」
魔石のランプを灯し、カップにお茶を足し淹れる。
女性がお茶を飲み込むのを確認してから。
「では。あなたの未来の可能性の1つを視てみましょう」
タロットカードを広げ、円を描くように丁寧に混ぜる。集中だ。集中しなければ…
1つにまとめ、3つに分けて、再度1つにする。
ワンオラクル。
ザラリと山札を1列に崩し、女性に1枚選んで貰う。
迷いながら選んだカードを1枚机の上に残す。
カードを見つめる女性の目に覚悟が載っていた。
自分を動かす時の気持ちが強ければ強いほど、悪意に抗う事も可能になるかもしれない。
ゆっくりとカードをめくる。
「あなたの未来の可能性の1つは、隠者の札」
雪が降る荒れ地に、長いローブの尖ったフードを被った老人が、独りランプを持ち立っている絵柄だ。
女性はヒュッと息を吸い、目を見開いた。
「やっぱり…私、独りぼっちになるんだ…」
見開いた目が諦めに染まり始めた。
わたしは、ゆっくりと首をふる。
「この札が、あなたに伝えたい事はそうではありません。札は、今は表面的な動きを止めて、自分自身と向き合い心の中の答えを見つけるべき時…と伝えて来ていますね」
「私の、心…」
胸に手を当て、きゅっと拳を握る女性。
本当は、ここに来るまでにも何度も自身の心に問いかけてきたのだろうな…
「あなたは今、酒場の喧騒や他人の欲望にさらされ過ぎて、自分自身の本当の心の声が聞こえなくなっているのかもしれません…」
「本当の…」
穏やかに、ゆっくりと頷いて見せる。
「焦らず、ゆっくりと向き合ってみて下さい。未来への鍵も答えも、あなたの中にあるはずですから」
「私の中に…」
きゅっと再び拳を握った彼女が、ふとタロットカードと魔石ランプを見比べていた。
「えっと…同じランプですか?」
違いますと即答を避けた。
そんな事したら、絶対に傷付けてしまうから。
自分がされたらベッコリ凹む自信があるし。
「似たような意味を持ちますね。札のランプが照らすのは、外の世界ではなく自分自身の心の中です。暗闇の中で道を照らすこのランプは『真理』や『叡智』を表し、混乱した状況から抜け出す為の正しい道標を示します。ただ、ランプの届く範囲は僅かです。一歩一歩を慎重に確認しながら進みなさいというものです。この魔石のランプも、先代から『この灯火で、ここに来る人々の足元を照らして』と譲り受けたものです。私も出来る限り絶やさない様にしていこうとしているものですね…」
「なら、ほとんど同じですね…」
ふわりと微笑んで、お茶を飲み干す女性。
…確かに。意味的には、ほぼ同じだね。
本当に灯火を必要としてる人々は、ランプが灯る時に迷子になって訪れるから。
「話しを聞いてくれてありがとうございました…色々、考えてみようと思います!」
声にハリが出ていた。
目にも、ほんの少しの力が見られる。
女性は数枚の銅貨を机の上に置くと、ゆっくりと扉まで歩いて、去り際もう1度振り返った。
「あの…また迷ったら来てもいいですか…?」
穏やかに微笑み、頷く。
それに頷き返し、女性は去った。
「ランプの範囲は僅かですが、迷子の目印にはなりますからね…」
店の隅の水晶が返事をする様に、鈍く瞬いた。
どうか彼女に、より良い未来が訪れますように。
心の底からの祈りを捧げた。
―――占い屋から出た彼女は、自分の職場へと足を進める。
近くの奥さん達の不躾な視線も、今日は何故か胸を酷く掻き回す事は無かった。
思い出すのは、あのスッとしたお茶の香り。
自分の憂いを全て、すくい取ってくれるような爽やかな飲み心地…
…是非ともまた飲みたい物である。
酒場へと近付く程に大きくなる喧騒を聞くと、ほんの少し胸の奥がギシリと軋む。
ギシリ、ギシリ積み重なっていく軋み。
今まで気付かないフリをしていたものが浮かび上がってきたようだ。
「おかえり。遅かったじゃないか…さぁ、あのお客さんが呼んでるよ」
給仕仲間の姉さんが、今夜のお客の目星をつけていたみたいだ。
獲物を狙う様な目で、私を見つめる姉さん。
近くでニヤニヤとしている姉さんの恋人が、お客と言われた男と何やら話合っている。
仲介料の交渉でもしているのかもしれない。
ギシリ。
胸の軋みが、より重い音を立てる。
これを続けるの?
ギシリ。
軋みがかさなる…か。
『私は、もうこんな事したくない』
ふわりと清涼な香りの残り香を感じた。
そう。やりたくないのだ。
「ボンヤリしてどうしたのさ。行っといでよ」
姉さんがそう迫ってくるが。
「…ごめんなさい、姉さん。私、もう花は売れないわ。売りたくないの」
喧騒の中でも、その言葉は静かに響いた。
数人、頷く気配がしたが…目には映らなかった。
姉さんは食い下がらず、呆れたように肩をすくめていたが、恋人の男は不機嫌そうに鼻を鳴らし、立ち上がって向かって来る。
怒鳴られるのだろうか、叩かれるのだろうか…戦々恐々と身構えていたが、マスターに声を掛けられた。
「すまんが、これと酒を運んでくれ。ガラムさんの所だ」
「はっ、はい!」
返事を返し、酒とツマミをガラムさんのテーブルへと運ぶ。
「チッ!」
男は舌打ちし、再び座った。
「おまたせしました」
ガラムさんのテーブルに行くと、一緒に来ていた老年のギルド職員に呼び止められる。
「今日はここのテーブル、凄く飲むから。マスターに、このテーブルの専属で君が運ぶ事を伝えてくれるかい?」
「えっ?」
「スタンピートの振る舞い酒を飲み逃したメンバーなんだよ。じゃんじゃん頼むから、給仕の動きがいい君が担当してくれると有り難いんだがね?」
「はい、わかりました!」
マスターの所に戻る際、後ろからギシリッと音がした。
ガラムさんが体勢を変えたのだろう。
いつもこの音が鳴ってたっけ。
その途端、恋人の男がヒュッと息を飲み、真っ青な顔で外に飛び出して行ったが…飲み過ぎてしまったのだろう。
姉さんが肩をすくめて笑ってる所をみれば、大した事ではなさそうだ。
「マスター、ガラムさんの所のテーブル、」
「聞いてたよ。ガラムさん所が付いてりゃ大丈夫だ。これも持って行ってくれ。サービスだと言ってな?」
「え?はい!」
マスターの笑顔を久し振りに見た気がした。
いつの間にか、胸の軋みは消えていった…
祝宴のピークが過ぎた頃、マスターが一杯のスープを出してくれた。
「それを飲んだら、今日は上がりな」
「でも、ガラムさんのテーブルが…」
チラリとガラムさんの方を見ると、さっきまで凄い勢いで謝罪していた若者達が潰れ、苦笑いする老年のギルド職員に、中堅の冒険者達とガラムさんと、誰かな?職人風の人。
「多分もう落ち着いたはずさ。後はゆっくりになる。部屋に戻ったら、鍵をして寝ちまいな」
「…わかりました」
鍵をして、なんて。久し振りに言われたな。
ポンッと頭を撫でて、マスターは厨房に引っ込んだ。
マスターが撫でてくれた頭に手を添え、思わず笑みが溢れる。
自分の心の中の声を出せて良かった…
温かいスープが身体の隅々まで巡り、心の底からの安堵が込み上げる。
きっと大丈夫。
鍵は心の中にある。
心を深く見つめて行けば、もう流される事は無くなる。
微かに清涼な残り香が鼻をくすぐっていった。




