戦車の快進撃
路地裏に清涼な香りが満ちる午後。
カラン、と静かに鈴の音が鳴り、入って来たのは水色のワンピースの少女。
布地は中々に上質で、裕福な家の出である事が窺える。
「どうぞ、こちらへ」
対面の椅子に促し、お茶を淹れる。
その間も彼女の視線は私に固定されて…
…いささかやり辛い。
そっとお茶を差し出すと、彼女は震える手で銅貨を数枚、机の上に置いた。
握り締めていたのか、手に血の気がなく白くなっている。
「占い師様…私は、どうしても諦めきれない事があるのです」
穏やかな表情で頷き、先を促す。
「幼馴染の彼…男爵家の次男であるレオ様を、我が家の婿に迎えたいのです。両親は賛成してくれるのですが…あちらの御家門は、彼をより高位の貴族家へと考えているようで…」
目に涙の幕を張り、俯いてしまった。
多分、こぶしを握り締めているのだろう。
肩が強張っている。
「ゆっくりでかまいませんよ?まず、お茶をどうぞ。中々良い質になったんですよ」
ぎこちなく手をゆっくりと開き、お茶のカップを両手で包む。
とても力を込めていたのだろう。
手の感覚が整ったのか、お茶を飲み、一息。
「私は裕福とは言え、商家の娘です…諦めねばと思うのですが…どうしても、と」
「…占いでは、他人の気持ちを変える事は出来ませんよ?」
「はい…わかっています…ただ、私は気持ちの置き場が欲しいのだと思います…」
貴族家が相手となると、当人同士だけの話しでは無くなるのは当然の事。
平民と貴族の間には、非常に厚い壁があるのだ。
彼女もそれを理解している。
頭ではわかっていても、心の納得がついていないと言う事なのだろう。
諦めるのか、密かに思い続けるのか、それとも…
それは彼女の決める事。
出来るだけ最悪な結果にならない様に助けとなれたらば幸いだ。
「わかりました。それでは、あなたの恋の行方を占ってみましょう」
「お願いします…」
タロットカードを広げ、円を描くように、ゆっくりと丁寧に混ぜる。恋の行方…集中。集中。
いつもの手順をなぞる。
フォーカード。
机の上に4枚目のカードを置く。
「では視ていきましょう。まずこちらから順に、あなたの思い、お相手の思い、現在の状況、未来と言うように札が告げるのを読み取っていきます」
コクリと頷くのを確認して札をめくる。
「あなたの思いは、カップの8です。あなたは諦め切れない気持ちを持ちながらも、これ以上変える事が出来ない状況に失望し、心の中では身を引く覚悟が決まっていますね…」
ぐっと耐えている表情。
カップを包む手が震えている…切ない。
どうしようもない事態を飲み込むには、大き過ぎる感情だろうに…
次のカードをめくる。
「お相手の思いは、ペンタクルの騎士です。お相手は、あなたに対して誠実に、それでいて慎重な態度でいるようです。遠くからあなたを見守るような思いでいるのかもしれません」
少女はヒュッと息を飲み、ゆっくりと吐いた。
「…そう、なのですね」
震える手でお茶を飲み干し、息を吐いた。
少女のカップにお茶を注ぎ足す。
少女の目がペンタクルのナイトをジッと捉えて離さない。
カードを通して見ている姿が察せられる…
次のカードをめくる。
「現在の状況は、ソードの3。心の痛みです。深い悲しみや苦痛に直面している状況です。外部からの強い干渉が突き刺さり引き裂こうとしている状態です…つらくて苦しい状況ながらも、現実を受け入れようとしている…札は、そう告げています」
苦痛に歪んだ少女の表情が、徐々に凛と引き締まっていく。
思わず息を飲み込む程。凛とした淑女の顔。
…私は今、乙女の成長を目撃したのだ。
最後のカードをめくる。
「未来の札は…戦車…?」
え?
私のキョトン顔に、少女も困惑気味になる。
いけない、いけない。
表情筋、表情筋。
え?でも戦車…
私の願望が入ってやしないだろうか?
二頭立ての戦車の絵柄は、油断すれば分裂して2つの方向へ走ろうとする民衆や、人間の心の中の善と悪を示していて、それを王たる者が強い力でコントロールしなければならない事を告げるカード。
相棒が伝えてくる言葉に心を澄ませて、受け取らねば…集中。集中。
「未来に出た札は、戦車です」
「せんしゃ…それは、いったい…?」
私の反応がおかしかった事で不安を煽ってしまって、本当に申し訳ないです…
オロオロし始めた少女に心の中で土下座する。
「戦車とは、この二頭立ての乗り物です。異国の古代都市で戦いに使われていたと言われています。そして乗っているのは、戦いに勝った征服者を示しています」
「えっ?えっ?」
混乱した様子で、頬に手を当てている。
「これは、勝利、そして自らの意志で困難を突破する事を象徴する、非常に力強い札です」
相棒から伝わる言葉は諦めじゃない。
力強い雄叫びが、馬の嘶きが響くようだ。
「えっと…それは…?」
さらに混乱させてしまった。
「勇気を持って行動をするべきかもしれません。あなたの感情を制御し、望むべきものに挑めば成功する…勝利を掴めると札は伝えてきます」
「…男爵家と戦って、勝て、と?」
少女の目が驚愕に見開かれている。
…いや、うん。無茶言ってます。無茶苦茶です。
「…お話しを1つしても良いですか?多くの占いをしてきた中での1つなのですが…」
少女がコクリと頷く。
「『高位貴族との縁』を望んでいた場合、低位と隔たる壁はとても分厚い物です。それは、ただの壁であるはずもなく、毒を含んだ茨が絡み付く物と考えて間違いがありません…」
少女の顔がハッとした物になった。
そして、考えを巡らせる様に視線を遠くへと向けている。
女教皇の彼女の顔が思い出された。
「…中には普通の壁もあるでしょうが。ほとんどの場合は毒性の高い茨です。絡み付いた茨は、富を吸い取り、必要が無くなれば枝を振り捨てる…丸ごと消し去る事もあり得るのです。…最近、王都で騒ぎが起こっていたのですが…」
視線がこちらへ戻ってきて、ふぅっと息をつく。
「知っています…知の家門の…」
少女はジッとお茶の入ったカップを見つめると、意を決した様に飲み干した。
「私、決めました。お相手の御家が間違わない様に守ります。もし私が結婚出来なかったとしても。それでも、大好きなあの方を絶対に守り通してみせます!それが私の勝利です!」
スッと立ち上がると、ペコリと礼をして去って行った。中々に凛々しいお顔になっていた。
…予想外に切り替えが早い御嬢様だ。
意気込みがズレズレでズレない事を祈るしか出来ないが…気持ちが前を向いてくれて本当に嬉しい。
どうか、彼女が幸せでありますように。
店の隅の水晶玉から放たれている光が、一瞬、優しく瞬いた様な気がした―――
―――自身の商会に戻った少女は、すぐさま商会長である父親の元に突撃した。
通常より激しく扉が開かれた事にも驚いたが、娘の余りにも凛々しい顔付きに心底驚いた父親は、書類を追加で1枚、書き直す羽目になった程。
父親の驚きを丸っと無視した少女は口を開く。
「レオ様の家を狙う輩がいるかもしれません。いえ、絶対にいます!絡め取られるかもしれません!調査をお願いします!」
ポカンとした父親に、念を押すよう近寄る少女。
「お父様。呆けている暇はありませんわ!敵をねじ伏せ、レオ様を奪還するのです!絶対に守り抜いてみせますわ!」
そう言うや否や娘は何処かに飛び出して行った。
娘の勇ましい姿を見て、父親は涙を流した。
「遅れて来た、反抗期かと思った…あんなに勇ましくなるなんて…淑やかだった、可愛い、娘が…」
書類整理をしていた母に頭を叩かれたとか…後に小間使の1人が仲間内で語っていたとかいないとか…
少女は動き続けた。
感情を爆発させないように、諦めの気持ちに持って行かれないように。
男爵家に縁談を打診している貴族家がある事は、前から知っていた。
かなり前向きに検討されている事も。
現在は子爵家であるが、伯爵家に昇る事も決まっていると言われている、と。御両親から聞いて来たと打診に行った父親が語っていたのを思い出す。
…昇爵する家が何故格下の縁を求めるのか。
疑問しかない。
普通は上位貴族との縁を繋げていくものだ。
レオ様が優秀であるからとも考えられるが、いきなり上位の領地を回せるかと言われると、難しいのではないか?
それに、他家の次男、3男の方々も居ない訳でもない…いや、断られて回って来た縁談の可能性がある。
上位貴族との縁に目を曇らせ、調査をしていなければ…もしかしたら、御家門ごと…
背筋が凍り、身体が震えた。
レオ様の身が危ない。
「リィナ!情報ギルドからの手紙が届いたぞ!」
父親が勢いよく私室の扉を開いた。
「お父様!すぐ見せて下さい!」
奪い取る様に手紙を開く。
お父様は、後ろから追いついたお母様に頭をポカリとされていたが…今は手紙が大事。
「なんてこと…!」
とんでもない情報だ。
「リィナ…お父様にも手紙を…」
手紙を握り締めて、小間使に指示を出す。
「レオ様の御家に至急訪問する許可…いえ、先触れを出してちょうだい!お父様、行ってきます!…やっぱり一緒に行きましょうっ!」
目を白黒させる父親を引っ張って、リィナは男爵家に急いだ。
「お父様にも、説明を…」
小さく聞こえる父親の声に、母親は溜息をつく。
「確認してから渡せば良かったのよ…全く」
その場にいた者達は皆、深く頷いたという。
男爵家に到着後、応接室に通された。
対応するのは、男爵と長男だ。
ムスッとされているのは仕方ないが、今はそれ所ではないのだ。
「して、用向きは何かな?」
男爵が、いかにも不機嫌そうな表情で問いかける。
関わり合いになりたくないのだろう。
「お忙しい中、時間を作って頂き、誠にありがとう存じます。少々急ぎで御耳に入れておきたい事が御座いましたので、無礼を承知で参りました」
「こちらも忙しいゆえ、急ぎで頼む」
「はい。リィナ、御説明を」
私に変わった途端、見下しの眼差しになる。
…仕方がない事と思っても、良い気持ちにはならない。
「まずは、情報ギルドからの手紙を御覧下さい」
握り締めていた手紙を男爵に差し出す。
渋々という態度を崩さず手紙を読む男爵。
読み進めるにつれ、表情が強張っていく。
その表情変化を目の当たりにした長男は、不安気にこちらへと視線を向けた為、多少の説明をする。
「…私の気持ちを納得させる為に、お相手の方の人となりや御家門の状況を調べて頂きました。縁を結ぶ事は出来ませんでしたが。レオナルド様をお慕いしていたので。せめて御苦労せず幸せでいて頂けるなら…と。気持ちに決着をつけるつもりでのものでしたが…」
長男が僅かに固まる。
そろりと動かした視線で、男爵が読み終えたのを確認した。
沈黙したまま俯き、目頭を数回揉む男爵。
「これは、まことか…?」
「確かな者に依頼しましたので」
男爵から手紙を渡された長男も、食いつく様に手紙を読む。
「なっ…借財がこんなに?昇爵はどうした?何も無い…無い所か取り上げられる手前では?どれもデタラメではないのかっ?!」
顔を上げた長男が悲鳴を上げる様にこちらに問う。
「私共の方でも調べて来ましたが。先の知の家門での一件が響いている様でした。お相手方の子爵家は、あちらの家門寄りでしたから。金銭の補助を多く行っていた様です…知の家門の次男様が婿入り予定でしたし」
苦い顔の男爵とキョトン顔の長男。
…まさか、こんな情報も仕入れてはいなかったのだろうか?
「知の家門寄りとは聞いていたが…危うく我が家も毒を飲む所だったのか」
男爵の額には汗が浮かんでいる。
「噓だ…あの知の家門に連なっているならば、何故だ?王からの信頼も得ている、気高き知性の象徴では無かったのか?」
は?何を言っているのだ、この男は。
男爵の額に筋が浮く。
「お前、まさか…先の知の家門が隣国の侯爵家と組んで謀反を進め処罰されたのを知らなかったのか…?知らずに縁談を薦めて来ていたのか?!」
長男は顔色を失った。
男爵は違う意味で顔色を無くしている。
「えっ?謀反?!」
ピキピキと男爵の額に筋が走る。
私も溜息をつき、呆れた目を向けるのも当然だと思って欲しい。
この国の商人達で知らぬ者がいない程。
貴族に至っては知っていて当然の話だ。
「いったい、何処からの情報で動いていたのか言ってみろ…」
怒りを抑えた男爵の口から、灼熱を吐き出さんばかりの息が漏れる。
「子爵家からの、報告書で…」
ゴッという音が鈍く応接室に響く。
男爵が長男に拳骨を落としたのだ。
「子爵家との縁談は無い。レオもしばらく家にいて貰う。代替わりは、しばらく無いと思え。お前の素行も調査する…態度次第では、考えなければならんな」
頭を抑えたままの長男を一瞥し、こちらに向きなおる男爵が、深く頭を下げた。
慌てた私達に、男爵は否を出す。
「申し訳無かった。私の今までの態度は許されたものではないが、謝罪する事を許して欲しい」
「そっ、そんなっ!許しますから!頭を下げないで下さい!」
父親がアワアワしながら男爵に必死の形相で訴えている。言葉が元に戻った父親に私は冷や汗しか出ず、相槌を打つしかできない。
それを聞いた男爵は頭を上げ、私達に真剣な目を向けて口を開いた。
「そんな私達の家を見捨てず、急ぎ助けに駆けつけた事に深く感謝する」
また頭を下げそうな気配に慌てた私は、勘弁して欲しいと誠心誠意伝えるのに時間を費やす事になったが…結果は、よい関係が築ける方向に転がったようだった。
御暇する際も男爵に見送られるという苦行つきではあったが、2階の窓からレオ様が笑顔で手を振るのが見え、ようやく安心できた―――
―――後日、戦車を走らせ、最短距離で勝利を掴み取った話を占い師に語るのだが…
占い師が小刻みに震え、張り付けた表情を維持する力を総動員する羽目になるとは、相棒のタロットすら予知できなかったのではないだろうか…




