表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷室の野望(仮)第弐巻 ~立志編~  作者: 和音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/36

34 続きからはじめる(1570年11月5日 京)【対峙】


『1570年11月5日 京――』



伏見と京の戦火が同時に広がり、御所の空気が崩れかけたその瞬間だった。

御簾の外、騒然とした足音が一瞬だけ途切れる。


代わりに静かな声が落ちる。

「……殿」

細川藤孝だった。


光秀が振り返る。

「何?」


その表情はいつもと変わらない。

だが藤孝の声音はこれまでのそれではなかった。


「これ以上は付き合えませぬ」

一瞬空気が止まる。


荒木村重が息を呑む。

一色藤長が刀へ手を伸ばす。


光秀だけがわずかに目を細めた。

「……ああ」

納得したように短く息を吐く。

「そういう日か」


藤孝は静かに続ける。

「帝を連れ出す策も、京を捨てる判断も……理はあります。

だが――」


刀の柄に手がかかる。

「その理は、人の世を壊す」


御所の廊下で空気が変わる。


「ここでお退きくだされ。それができぬなら――」

抜刀。

「ここで止める」


一瞬だった。

光秀の周囲の空気が凍る。


村重が叫ぶ。

「細川殿!!何を――!」


だが藤孝は振り返らない。

「明智光秀は、天下を壊す男だ。

それを見過ごすことはできぬ」


光秀はゆっくりと笑った。

「裏切るの?」

「違います」

藤孝の声は静かだった。


そして右手を挙げて、振り下ろした。

「これが、某の役目だ」


次の瞬間――


藤孝の家臣団が一斉に御所廊下へ突入した。


明智勢の護衛が反応するより早い。

刃が交錯する。

金属音が御殿の静寂を切り裂いた。


「藤孝!!」

村重が叫び、刀を抜く。


光秀は一歩も動かない。

「……面白いね」

ぽつりと呟く。

そして――刀に手をかけた。


その瞬間。


御所の外、伏見方面から轟音が鳴り響く。

そして

「伏見崩壊!!」

という叫び。


だが藤孝は動じない。


刹那。

細川勢が一斉に光秀へ殺到した。

御所の中で、明智と細川が真正面からぶつかる。


刃と刃が交わる寸前――

光秀は笑った。


「そう来るなら」

そして低く言う。

「全部、壊す」



――金属音。



御所の一角が、血に染まった。


その瞬間、京の空気が音を失う。

金属がぶつかる音も、誰かの叫びも、一拍だけ遠のく。

まるで戦場そのものが呼吸を止めたかのようだった。


だが次の瞬間――世界は再び崩れ落ちる。


「殿を守れっ!!」

「細川を討て!!」

「御所から出すな!!」

御所の廊下は、狭い殺し場へと変わっていた。


細川藤孝は、ただ前へ進んでいた。

その太刀は一切迷いがない。

明智の護衛を一人、また一人と切り伏せるたびに呼吸だけがわずかに荒くなる。

「……ここまでか」

藤孝の口元がかすかに歪む。


その背後で村重が叫ぶ。

「細川殿!!戻られよ!!まだ間に合う!!」


だが藤孝は振り返らない。

「もう遅い」


そう呟いた瞬間――


光秀の声が落ちた。

「遅くないよ」


静かだった。

異様なほどに。


藤孝がはっと顔を上げる。

そこにいた光秀はまだ笑っていた。

だがその笑みは、戦場で見せてきたものと違う。

どこか満足に近いものだった。


「細川藤孝」

光秀はゆっくり刀を抜いた。

「君は正しい」

「ならば何故……!」

藤孝が叫ぶ。


光秀は一歩踏み出す。

「正しいだけじゃ、天下は動かない」


その瞬間だった。


御所の外が轟音に揺れた。


「――伏見崩壊!」

「明智秀満様、御討死!」

「織田本隊が京へ突入!!」


怒号が京の空を裂く。


そしてさらに――

「徳川軍、御所南方に到達!」


藤孝の顔がわずかに強張る。

「……包囲、か」

光秀は頷く。

「そう。詰みだ」

だがその声は、敗北者のそれではない。

「面白い」


光秀は刀を構えたまま、御所の柱越しに空を見た。

朝が近い。

京の空が白み始めている。

「ここで終わると思う?」


その時――


御所の外門が、破裂するような音を立てて崩れた。


「織田信長!!参陣!!」

その名だけで、場の空気が変わる。


藤孝が息を呑む。

「……来たか」


光秀は笑った。

「やっとだよ」


――そして。


御所の正面から、黒い軍勢が雪崩れ込んできた。


永楽通宝の旗。

濡れた鎧。

血と泥をまとった兵。


その中心に黒漆の南蛮胴。

織田信長(真紀)が、馬を降りて立っていた。


御所の庭に足音が響く。


一歩。

また一歩。


誰も止めない。

止められない。


信長は御所の廊下を見た。


そこに、血に濡れた細川勢。

そしてその奥に――明智光秀。


「……十兵衛」

信長が低く言う。


光秀は刀を下げないまま、笑った。

「来たね」


沈黙。


京の中心で、二人だけが異様に静かだった。

周囲の戦はすべて背景に溶けていく。


信長が一歩前へ出る。

「帝はどこだ」


光秀は答えない。

代わりに、ゆっくりと目を細めた。

「まだ、そんなものを気にしてるんだ」

その言葉に信長の目がわずかに鋭くなる。


光秀は一歩だけ近づいた。

「信長。君はもう勝ってる」

「ならばなぜ逃げぬ」

光秀は笑う。

「逃げないよ」


そして――その瞬間。


背後で藤孝が動いた。


「今だ!!」

細川勢が再び突入する。


だが光秀は振り向かない。

信長だけを見ていた。


二人の距離は、十歩。


八歩。


五歩。


そして――

三歩。


信長が太刀を抜く。

光秀も抜く。


刹那。

御所の空気が完全に止まった。


そして――

二人は同時に踏み込んだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ