表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷室の野望(仮)第弐巻 ~立志編~  作者: 和音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/36

33 続きからはじめる(1570年11月4日 京)【逃れる者と追う者】


『1570年11月5日 京――』


夜明け前。


京の空にはまだ薄い霧が残っていた。

だが都の空気は重い。

町衆は戸を閉ざし、公家屋敷では牛車の準備が慌ただしく進められている。


「明智様が帝をお連れになる」

「いや、織田が先に来る」

「また戦になるぞ……」


噂だけが静かに京を巡っていた。




--------------------------




二条御所――


御簾の奥。

若き帝は庭先へ落ちる紅葉を静かに見つめていた。

その背後では女房たちが慌ただしく動いている。


「急ぎませぬと!」

「御車の準備を――」

「供回りは如何いたしましょう!」


落ち着きのない声が飛び交う中、帝だけが不思議なほど静かだった。


やがて。

障子の向こうから声。

「明智様にございます」


空気が張る。


ゆっくりと障子が開くと明智光秀(芳香)が姿を現した。

戦装束ではなく濃紺の直垂。

しかしその立ち姿にはまだ戦場の気配が残っていた。


光秀は御簾の前まで進むと、静かに膝をついた。

「帝」


しばし沈黙。


やがて御簾の奥から声が返る。

「……十兵衛」

光秀が顔を上げる。

「また都を戦場にするのか」


静かな問いだった。

責めるでもなく、怒るでもなく。

ただただ、悲しげな声。


光秀は少しだけ目を伏せた。

「……申し訳ございませぬ」


その言葉に周囲の公家たちがざわつく。

あの明智光秀が頭を下げた。

だが次の瞬間、光秀は再び顔を上げた。


その目にはいつもの冷たい理性が戻っていた。

「ですが、ここで信長に帝を渡せば天下は完全に織田のものとなります」

「それが何だと言う」

帝が返す。

「戦が終わるならばそれで良いではないか」


光秀は僅かに笑った。寂しげに。

「終わりませぬよ」

そして続ける。

「信長は止まりませぬ。あの者は天下を獲れば更に先へ進む。

天下布武とは、そういう事です」


御簾の奥が静まる。


「ならば其方なら止まるのか?」

帝。


光秀は答えなかった。

長い沈黙。


その後、光秀は静かに頭を下げる。

「御動座の準備をお願い申し上げます」




--------------------------




『同刻、京南方――織田家』



織田軍の先鋒は既に山城国へ入っていた。

丹羽長秀と羽柴秀吉であった。


「急げ急げっ!!」

秀吉が馬上で叫ぶ。

その後ろでは、槍隊が街道を埋め尽くしていた。


長秀が険しい顔で言う。

「光秀は帝を連れ出す気だ」

「分かっとりますわ!」

秀吉が苛立ちながら返す。

「だから急いどる!」


その時、前方から母衣衆が駆け戻ってきた。

「申し上げます!」

「何じゃ!」

秀吉。

「伏見にて明智勢確認!」


空気が変わる。


「数は?」

「およそ五千!」


長秀が即座に地図を広げた。

伏見――京へ至る南の要衝だ。


「足止めか……」

長秀が舌打ちする。

「秀満でしょうな」

秀吉。

「しつこい男だで、ほんま」




--------------------------




『同刻、伏見――明智家』



宇治川沿い。

白地桔梗紋の旗が風にはためいている。

その中央、馬上で前方を見据える男は明智秀満。


愛知川での負傷はまだ癒えていない。

肩には包帯。

だがその目に陰りは無かった。


「殿は、既に御所へ向かわれた」

静かに呟く。

傍らの兵が聞く。

「では我らは……」

秀満は太刀へ手を掛けた。

「時間を稼ぐ」


その一言だけだった。


だが配下たちは理解した。

ここは捨て石。

それでも誰一人退こうとはしない。


「……来ます」

前方に土煙が見えた。


黒い旗。

永楽通宝。

織田軍だった。




--------------------------




京。

二条御所――


「御車の準備、整いました!」

女房が叫ぶ。


公家たちは青ざめた顔で右往左往している。

だが光秀だけは静かだった。


その時、藤孝が近づいてきた。


「殿」

「ん?」

「本当に、帝を連れて行かれるのですか」

光秀は少しだけ考えた後、笑った。

「嫌?」


藤孝は即答しない。

やがて低く言う。

「……都を捨てれば、もはや後戻りは出来ませぬ」

「後戻り出来る必要がある?」

光秀。


藤孝は黙る。


すると光秀は、ふっと視線を外へ向けた。

そこにはもう織田軍が迫っている。


「信長は強い」

ぽつりと言う。

「正面から戦えば、多分もう勝てない」


藤孝が目を見開く。

まさかだった。

あの光秀が敗北を口にするとは。


だが光秀は平然と続けた。

「だから戦い方を変える」


その目が細くなる。

蛇のように、冷たく。


「信長は天下を欲している。

なら私は――天下そのものを壊す」




--------------------------




同刻。伏見南方――



「突破せよ!!」

秀吉軍が突撃した。

宇治川沿いが一瞬で戦場へ変わる。


「止めろ!!」

秀満が叫ぶ。


明智家の桔梗紋の兵たちが槍衾を作る。

そこへ織田勢がぶつかった。

衝撃と悲鳴が飛び交い、血飛沫が舞う。


秀吉は馬上で舌打ちする。

「硬い!」

長秀が冷静に叫ぶ。

「左右へ展開!川沿いを抜ける!」


だが、秀満はそれすら読んでいた。

「鉄砲隊!」

銃声が鳴り響く。


川沿いへ回った織田兵が次々倒れる。

「ぐあっ!」

「退くな!!」

戦線が膠着する。


その後方、丘の上からその様子を見ていた信長(真紀)は、静かに目を細めた。

「……明智秀満か」


官兵衛が頷く。

「はい。あれは時間稼ぎに徹しております」

「死ぬ気だな」

信長。

そして、ふっと笑った。


「ならば、望み通り時間を奪ってやろう」

皆が信長を見る。


信長は軍配を持ち上げた。

「勝家」

「はっ!」

「山へ入れ」


官兵衛が即座に理解する。

「まさか……!」

信長は笑った。

「正面で止まるなら、横から喰うまで」




--------------------------




京。

二条御所。


ついに牛車が並び始める。


帝。

公家衆と女房衆。


行先は――西。丹波であった。

その移動が始まろうとしていた。


だがその時、遠く東の空から。


ぶおおおおおおおおっ!!!


法螺貝だ。

続いて地鳴り。


御所の空気が凍る。


「まさか……」

藤孝が顔を上げる。

光秀だけが笑っていた。

「来たねえ」


障子の向こう。

京の東に黒煙が上がり始めていた。

織田軍がついに京へ到達した。


天下を巡る戦は、新たな局面へ突入しようとしていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ