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結婚と算盤~新妻の百貨店経営奮闘記~  作者: けもこ


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第6話 新妻、商いを語る

電車の踏段を降りると、ふわりと銀座とは違う匂いが鼻先をかすめた。

車輪がたてる土埃と、そして川の水の匂い。


目の前には日本橋がかかっている。

欄干の向こうを、荷を積んだ小舟がゆっくりとくぐっていく。

橋の上では、人力車と荷車が互いに道を譲らず、袢纏姿の男たちが声を張っていた。


「銀座とはずいぶん違うわね」


土埃の舞う道に沿って、銀行、薬種問屋、海苔屋、紙問屋の看板が並んでいた。

それらの屋根を越えてその向こうに白い石造りの建物の上部分が見えた。

のぞく金文字の看板には、『銀星百貨店』とある。


「銀座が新しい東京だとしたら、日本橋は老舗の並ぶ東京ですからね」


隣に立つさくやが静かにそう言う。


橋の上は、行きかう人と車でごった返していて、銀座のような華やかさはない。

しかし、商売人の熱気と活力に満ち溢れていた。


人にぶつからないよう、欄干に体を押し付けるように橋の上を進む。

川は黒く濁った色で、荷を積んだ小舟が行き来している。

その黒い水面と行きかう商人の姿が、生まれ育った博多の中州川端あたりを思い出させた。


さくやは、橋の中央寄りを歩き、私と人との間に隙間を作ってくれていた。

ありがたい、と思う反面、女性と歩きなれているその感じが、胸をモヤモヤとさせた。


橋を渡りきると大きな路地に出た。

銀星百貨店の建物は、道路沿いの建物から頭1つ抜けてそびえているので、それを目指して歩く。


「奥さま。土埃がひどいので、私の後ろへ」


さくやがそう言いながら、私の前を歩く。


角にある銀行の横を抜けて、もう一本向こうの通りに入ると白い石造りの建物が目に入った。


銀星百貨店は、その成り立ちが古い。

もともとは老舗の呉服商で、そのうちにこの辺りいったいの問屋になり、今に至る。


建物の前に立つと、正面のひさしの上に、黒漆の横板に金泥で『銀星百貨店』と掛かっている。


板の中央には小さな星章。派手な意匠ではなく、落ち着いた印象を作っている。

入口は、厚い両開き。

鈍く光る大きな真鍮の取っ手の脇、左右に案内が立ち、声を張らず一礼をして扉を開けて迎え入れてくれた。


中に入ると、売り場全体が重厚な感じだ。後ろで扉が閉まると、表の喧騒はすっかり絶たれて、まるで寺か博物館のよう。とはいえ、全体は暗い雰囲気ではなく、神聖な、荘厳な感じさえする。


「奥さま。どこから回ってご覧になりますか?」

「進物をするなら銀星の包み、というほどだものね。ちょうど来月、私の姉に子が生まれるの。そのお祝いを何か見ようと思っているの」


ぐるりとフロアを見回していると、売り場の端にいた番頭が声をかけて来た。


「お嬢様。何かお探しですか?」


襟に「銀星百貨店」と言う文字が入った半纏を身に着け、ここが由緒ある呉服商であった矜持をこれでもかと見せている。


「田舎にいる姉の出産祝いを見繕いに来たの。何がいいかしら」


慣れないが、こういう店は客を選ぶし、選ばれないと良い物には出会えない。

そこがこういう老舗の特別感を作っているのだから。


「ご案内いたします。産着と御祝物は二階でございます」


一瞬、値踏みをするように私の全身を一瞥した番頭は、人当たりの良い笑みを浮かべて、どうぞというように奥の方のエレベーターへと誘導する。


「お子さまの性別がお分かりになる前でしたら、まずは白羽二重がよろしゅうございます。お祝いの色をあとから足せますので」


エレベーターを上がると、二階のフロアは奥が畳敷きのある呉服のスペースになっていた。

水引などが並ぶショーケースを抜けると、向かい合わせにソファが置いてある。


「どうぞ、こちらへ。商品を持って参りますので、ゆっくりとご覧ください」


ショーケースの傍にいた係に、番頭が一言二言声をかけると、すぐに奥へと入っていった。


「申し遅れました。私は、この銀星の番頭をいたしております小野寺でございます。今、係の者に白羽二重と他にお祝いにふさわしい物を用意させておりますので」


ニコニコと小野寺と名乗った番頭が話をしていると、さっき奥へ引っ込んだ店員ともう一人若い女性店員が白手袋をはめ、浅い桐箱を手に戻って来た。


小野寺は、それをテーブルに置かせるとそのうちのいくつかを開けるように、店員に声をかけた。

中に入っていたのは、真っ白な産着。


「白羽二重でございます」


光を受けると、布の表面に水のような艶が走る。

艶々とした白絹の美しさが際立つ。白い布そのものが、何か清らかなものを包むためにあるように見えた。


「柄を織り出さぬぶん、絹そのものの艶と白さが立ちます。いわずもがな、産着の最高級品でございます 」


そう説明をして、桐の箱に入った生地を軽く開いて見せた。


「それから……」


そう言うと、もう一つの桐箱の中身を女性店員に広げさせる。


「こちらは白綸子しろりんずでございます 」


店員が軽く生地を傾けると、一見、無地に見える布の上を光が滑り、そこに細かな麻の葉がふっと浮いた。


「赤さまがまっすぐ健やかに育ちますよう、麻の葉の地紋を織り出しております」


「まぁ……素敵」


その厳かな美しさに、思わず声が漏れていた。

小野寺は、私の反応を見て、「さようでごさいましょう?」と笑みを浮かべた。


「男のお子さまでも、女のお子さまでも、お使いいただけます。お生まれになってから、お色の小物を足していただくこともできますので、出産前後どちらのお祝いにもよろしいかと」


テーブルに広げられた産着の美しさに食い入るように品定めをしていると、さらに小野寺が別の箱を持って来た。


「産着とご一緒に、こちらのお品も皆様に人気です」


そう言って小ぶりな桐箱を開けると、その中には小さな銀の鈴が、白い綿の上に載っていた。


「銀の守り鈴でございます。赤さまのおそばに置くものとして、お祝いに添えられる方が多うございます」


そう言えば、静江姉の子どもの時は、守り刀を父と見に行った。あれは、出産に立ち会って性別もわかった後だからできたことだ。


「西洋の習わしで、縁起の良い銀の匙を送られる方も増えておいでになります」


もう一つテーブルの端にあった細長い桐箱を店員がゆっくりと開けると、白絹の中に小さな銀のスプーンが一つ入っている。


老舗である銀星百貨店でこれに出会うとは思わなかった。


「迷うわね」


顎に手を当てて、じっとそれぞれの品を眺める。

ふと思い立って、ソファの後ろで立っているさくやの方を振り返った。


「さくやは、どれが良いと思う?」


梅がいる時のように軽い気持ちで声をかけた。


一瞬、面食らったように目を見開いたあと、ハンチングの先を手で抑えながら、ためらうように声を落として答える。


「そう……ですね。産着は白綸子の模様が縁起物でよろしいように思いますし、添えるのは鈴が宜しいのでは」

「そうね。私もその組み合わせが良いように思う。そうするわ」


その後、進物の準備ができるまで、店内をゆっくりと見て回ることにした。


「さすが銀星ね。置いてある物の格が違うわ」

「それは……幾志屋の物よりも、ということですか?」


店員に出してもらったシルクのショールをショーケースの上に戻しながら、さくやの言葉を考える。


「銀星と幾志屋では、売り方も売る相手も違うから、格上・格下という分け方はできないわね」

「どういうことですか?」


さくやが首を傾げる。

客層がとか、販路がとか、信用度がとかそんな話をしても、彼にはわかりにくいかもしれない。


「たとえばね、お米屋さんとお菓子屋さん、どっちが上かって聞かれたら困るでしょ?」


「困りますね。まったく置いてある商品が違うので」


「そう。お米屋さんは、毎日の食を支える。お菓子屋さんは、祝いの日や、誰かに会いに行く時の心を支える。どちらも生活の中でとっても大事。でも、売るものも、客が財布を開く理由も違うでしょう?」


さくやは、少し考えるように眉を寄せた。


「じゃあ、幾志屋がお菓子屋さんで、銀星がお米屋さん、とかってことですか?」

「ふふ。そういう単純な例えではないんだけど、近いところはあるわね」


さくやの表情に、思わず笑いを零しながら、私は売り場を見渡した。


銀星の売り場は静かだ。

客が、大きな声で店員を呼ぶこともない。店員も、必要以上に声を張らない。

だが、誰かが進物の包みを頼めば、すぐに奥から台帳が出て、熨斗紙が出て、筆を持った者が現れる。


「幾志屋はね、客に“欲しい”と思わせる店なのかな。綺麗な硝子、明るい売り場、舶来の香水、洋装、珍しい文房具、食堂。見ているうちに胸が浮き立って、今日は何か買って帰りたいって思わせる」


二つ隣の化粧道具の売り場の前に来る。

美しく蒔絵の細工が施された黒漆の化粧箱が、売り場の顔としてショーケースの中に飾られていた。

ショーケースの上に、手に取りやすいように熊野の化粧筆、有田焼の紅猪口が大きさに分けていくつか置いてあった。


「そういうところが幾志屋の強さだと思うの。買う予定がなかった人の財布を開かせるような。若い娘さんや、奥さま方や、東京見物に来た人に、“今の東京はこうですよ”って見せる店……かな」


さくやは「なるほど」と頷いた。


「でも銀星は違うわ」


そう言いながら、ショーケースに置いてある青い花模様の入った紅猪口を手に取る。


「銀星は、客が最初から何か用向きを持って来る店よ。出産祝い、婚礼の支度、季節の進物、お得意先への品。ここに来る人は、“何か欲しい”ではなくて、“失礼のないものを整えたい”と思ってやって来るの」


「失礼のないもの……」


「そう。お客さんはここに来れば、間違いがないと思っているし、店もそういう物を扱う矜持がある」


さくやに説明するために、幾志屋と銀星の違いを思ったままに口に出してみると、自分でも不思議なほどに腑に落ちた。


「幾志屋では、客に夢を見せる。銀星では、客に品位を持たせる。どちらも大事ね」


さくやは、私の後ろから覗き込むようにして私が手にしているものを眺めている。

ちょっと距離が近い……と思うのだが。


「じゃあ、幾志屋は華やかで、銀星は堅い店って感じでしょうか」


「うん。でも、華やかな店が上で、堅い店が下、ということはないじゃない? 祭りの日には華やかでもいいけど、家と家の付き合いや、絶対に外せない場面では、堅い感じが安心するしね」


「今日、奥さまがお買い物なさったようなお祝いの支度は、銀星みたいな店の方が安心ということですね」


「そういうことよ」


さくやは、肩越しにショーケースの中を眺めながら、こちらへにっこりと笑みを反した。


「奥さまは幾志屋の社長でしょう? 敵の店を褒めていいんですか?」


「褒めるのと負けるのは違うわよ」


私は、近くの店員を気にして声を落とした。


「相手の強みがわからないまま戦う商人は、商いができているとは言わないわ。銀星に強みがあるなら、幾志屋は幾志屋の勝ち方を磨けばいいのよ」


「幾志屋の勝ち方……」


さくやは顎に手を当てて、何かを考えこむように黙り込んだ。その表情が、さっきまで飄々としていた軽い感じとは違って見えて、ドキッとする。

――なんだか、考えてる横顔は随分と聡明な感じに見えるわね


随分と長い事さくやの顔を見ていたようで、ふっと我に返った彼が、さっきと同じ軽い様子で笑みを浮かべた。


「奥さまがあまりに優秀でいらっしゃって、感銘を受けてしまいました」

「……そう」


下のフロアで母上さまや他の家人へのお土産を見繕って、玄関の口へ行くと、小野寺さんが私たちを見つけてクロークの奥へと入って行く。

すぐに綺麗に包装された商品を抱えて出て来たかと思うと、その後ろから口髭を蓄えた恰幅の良い男性が小走りで出て来た。


「岸田さま。おいでになっているなら、お声がけくだされば、私がご案内しましたのに」


よくある名字だと思って、熨斗に名前を入れて貰ったのが良くなかったのだろう。

私の顔を知っている人などいないと思ったのに。どこでどうしてバレてしまったのだろう。


「あ、あの。そんな風に大袈裟にしていただかずとも……」

とその男性に声をかけたが、どうもその男の目線がおかしい。私を見ていない。


じゃあ、どこを?


彼は、私の背後にいるさくやに向かって話をしている。


「まったく、相変わらずお茶目な方ですな。そんな変装をしていても、すぐにわかりますよ」


ニコニコと話をするその男性の言葉に、頭の中が疑問符でいっぱいになった。

ん?


振り返って、ほんの少し後ろに立っていたさくやの方を見ると、片方の眉を上げてこちらに目線を寄越し、口元に妙な笑みを浮かべている。


どういうこと?

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