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16 急転

 ホテルで朝食を済ませチェックアウトし、一階のレストランの端の待合スペースでアレクを待つ。


 しかし待ち合わせた時間をかなり過ぎても彼は現れなかった。今までこんなことはなかったので首を傾げる。

 こちらを気遣うホテル兼レストラン店主の目に気付き、入口が見えるカウンター席で飲み物を頼む。それも飲み終えしばらくした頃、アレクが入口から駆け込んできた。

 ベスト姿で上着を脱いで手に掴んでいる。息を切らしたまま店内を見回し私を見つけ、へにゃりと眉を下げた。


「……無事でしたか」

 私の所へ来て安堵したように顔を歪め俯いた彼はまだ肩で息をしている。走ってきたらしく、髪がぼさぼさだ。

 そして服と髪から焦げ臭い煙の匂いがする。

 明らかにアレクの方が無事でない。


「どうしたんですか?まずは座って下さい」

 カウンターの隣の席へ誘導しようとする私の手をやんわり手で制止し真剣な顔で言う。

「ハナには何か異変はなかったですか」

「私は何も。アレクこそ何があったんですか」

 アレクは周囲を見て、自分の振る舞いが店内の注目を集めていること気付き、落ち着いて話せる場所に行ってから話します、と言いホテルを出た。


 ホテルはメイン通りの西の端、鉄道駅の前にある。

 アレクに連れられ、メイン通りを少し東方向へ歩いた後左に折れ、更に古そうな曲がった道を行く。

 彼は質問にろくに答えず、普段より足早に歩いていく。横暴というより彼自身動転している様子なので、私は息一つ吐いて追求を諦め、スカートをわさわさ捌きながら小走りに黙って付いていった。

 アレクは歩きながら時々空を睨みつける。何か頭の中でまとめなければならないことが多いようだ。金色の目は動揺する心を表すように不安げに揺れている。

 この辺りは2、3階建て位の建物が多いようだ。ちなみに大通りは4、5階建てが多い。

そんな街並みの中に、一階が店舗らしき3階建ての建物があった。


 迷いなく店内に入るアレクに続いて入り、一目で理解した。これがアレクの貸本屋だ。

 壁面を埋める本棚にぎっしり本が並んでいる。入口近くの平置きの本は回転が速い流行物だろうか。

 本を日光で痛めないためであろう窓の少な目の店内は、外から入ってすぐは随分暗く見えたが、アレクが奥のカウンターに座る中学生位の少年と何か話している間に目が慣れ、そう暗く感じなくなった。少年は店番のようだ。そういえばアレクは、不在の間店番を頼んでいると言っていた。


 アレクはカウンターの引き出しから出した鍵を持ち、店内にある階段を上がるよう私を促した。

 上がった先は窓が多めで明るい部屋で、椅子とテーブルがある。これがアレクが話していた、客が店内閲覧で新聞などを読むリーディングルームという奴ではなかろうか。

 その奥にstaff onlyのドアがあり、アレクが鍵を開け更にその中へ進む。


 いきなり内装の雰囲気が変わった。一般住宅のような廊下だ。先程と別の階段があり上下に続いている。この辺りや3階は居住スペースなのかもしれない。

 アレクは2階の突き当たりの部屋へ私を案内した。

 リビング兼ダイニングのような部屋だ。三方向の窓から光が注ぐ明るい部屋で、華美でないが優しい雰囲気のカーテンやテーブルが落ち着いて居心地よい空間を醸していた。

 アレクは私に椅子を薦めた。


 私の向かいに座ったアレクは死にそうな顔で息を吸い、思い切り頭を下げた。

「申し訳ありません!ハナを元の世界へ帰せなくなりました」



◇◆◇◆◇◆


 ーー彼の話はこうだ。

 昨夜、カーライル物理学研究所で火災があった。

 夜間のことで発見が遅れ、手は尽くしたもの3つあった棟の一つは全焼し、それは私が来た実験の装置のある棟だったという。死傷者は現時点見つかっていないが、出火原因は分かっていない。

 今朝、アレクは火事の噂を聞き現場に行った。すっかり焼け落ちた棟の近くは、消防と警察、状況を訊かれる研究所職員や近所の人でごったがえしており、彼はかろうじて職員を捕まえ状況を訊いた。


 その職員は、自分も一職員に過ぎず詳しいことは分からないと前置きした上で語った。

 あの実験は装置も資料の大半も火災で失われてしまった。更に、責任者だったジョンが自宅に居らず今朝時点で行方が掴めていない。街のどこかにいるのか、万が一にも火災に巻き込まれたか捜索中である。

 ジョンが見つからないと他の研究員では研究の継続が難しい。

 しかも今回の火災で研究所の研究計画の見直しは必至で、再建計画はおろか予算がつくか現時点見通しは暗いと思われる。

 なお、仮にすぐにジョンが見つかり予算が組まれ再建を始めたとしても、部品の特注が多く、前の装置も建設に1年近くかかっているので再建にもその位かかると思った方がいい。


 アレクはハナを帰せなくなったことに大きな衝撃を受けたが、更に恐ろしい可能性に気付いて戦慄した。


 ハナは大丈夫なのか?


 こちらに来るときに使った『アンカー』ーー12年前彼女から借りた服は装置と一緒に管理されていて、当然燃えてしまった筈だ。

 ハナはこの世界に存在していられるのか?

自分は12年前、あちらの世界に1日の滞在でこちらに戻った。それは世界が異物たる異世界のモノを弾き出そうとする自然な作用と、研究の未熟さによるものと説明された。

 しかし、今回のようなイレギュラーな要素がおかしな作用を起こしたら?

 ーー無事向こうの世界へ戻るならいい。むしろ願ってもない。

 しかし歪んだ作用を起こし妙な弾き方をしたら?『窓』に体がねじ切られたり、『窓』の隙間の別の空間へ飛ばされたりしたら?


 恐怖に駆られ、メイン通りの東の端から西の端までアレクは走った。馬車は少なく、歩行者が多い通りを飛ばせない。走る方が速い。

 宿で無事なハナを見つけた時は全身の力が抜けた。



◇◆◇◆◇◆


 今日ハナを元の世界へ帰すという約束は果たせない。

 それどころか一生帰せない可能性が高い。

 仮に帰せるとしても最短でも一年かかる。


 アレクはそう言って頭をテーブルに擦り付け私に詫びた。

 詫びて済むことではないことは承知しているが、自分が責任もって一生ハナの面倒を見るから、と。


 私は……とにかく頭の中が真っ白になってしまい、しばらくまともに言葉が出なかった。

 元の世界に帰れない。

 あの世界の人々と二度と会えない。

 住み慣れた家も、ささやかな貯金も、今まで積み上げた人生もスキルもリセットしてゼロからやり直し。


 死刑判決を待つような顔のアレクに、火事はアレクのせいじゃないとか、とにかくアレクも休めとか絡繰人形のようにぎこちなく空虚に繰り返した気がする。

 少し考えさせてくれ、というと彼は席をはずした。

 どの位時間が経ったのか、しばらくして階段を上がる音がしてお茶を持って部屋に入ってきた。階下にキッチンがあるようだ。


 彼は大きな褐色の手で器用に小さな白いポットを操り、白いカップに薄い緑がかったお茶を注ぎ、砂糖入れとともに私の前に置いた。

 マスカットによく似た甘くフルーティーな爽やかな香りがふわりと漂い、記憶を刺激した。

 ーーあ、これエルダーフラワーのハーブティーだ。

 ぎくしゃくと一口口にする。

 他のハーブとブレンドされているらしく飲みやすい。鼻に抜ける香気と独特の甘苦さが、向こうの世界で飲んだ時の五感の記憶と重なり心が緩んだ。


 エルダーフラワーはリラックス効果がある。

 他にも抗酸化作用など様々な薬効があって、古くから『庶民の薬箱』とも呼ばれ親しまれたハーブだ。古代ローマ時代には既に薬用として使われていたという。

 英国などでは初夏に咲く白い花をハーブティーやコーディアル……シロップにしたり、お菓子に使ったりする。

 五感に刺激され、世界史オタクの記憶や興味が、固まっていた心の底からゆらりと浮かび上がってきた。


 エルダーは和名は西洋ニワトコ。ヨーロッパ各地に様々な伝承があって、ハリーポッターの魔法の杖がニワトコであるように、魔よけの力や神秘的な力があるとも言われる。

 花言葉は『思いやり』『熱心さ』『哀れみ』『苦しみを癒す』。


 アレクにはそんな意図はなく、単にリラックス効果のあるお茶として出したことは分かっているけれど、勝手にハーブに籠った意味に癒されることにしよう。


 自分はまだこんなことを考える余裕があるのかと思わず顔が緩みーーすうっと肝が座った。


 どこにいても、これが私だ。

 あちらの世界でもこちらの世界でも。


 元々、ワーキングホリデーで今までと違う国で働きながら暮らしたいと思っていた。

 それがこの世界でもいいじゃないか。

 行き先を選べない、帰るに帰れないという状況は遠慮したかったが。


 ーーこの世界で自立して生きていくことを目指そう。

 そう肝が座ると、今後の見通しが立ってすうっと気持ちが楽になった。

 暗い顔のアレクに、その不安が少しでも軽くなるよう意識的に顔の筋肉を操り笑みを作り、力強く言った


「アレク、私の考えを話したいと思います」

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