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17 立ち上げ

 不安げながら真剣な眼差しのアレクに、あえて四角四面で直球の言い回しを選びながら話す。

 誤解や感情のノイズが減って真っ直ぐ伝わるしーーその方がアレクの負担を減らせるだろう。


「私は今後やろうと思っていることが2つあります。

一つは、研究所に責任を求めること。もう一つは、いずれにせよ長期滞在になるので自立の目処をたてること。

どちらも私一人では大変難しいので、力になって頂けないでしょうか」


 アレクは瞠目し、数秒天井を睨んだ。

 思考を整理しているらしい。それはそうだろう。

 今アレクはアレクの視点で、自分が全ての責任を背負い、謂わば盾になって私への負担を最小限に食い止める思考の組立て方をした。

 私はあえて空気を読まずそれをひっくり返し、私の視点での状況の整理と対応案を提示したのだ。その方がアレクの負担が少ない。

 彼は根底から違う視点を理解するのにそう時間はかからず、すぐ私に視線を戻した。

 本当に思考の整理の上手い人だ


「勿論、全面的にハナの力になります。まず、そこは言明しておきます。あとはーー話を続けて下さい」

「まず一つ目ですが。

研究所は私を帰す責任があります。

ジョン個人が不在か否かに関わらず、実験が研究所の管理下で行われた以上、『私を元の世界へ帰す』という約束は、研究所が果たす責務があります。

私はその約束でここへ来たのですから、それが完遂されなければ詐欺行為です。

今は研究所も突然の火災と事後処理で混乱していているでしょうし、優先すべきこともある筈です。死傷者はいないようで何よりですが、それでもこちらへの対応に時間が掛かることは重々承知しています。

しかし今後、帰還と、帰還延期で余計にかかる滞在費は研究所に要求したいと思います」


 アレクは真剣な顔で私の話に耳を傾けーーそしてくしゃりと顔を歪めた。

「それは勿論お手伝いします。ーーでも、俺もハナを帰せる前提でこちらの世界へ誘いました。ハナへの加害者の一人です」

「帰還の物理的手段は研究所の責任分野でしょう。ジョンが『帰りまできちんと安全にお送りすると、カーライル研究所が責任もって保証する』と明言したのをはっきり覚えています。アレクと私は謂わば『契約違反で損害を被った』立場です」


 研究所・アレク・私の三者の立場は、海外旅行なら、航空会社・航空会社が発行した優待往復航空券を使って知人を招いた人・招かれた旅行客 に少し近い気がする。

 旅行客が滞在先にいる間に、航空会社がアクシデントで保有航空機を失い帰国の便を欠航するという。帰還に使える交通手段はその航空会社しかなかったのに。

 その場合、航空会社が振替便と延泊ホテルと滞在費を用意するのは当然だろう。


 しかも今回の場合、航空会社(研究所)は残っているのに、経営方針や担当者不在を理由に帰国便を完全停止するという。旅行客が帰国手段を失うのに復路航空券を一方的に無効にする行為だ。筋が通らない。これは粘り強く交渉していこうと思う。

 現時点、元の世界に帰る帰国便が一生出ない可能性はある。技術的に不可能な場合だ。しかしその場合も和解の合意に達するような補償は受けてもいい筈だ。


 そんな航空会社を信用して利用した客にも責任はあるという指摘はあるだろう。

 しかし航空会社から帰還できないリスクの説明はなく適正なリスク判断手段が奪われていた。重要事項説明の欠落である。

 更に、航空会社の責任に比べれば些末なものであり、相殺には程遠い。

 被害者に僅かでも非を見つければ加害を正当化できる、という昭和の謎の論法には惑わされない。加害を正当化したい欲望に閉塞した、あらゆる詐欺や無法行為を正当化できてしまう暴論に過ぎない。


「アレク一人がそこまで責任を感じることはないんです。アレクは厚意で私を招いてくれて、案内までしてくれた立場です」

 私は繰り返す。

 しかし現実に私は喫緊の問題に直面していて、研究所は今すぐには動かない。

 私一人で事態の全てを背負ったら路頭で餓死する。

 私は元々人に頼るのがとても苦手なタイプだ。しかしここはアレクを頼ってみよう、と腹を括る。恩は出世払いしようと誓う。


「その上で、なのですが。

私はこの世界で無一文で家もありません。

この世界のことを知らず、身につけたスキルも大きく違います。すぐ生活が成り立つ状況ではありません。

そこで、お言葉に甘えてアレクの力を借りられたらと思います」

 頭を下げる。

「勿論です。俺にできることでしたら何でも」


「少なくとも一年は滞在が確定しているので自立を目指します。自立できるまで力を借りたいんです。例えば、目標としては半年とか。

まずは食住の確保。そして職探し。

職は自分の年齢や今後の見通しを考えて、可能ならば今日明日からの単純労働ではなく、何らかの職業訓練を受けてからにしたいのですが」


 とりあえず最低でも一年は滞在するのだ。

 自分で貯めた貯金を持参して計画的に来たならいざ知らず、職を持たないという選択肢はありえない。

 しかし右も左も分からないまま就職紹介所へ行っても労働を安く買い叩かれる。職業訓練的なことがさせてもらえる機関がないだろうか。


「無理に働かなくても、俺が面倒見ますから」

 アレクが思い詰めた顔で言う。

 うん、そう言ってくれる気がしてた。私だって『あの子』を保護した時、働きたいと言ったら無理するなとまず言っただろう。未成年でなくても圧倒的弱者な異邦人という観点で。でもそれではダメなのだ。


「それは私にとっても、多分アレクにとってもいい関係でないと思うので避けたいです。

私は向こうの世界でも仕事を持っていた健康な成人ですので、準備期間があれば過大な無理とは思いません。

私の国には『友人でいたい相手には金を貸すな』という言葉があります。経済的に貸し借りがある状況では健全な人間関係を築けなくなりがちです。

アレクはとてもいい人で、これからも好ましい関係でいられたらというのが私の希望です。

また、『働かざる者喰うべからず』という言葉もあります。働かないと私は多分病みます」



 経済的自立は性別問わず人間の生命線だ。

 仕事はその人の人生や尊厳そのものでもある。

 そして、経済的不均衡の人間関係は対等性を失わせる。

 仕事を持たない理由が見つからない。

 少なくとも私にとってはそうだ。


 例えば、アンペイド・ワーク問題というものがある。

 夫婦や恋人でも、女性がアンペイド・ワーク(報酬を伴わない労働)ーー家事や介護や育児を多く担うなどの理由で経済的弱者となることが、女性の貧困やDVや社会的地位の低さを生む社会問題として指摘される。

 てか、日本はジェンダー格差酷いせいで、女性は男性に白紙委任状渡す専業主婦か、ボロボロになるまで働いても報われないかの二択以外が奪われている社会構造が問題なんだよね。

 男性や国際社会の女性ーー『普通の人間』と同じように、特別に優秀でなくても普通に働いて、普通に経済的社会的にも報われて、普通に家庭持つという、当たり前の三択目を奪われていなければそれを選ぶ人が大半だと思う。

 働く女性と専業主婦の対立であるかのようにすり替えられがちだがそうではなく、構造的に三択目を搾取しているクラスタ達の問題なのだ。


 19世紀のようなこの世界は、時代的に女性が働けないとか結婚が全てと思う人もいるかもしれないが、そうでもない。

 ヴィクトリア朝でも人口の3/4を占める労働者階級の女性は仕事を持っていたし、結婚が義務のように言われる上流や中流階級の女性でも手に職持って幸せに独身生活を全うした人も存在する。私はこの世界で、専業主婦をする未来は全く想定していない。というか多分その枠は殆どないだろう。


 一方、経済的に自立するにしても、一文無しのレベル1でこの世界に来たばかりの私には今すぐ成し遂げられない。

 そこで今話した案ーー半年目安でアレクの力を借りることをまず打診してみた。この期間の長さは、この世界の状況を見ながら応相談だ。

 もしダメなら、第2案として研究所を頼ることにしてすぐ交渉に行く。

 向こうも火事で大変だろうが、こちらも今晩から路頭に迷うのだから押すしかない。取り急ぎの食住の確保、最低限でも焼けなかった研究室の一室を借りて寝起きする位は求めていいだろう。

 第3案としては職業紹介所に行ってすぐ住み込みで働ける所を探す。

 しかし言葉さえ不十分な今の私ではかなり条件の悪い所しかなさそうで、将来的に蟻地獄に落ち込みそうで怖い。

 できれば第2案位までで落とし所になるといいのだが。


 アレクは長いこと天井を睨みーーいや、目はきつく閉じたまま考えた後、ひたりと私を見据えた。

 朝の動転した様子はなりをひそめ、黒髪から覗く金色の目は落ち着いた理性的な光を取り戻していた。


「ハナの考えはとても聡明に整理され理性的で、現実的でもあります。ハナの考えや希望に沿うように俺も動きます。

一方でーーハナは自分に厳しすぎ自分の負担を多くしているように感じます。

俺は、ハナが考えるより多く、俺が負うつもりでいます。俺が呼ばなければハナはこんなことを負う必要はなかったのですから。そこは俺も譲れません」

「私が来ることを選ばなければアレクもこんな苦労はなかったんですよ?」

「元の世界と切り離されたハナとは重みが違います」

 言う通り譲らなそうだ。消化不良な感覚は残るけれど、この辺りがお互いの落とし所だろうか。


「では、ハナの今後についてもう少し相談していきましょう」

 朝の死にそうな表情は消え瞳に力が戻り、頭を切り替えて前向きに思考しだしたアレクに、それでも一つの目標は達成した気がした。

 ヴィクトリア朝の女性の就労状況のデータの参考文献はこちらです。

「ヴィクトリア朝の女性と暮らし ワーキングクラスの人びと」(川端有子著 河出書房新社 2019年発行)


 作中の航空会社と利用者の例えは、条件の大きく異なる異世界旅行に無理矢理重ねているので、現実の海外旅行については全く別にお考えください。

 一国から脱出する手段が陸路海路もなく一航空会社しかない、国際情勢や外務省海外危険情報サイトその他リスク判断情報ソースが全くないなど、大変特殊な条件です。また、航空会社の責任は、規約の内容で大きく違います。

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