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15 旅の終わり

 3日目は建物や施設巡り。

 今日のアレクの服はややラフな印象がある。昨日や一昨日は初めのうちなので様子見にかっちりした印象の服を選んだのだろうか。


「昨日ハナに訊かれたこと、店の本で調べてきました。やはりこの街の建物の建材は石灰岩が多いですね」

「ええ!調べてくれたんですか!お手数かけてすみません!」

「いや、俺も答えられなくて気になったので」


 この街は白っぽいクリーム色の石造りの家が多い。パリの街とかこんな色だった気がする。それで、同じ石だろうかと興味を持ち訊いたのだった。

 昨日私はアレクが案内してくれるという観光地『ライムストーン・ケイヴ(limestone cave)』が何を指す分からなくて、さんざんやり取りした結果、『鍾乳洞』と分かった。普通日本人は学校で習わないよね!

 ケイヴは洞窟、そしてライムストーンは柑橘類のライムとは無関係で石灰岩のことだそうだ。

 それでふと、以前資料で読んだことが気になりアレクに尋ねたのだ。


 アレクは近くの建物の白っぽい石材を指の背で軽く叩いて説明する。

「昨日行った鍾乳洞のように、この辺りは石灰岩の地層があります。家を作る建材は他所から運んでくると高いのでその土地を掘って出てきた石で作ることが多くて、この街は石灰岩の家が多い訳です。

近隣の街もこんな石材を使った家が多いのですが、列車で半日行った先の大きな街はもう少し灰色っぽい砂岩の家になります。

でもこの街でも、教会や市庁舎などには他所から運んだ高価な石材を使っていますし、予算や建てた年代などの理由で木や煉瓦の家も混在しています」


 流石アレクは説明が上手い。分かりやすい。思わず拍手。


 私の世界のヨーロッパも似ている。

 貝等が堆積してできた石灰岩や、それが変成した大理石や、白亜期を特徴付ける白亜(チョーク。石灰岩と近い成分)などの地層がある。

 だから、イタリアの古い建物に大理石建築が多くて、パリが石灰岩の石造り建築だったりする。

 建材に向いた石がないと、森林の豊富なドイツでは童話の家のような木組みのハーフティンバーが建てられたり、ロンドンは粘土層だから煉瓦造りだったり。

 一方、例えば英国でも土地によっては石灰岩やハーフティンバーの家もある。建材は国境で分かれる訳ではなく土地土地で地産地消がベースになるためだ。

 そこに時代や予算や社会情勢も入ってくるから、読み解くのが難しい時もあるし、そこがまた面白いのだ。


 アレクは続ける。

「石灰岩は保水性が悪いので土壌が発達しにくく森林ができにくいです。北の丘は地下に鍾乳洞があってあまり高い木がありませんが、南の湖の辺りは林が広がっていて、茸やベリーなどがよく採れます。

資料は見つかりませんでしたが、多分南は土壌の質が少し違いますね。地層のずれがあるかもしれません」


 私の一言から、そこまで視野を広げて思考を巡らせたのか。しかもごく自然にガイドに生かして説明してくれて。本当に聡明な人だ。


 石灰岩の浸食でできたカルスト地形というと、私は日本の秋吉台をまず思い出す。草原に白い岩がぽつぽつあって、高い木が少なくて、地下に鍾乳洞の秋芳洞がある。あんな感じだ。

 ちなみに古くから観光に開放された有名な鍾乳洞があるスロベニアのクラス地方は、ドイツ名カルスト地方で、カルスト地形の語源である。

 とりあえずこの辺りが石灰岩ということは、恐らく水は硬水なんだろうな。石灰岩が溶けてカルシウムなどが豊富な筈だ。

 私は比較的硬水には強い方だから数日なら飲んでも大丈夫かな。ミネラルウォーターを買える世界じゃないから選択肢ないし。生水は避けられても、硬水は沸かしても硬水のままだ。


 しばらく歩くと、公衆浴場があって驚いた。いや、私の世界の19世紀ヨーロッパも国によってはあったけど。

 共用のシャワールームみたいな個室タイプでシャワーでなく浴槽があるものが主で日本のとは大分違うけど、水着で入るスパのプールみたいのもあるそうだ。時間的余裕があったら入りたかった……。


 薬局はウインドウの鮮やかな赤紫色の怪しい液体の入った大きなフラスコ瓶が目を引いた。

 ……あれは多分客寄せだよね?飲み薬があんな色だったりしないよね?

 アレクに聞いたら、やはりそうだった。

 字が読めない人にも、化学を扱ってる店だと分かりやすい看板になるからだそうだ。

 そういえば中世頃が舞台の映画でもレストランはナイフとフォーク、鍛冶屋は剣と金槌の看板を下げて文字に代えてたっけ。その薬局版か。3Dでカラフルな薬品の方が目を引いてよさそう。

 庶民はそうそう医者にかかれないので、こうした薬局にある化学的な薬やハーブを利用した民間薬をまず利用することが多いそうだ。


 アレクに、あまり観光らしくない案内だけどいいのか、と訊かれたが私には面白い。

 アレクにとっては見慣れた普通の建物も、私にとっては歴史建造物だ。しかも現在使用中の。市庁舎、教会などは柱の彫刻やステンドグラスが立派だし、街外れの民家は木戸一つとっても素朴な魅力がある。


 昔の建物を残した街は現代にもある。しかしその『器』に出入りする人や、それに伴う社会背景や文化が大きく違う。

 建物と人の時間の流れ方の違いに思いを馳せる。そしてこの街の下には、何百万年も前から地下水で造られた鍾乳洞があり、その石灰岩の地層ができたのは恐らく億年単位で昔だ。その一部は切り出され地上で家になっている。

 土地と時間と人の交錯が、たまらなく魅力的に目の前で輝いていた。



◇◆◇◆◇◆


 4日目は、列車に乗り3駅隣の温泉地へ日帰りした。

 私が前日に公衆浴場に興味を惹かれたからだけでなく、この辺りで一番人気の保養地だそうだ。


 この辺では温泉は以前は健康療法的な扱いだったけど、最近はプールやスパみたいのも人気とか。

 日帰り客も入れるとのことで、個室タイプのに入ることになった。結構たっぷりお湯が出て快適。

 ホテルでは部屋で体を拭くか一階の共用のバスルームだった。交代で一人づつ鍵かけて入って盥で洗う方式。着替えて自分の部屋に戻る時コルセットを省略したのは内緒だ。

 アレクも折角だからと男風呂に入った。前にも入ったことがあるけれど、私が熱く語る風呂の素晴らしさを聞いてから入ったら、何だかもっと効いた気がすると笑った。


 この温泉は日本に多い火山性でなくて、非火山性の深層地下水型というものだった。火山のマグマだまりの熱ではなく、地下のプレートの熱で温められたお湯。温泉大国のハンガリーがこのタイプじゃなかったっけ。

 石灰岩の土地柄なのでカルシウムやマグネシウムが豊富ですべすべする感じの肌触り。飲泉できるというので飲んでみたら少し硫黄の匂いがした。

 地面の下のプレートや地下水は、広い世界と長い時間を駆け巡って、今この瞬間の私と出会ってあるんだなぁ。しみじみ思いを馳せる。


 ここは観光地らしい華やかさのある街で、アレクと一緒に散策するのも楽しかった。

 そうした洒落た観光コースも歩きつつも、この温泉の歴史とか、最近旅行物の本が流行していてこの保養地を題材にしたものもあるとか、話題が歴史オタクや本の傾向のような固くてマニアックな話になってしまう。

 どうにも私とアレクが揃うとこういう方向性だね、もうしょうがないと、これまた二人で笑った。


 列車で元の街に戻る時は二人とも無言だった。

 でも居心地悪いものではない。

 温泉に浸かったのでぼうっとした疲れがあって、ここ数日ですっかり打ち解けた相手とゆったり過ごす時間は、うとうとした眠りを誘うような柔らかさがあった。

 車窓の外は夕暮れに染まっていた。赤い空は上へ向かって薄い青で、次第にそれが紺青へと色を深めていく。

 その美しい光景を、二人で黙って眺めていた。



◇◆◇◆◇◆


 ホテルへ送ってもらい、私は自分の部屋の椅子に座り息を吐く。

 首を巡らせ眺めた窓の外はもう真っ暗だった。街に灯りは少なく、欠けた月の光を家々が わずかに青白く反射している。


 充実していてあっという間の4泊5日だった。

 明日は少し街中を歩いてから研究所へ向かい元の世界へ帰る予定だ。

 そして二度とこの世界へ来ることはない。

 今まで行った海外の国も今の所二度訪問したことはないが、行こうと思えばまた行ける。


 けれどこの世界へは恐らく二度と来れない。アレクとも二度と会うことはないだろう。


 ……一生忘れられないだろう。


 後ろ髪引かれる想いでベッドに入った後も、この数日の鮮烈な記憶が次々過り続け頭を離れず、シーツを頭から被り潜り込んだ。




 だからその後、街の東で炎と煙が上がり、夜空を赤く焦がしていたことを私は知らなかった。

 薬局の描写は、英国BBC制作の歴史ドキュメンタリー・シリーズ「Victorian Pharmacy」(ヴィクトリア朝の薬局)を参考にしています。

 凄く面白いんですが、日本語字幕がないので英語字幕で一時停止連打で見ました…orz。でも面白いです。

 公衆浴場もヴィクトリア朝英国を参考にしています。

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