九 見えない少女03
少女に気付かれないよう、そっと息を吐く。
「どうだろうな」
そんなこと、考えたこともなかった。
指定された場所に配達すれば、それで良い。そこに行きさえすれば、渡す相手はいるものだという前提が、あったからだ。
「まぁでも――」
彼女の頭を、もう一度撫でる。
「今度から、考えてみることにするよ」
そう言うと、少女は納得したような顔で、笑った。
彼女は再びラジカセをいじる。
「入れ替えするのか? 手伝おうか」
「ううん! 自分でするの!」
勢いよく断られてしまった。
考えてみたら、あのカセットテープは、彼女の宝物なのだろう。それにおいそれと手を伸ばすのは、良くないことだったと思う。
新しくかけられたのは、鳥が鳴く声だった。
「鳥の声、生で聞いたことあるか?」
「ないよ。あなたはある?」
「俺が嬢ちゃんくらいの頃にな」
バベル・エデン計画が決行される前だ。死に絶える前のカラスや、鳩の声は、今でも耳に残っている。
「いいなぁ」
「まぁ――そうだな。でも、今は誰も聞くことが出来ねぇから、それで聞ける嬢ちゃんは、ラッキーなのかも」
「そうだよね!」
がっかりしてしまった子どもの励まし方なんて、知らない。
適当に口にした言葉に、気を取り直してくれたのでほっとする。迂闊なことを言ってはいけないのかも、なんて思う。
これまであまり、子どもと触れ合う機会がなかったのだ。ドギマギしてしまう。
「ねぇねぇ、それじゃその荷、って中を見ちゃうことある?」
「ないな」
間髪入れずに返してしまった。怖がらせたか、と彼女を見れば、にっこりと笑う。
「ふぅん。なんで?」
しまった!
もしかして、何を言っても、なんでで返ってくるのか。
「それが、ルールだからだ」
「ルールだと、守るの?」
「ああ。守るから、ルールっていう」
職業倫理だなんて言葉を告げたところで、まだわからないだろう。
中身を知りたいと思うことと、荷を開けることは、全く別の話だ。そもそも中身を知りたいと思うこともないが、それ以上に、荷を開けようと思ったことなど、ただの一度もなかった。
「ふぅん。ルールって、守るからルールっていうのね」
こくこくと頷きながら、少女が口にする。
彼女はまだ、誰かと取り決めをすることなど、経験がないのだろう。
鳥の声が、今度は虫の声に変わっていた。
「あぁ、これはコオロギの鳴き声だな」
「これが? 私がいつも食べてるのの、鳴き声?」
「地底コオロギじゃなくて、元々の種の方だ」
カセットテープという時代を考えると、変異する前のコオロギが正解だろう。
「同じ鳴き声なんだ」
そのほかにも声がするが、さすがにそれ以外はわからなかった。今はもう、絶滅してしまった種の鳴き声も、多いのだろう。そう告げれば、再び返される。
「絶滅したら、声は聞けなくなるんだね」
「そりゃそうだろ。声だけじゃない。姿も見ることはできなくなる」
「絶滅って、なに?」
この子は、まるで哲学者のような質問をしてくる。
それとも子どもというのは、こういうものなのか?
「絶滅っていうのは、この世界から同じ仲間が全部消えることだよ」
「人間も、絶滅するの?」
「……もしかしたらな」
そうならないために、チキュウ連邦では、いろいろと手を打とうとしているのだろう。
残念なことに、今のところ全てが失敗に繋がっているようだが。
「ずっと前には、戦争があったって聞いたよ」
「そう。この世界にはいろんな国があって、お互いに戦ったんだ」
「なんで?」
「なんでだろうね。戦いたいと思う人は、本当に少しだけなのに、戦いたくないと思う人が、死んでいったんだ」
「悲しいね」
「そう。悲しいんだ」
戦争がなくなり、けれど汚染は残った。
何のために戦ったのかなんて、俺たちのような人間にはわからない。
「ねえ、配達人さんは、どこでご飯を食べるの?」
そんな重い話の後に聞かれる質問がこれだと、誰が想像できるのか。
思わず笑いがこみ上げてくる。
「なんで笑ってるの?」
「いや、良い質問だなって思ってさ」
「ふぅん」
彼女の口癖は『ふぅん』のようだ。
俺は彼女の手を、顔にある空気清浄フィルターへと触れさせた。
「今触ったのが、空気清浄フィルターってやつだ。わかるか?」
「うん。なんかすっごくごっつい感じだったよ!」
「そうだろう。これがないと、外で息ができないんだ。嬢ちゃんも、お父さんから、外に出たら駄目、っていわれてるだろ?」
「なんでわかったの? すごーい」
空気清浄フィルターをつけていない子どもを、外に出すわけにはいかないからな。
「これをつけてない嬢ちゃんが外に出たら、あっという間に苦しくなるんだ」
その言葉に、少女は僅かに怯む。
「大丈夫。外に出なければ、問題ない」
「よかった」
「それでだ」
ここからが、彼女の質問の答え。
「これをつけてると、飯が食えない」
「あっ」
少女は笑った。なぞなぞの答え合わせのように感じたのかもしれない。
「だからたいていは、こういう建物の中で、飯を食うんだ」
とはいっても、本当に少量をパパッと口にするだけ。腹一杯の飯なんて、もうずっと食っていない。いつでもいつまでも、かすかに飢えた気持ちを抱え続けている。
「そのごっついやつは、外ではずっとつけてるの?」
「そう。外にいる人は、皆こういうのに似たもんをつけてる。嬢ちゃんのお父さんも、きっとつけてるよ」
「お父さん、そんなにごっついのじゃない」
「ご飯を貰いに行くくらいなら、ここまでごっつくなくても平気」
空気清浄フィルターにも、何種類かある。
俺のように仕事で長時間外にいるヤツは、少女曰く『ごっつい』ものじゃないと、それこそすぐにくたばっちまう。
僅かの時間の移動であれば、短時間対応の空気清浄フィルターマスクという簡易版があるので、多くの人はそれを使っている。
「じゃぁ、お父さんは大丈夫だね」
「ああ、多分な」
絶対とは言えないが。
「そろそろ行かないとな」
ここにきて、一時間くらい経った。あまりのんびりもしていられない。
「ふぅん」
少女は寂しそうな表情を浮かべ、それでも俺を引き留めることはしなかった。
こうした別れに、慣れているのだろう。
一人父親を待つ間、一人きりでいるよりは、別れがあっても誰かと話せる方が、彼女にとっては実りがあるのかもしれない。
「じゃあ最後に一つ質問してもいい?」
「ああ、いいよ」
「配達人って、一人で配達するの?」
「……人による、かな」
今は俺は一人で行動している。
でも、それ以上のことを彼女に説明する必要もないだろう。
「じゃぁ、家族で配達人をしていることもあるんだ」
「そうだな。小さい子どもがいる人はしないけど、夫婦二人なら、してることもあるだろう」
二人で活動すると、大量の荷を運ぶこともできるし、何かあったときに、助け合うこともできるから、都合が良いことも多いのだ。
「あなたは、一人?」
「相棒は、いるよ」
建物の外で待っている、ケリュケイオンを思い、そう返した。
「そっか。じゃぁ、寂しくないね」
彼女は、俺のことを言ったのか。
それとも、一人父親を待つ今の自分を思ったのか。
「嬢ちゃんも、たくさんの『音』があるから、寂しくないな」
「うん。あっ! あなたの声を録音しなきゃ!」
慌ててカセットテープを入れ替えた彼女は、ラジカセを俺の方へと向けた。
「私がここの二つのボタンを一緒に押すから、そしたら話してね」
何を話せというのか。
先に聞いていた、同じように録音させられた人たちの声を思い出す。
彼女がボタンを押し、録音と書かれた場所に、赤い小さなランプがついた。
ああ――。
彼女は、このランプは見えないのか。
そう思いながら、口を開いた。
「どうも、俺は――」




