七 見えない少女01
地下鉄から地上へ出ると、新宿駅跡だった。
思ったよりも先に進めていたことに、安堵する。
「ここは地下要塞みたいなもんだからなぁ。人も多そうだ」
実際、戦時下では軍の司令部の一つが置かれたとも聞いている。
人が多いと言うことは、配達人というだけで言いがかりを付けてくる奴が、出てくる可能性も高い。厄介ごとに巻き込まれたら面倒だ。
「さっさと抜けるか」
そう呟いた直後だった。
「痛ぇっ」
俺の頬に、何かがぶつかる。ゴトンと音を立てて地面に落ちたそれは、握りこぶしの半分くらいはありそうな、石だった。
「配達人が何の用だ」
石を投げたであろう爺が、こちらを睨む。その後ろには、同じような年嵩の男が複数人見えた。
「――別に、あんたたちに用があるわけじゃねぇ」
一人では文句も言えないクズが。
心の中でそう続け、俺は彼らを睨む。人間の悪意というのは、どうも複数人がいると増幅しやすいらしい。
鋭利なものを投げられる前に、この場を去りたい。
「汚染を運んでくるんじゃねぇよ!」
「俺たちの場所を穢すな」
「悪魔め」
幾度も言われてきた言葉。もう傷付くことはないが、気分が良いわけでもない。続けてもう一度石が投げられたが、それは手で受け止める。こいつを投げ返してやろうか、と思ったが、奴らと同じ土俵に上がりたくはなかった。
だいたい、俺を悪魔というが、あいつらは神を信じてでもいるのだろうか。見たこともない、助けもしない神も、その眷属の堕落した奴らというのも、どうでもいい存在だ。
「あんたたちには何も届けねぇから、安心しな」
それだけを言い残し、俺はケリュケイオンにアクセルをかけ、駅舎を飛び出した。
地下にいるときには緑色を灯していた空気清浄フィルターのランプが、黄色に点滅し始めた。
この辺りは高層ビルの残骸も多く、空襲で中途半端に崩れたコンクリートや割れたガラス窓が、こちらをあざ笑うかのように、見下ろしてくる。汚染され、淀んだ空気や物質が、そうした建物に付着するのだ。
「なんで昔の日本人は、建物の一面をガラス窓張りとかにしてたんだ?」
骨組みと割れたガラス窓が残るビルの下を通りながら、思わず呟く。
どうも昔は高層群と言われた辺りらしく、瓦礫も多い。そのせいで、ケリュケイオンがやたらと上下に動いた。
「ま、この程度であれば、こいつで乗り越えることは難もないけどな」
ケリュケイオンのボディを軽く撫でる。
その崩れたビルの向こうには、煤けた朱赤の鳥居が見える。かつて守とも杜とも呼ばれた森、明治神宮の跡地だ。東京で最後の最後まで、生き残った森の一つらしい。残念ながら、今は枯れた木々が残る場所になっている。
おそらくあの辺りにも、集落があるのだろう。緑が多かった場所は、汚染が比較的少なく、神社の建物は人が集まりやすくもあるらしい。こちらは、神を信じて集まっているわけでは、なさそうだけど。
かつてこの東京の大動脈とも言われた、首都高速が崩れ落ちている道路の端を走る。右手にやたらと大きなビルが、三分の一辺りまで鉄骨だけの剥き出しになっているのを最後に、周囲には高い建物がなくなった。
そのまましばらく行くと、だんだんと風景が鄙びてくる。
「同じ朽ちてるにしても、高層ビル群よりも気が楽なんだよな」
徐々に増えるアップダウン。少しずつ上り坂が増えていくこの道の左右には、かつての住宅地が広がっている。海からは、大分遠ざかった。
木造の家々は、ボロボロになって柱だけが残っていたり、そうかと思えば剥落した壁の向こう側に、畳の部屋が見えていたりする。
外壁を覆えば、そのまま誰かの生活が再開しそうなまま残された家具が、泥にまみれて残っていた。あの家に住んでいた人たちは、汚染を恐れ、着の身着のまま逃げたのだろうか。
ふと、妙な音が聞こえた。
「……なんだ?」
気にしなければいいのに、一度気になると、正体を突き止めたくなる。
ルートからはほんの少しだけずれるが、音が聞こえるということは、たいした距離でもないのだろう。様子だけ、見に行くことにした。
通りから二本ほど入った先。崩れた壁の中にあるのは、古い病院だった。
今はもう、使われていないのだろう。
ケリュケイオンを近くの大きな木にチェーンで繋ぎ、建物の中に入っていく。
「誰か……いんのか?」
音は、教会の鐘の音のようなものだった。
「この辺に教会なんて、ねぇよな」
眉根を潜め、周囲を確認する。建物の中に入ると、空気清浄フィルターのランプが緑色に切り替わった。ここは安全のようだ。
建物の奥に、白い布をかぶった少女がいた。
八歳くらいだろうか。色が白く、髪の毛の色も薄い。
海の向こうの血が入っているのだろうか。
「お父さん?」
少女が俺に気付き声をかける。言葉は、日本語だった。
「いや、俺は」
「お父さんじゃない。だぁれ?」
父親を間違えるか? そう思って少女をよく見れば、目に包帯を巻いていた。
――目が、見えないのか。
「俺はお父さんじゃない。嬢ちゃんのお父さんは?」
「ご飯を、もらいに行ったの」
少女が一人きりではないことに、安堵する。
彼女の近くには、ネモさんのところで見たラジカセのようなものが、置かれてあった。繋がる線は、建物のさらに奥から引いているようだ。
「それは教会の鐘?」
「うん。私はもう見えないから、音を聞いてるの」
やがて鐘の音は消え、今度は風見鶏がクルクルと回る音がする。
こんなものを聞いて、何が楽しいのか。
「嬢ちゃんのお父さんは、いつ帰ってくるんだ?」
「うーん。わかんない」
痩せてはいるが、そこまでではない。おそらく父親は本当に食べ物を貰いに、近くの集落に行ったのだろう。
捨てられた子ではないようだ。
「でも多分夜には戻ってくると思う。いつも、そうだから」
「良かった」
目が見えない少女は、随分と人懐っこい。
「お父さんがね、誰かが来たらお話ししなさいって」
「へぇ。じゃあ少しの間、俺と話そうか」
「うん!」
彼女は手を伸ばしてきた。
見えない分、手で確認をしたいのだろう。その手を握り、俺の腕に触らせた。
「顔に触れさせてやりてぇけど、今俺の顔は、空気清浄フィルターで覆われてるからな」
「ふぅん。これはあなたの腕?」
「そう。俺の、腕」
さすりさすりと、彼女が触れる。
満足したのか、手を引っ込めると、彼女は笑った。
「あなたは、どこから来たの?」




