六 地下鉄の老婆04
俺の目線に気付いたのだろう。ネモさんは、それをポケットから出してくれた。
「これは、娘からの最後の荷、手紙だよ」
彼女の瞳がやわらかくなる。
「これを届けてくれた配達人さんは、娘が元気でやってるってことも教えてくれたんだ」
今回の俺のように、荷をシステム的に受け取る場合もあれば、こうして誰かから直接手渡され、預かることもある。
「春になったら、会いたいね。なんて書いてあった」
――春になったら。
横浜が沈没したのは、二月のことだった。
娘さんもネモさんも、そうして春を待ちながら、過ごしていたのだろう。
光の入らない、この地下で。
「もうずっと、春は来てないねぇ」
そう言って、彼女は手紙を畳んだ。
「あんたは好きなもんないの?」
「え? 好きなもん?」
急に言われても、特にない。でも、強いて言うなら――。
「あるよ」
そして、そのために地下に潜ったんだ。
彼女の宝物のようなこの山から、貰えるかはわからないが、口にしてみる。
「なぁネモさん。俺の相棒の具合が、悪いんだ。銅線か何か、分けて貰えねぇかな」
ちらりとネモさんの視線が、ケリュケイオンに投げられた。
「そいつの具合が悪いのかい」
「その通りだ」
ネモさんは体を半回転させて、奥の引き出しを指さす。
「あそこの上から三番目の引きだしに、何か入ってるだろうよ」
言われた場所を漁る。
雑多なものがたくさん入っている中に、いくつか銅線を使っているジャンク品があった。他にも、冷却ファンやコネクタなどの古いものが、押し込められた状態で入っている。銅線以外も、あわよくば分けて貰えたら助かる。
「ネモさん、ここにあるモン、いくつか貰ってもいいか?」
「構わないよ」
ダメモトで聞いてみれば、思いのほか彼女はすんなりと応えてくれた。
「それは、配達人さんが、誰かに荷物を届けるために、必要なんだろ」
彼女の言葉に、ピタリと動きが止まる。
それに気付いたのか、気付かないのか、ネモさんは言葉を続けた。
「あんたに荷を預けた人も、その荷を受け取る人も、あんたが無事に届けてくれるのを、心待ちにしてるだろうからね」
「――関係ねぇな。俺はただ、決められたルートで荷を運び、報酬を得るだけだ。生きるためにな」
ネモさんは、目を細めて俺を見る。
それはまるで、随分昔に死に別れた、母親の瞳のようだった。
「それでも、荷を預けるときは配達人さん、あんたに託してんだよ」
彼女の言葉に返事をせず、ケリュケイオンへと歩を進める。
ケリュケイオンの体を一度撫で、腹を開く。
「お前も俺も、ガタが来てるからなぁ。でも、見捨てることはしねぇぜ、相棒」
引き出しから引っ張り出した基板から、銅線を何本か引っこ抜く。それをケリュケイオンの配電盤に焼き付けて、試しにエンジンを入れる。
いつも通りの声を上げ、ケリュケイオンはその機体を震わせた。さっきまでの状態からは考えつかないほど、元気が良く感じる。
「動いた!」
「そりゃよかった。これで先へ進めるね」
ネモさんは、ポンと一つ手を打った。
「先に進めねぇと、仕事を放棄することになるからなぁ」
荷を届けられないということは、配達人としてクロノスシステムから抹消されるということだ。それはつまり、この世界で食っていく手段を、一つ奪われるということ。
クロノスシステムは古いシステムだからか、状況判断で赦免するということもない。もしも配達人を人間が管理していれば、きっと違ったのだろうが。
「いつかまたこの近くを通ったら、ここを覗いとくれ。あたしが生きてるか、確認しにさ」
「俺とネモさん、どっちが先にくたばるか、わかんねぇけどな」
「それもそうさね。ほれ、さっさと行きな。この道を真っ直ぐ行きゃぁ、地上への近道だ」
ケリュケイオンに跨がる。ネモさんの方を振り向けば、彼女はラジカセの窓を開けて、四角い何かを入れ替えていた。
「そういや、あんたの名前は」
ネモさんは、手元に目をやったまま俺に問うた。そういえば、名乗っていない。
「エメスだ。ホウジョウ・エメス」
「覚えておいてやるよ、エメス」
さっきとは違う、もの悲しいようで、それでいてアップテンポな音楽が流れる。
複数の男性の声が、ハーモニーを生み出す。
「これはね、卒業式っていう、別れと再会を描いた歌なんだよ」
こちらを一切見ないで、ネモさんはしっしっと手を振った。
「ネモさん、ありがとな」
「無事に届けるこったね」
ケリュケイオンのエンジン音に、ネモさんがかけた音楽が妙に響き合う。
そこに、彼女の言葉が小さく聞こえた。




