二十四 荷物
この施設は、NRG――ノア・ガーデンという名称らしい。
話だけは聞いたことがある。
バベル・エデン計画で失敗したチキュウ連邦の研究組織『バベル・アーク』は、再びこの世界の汚染を収束させるべく、実験施設を作り研究している、と。
その話を聞いたときには、馬鹿馬鹿しいと思ったものだ。
一度大きく失敗して、汚染を再拡大させた上に、空気清浄フィルターなしでは地上を歩けない惨状にしたのは、バベル・エデン計画を実行したバベル・アーク。
俺たちがまともに生活ができなくなった大きな分岐点は、確実にあのバベル・エデン計画の失敗だ。
それなのにあいつらは、舌の根も乾かぬうちに、また研究を始めたのか。
――そう思っていた。
「ここがその、実験施設だったとはな」
子どもたちは、この環境で問題なく育つかという被検体だ。幼くして親を亡くした子どもたちから、選んで連れてきているという。
被検体だと? ふざけるな!
そう憤るのは簡単だが、それでも外の世界で子どもだけで生き抜くことの難しさは、良くわかっている。
この子たちにとっての幸せが何かは、わからない。
ただ、ここでなら、無事に生き延び大人になれる可能性が、外の世界より――そして、サクマ兄妹よりも、格段に高いことだけは確かだ。
「メテルディは、ここで暮らすのは嫌じゃないか?」
俺の言葉に、彼女はすぐに応える。
「友だちもたくさんいるし、楽しいよ」
にこりと笑う彼女の表情は、外の世界の同年代の子どもではほとんど見ない、屈託のない笑顔だった。
「そうか」
彼女をもう一度抱き上げる。
なかなか戻らない彼女を心配してか、他の子どもたちもわらわらと近寄ってきた。
壁に彫られた文字には、半年前の日付が入っている。
ここにいた研究員たちは、外と中を行き来していたため、汚染により命が尽きたのであろう。子どもたちに自分たちの死体を見せないため、少しずつ外へと出ていった、と壁に彫られた文字には、書いてあった。
最後に残ったのは、ユピテル所長、その人だ。
チキュウ連邦本部から派遣され、ここで研究を続けていた。子どもたちには、被検体だと感じさせないよう、そして互いに助け合い生きていけるよう、細心の注意を払ったとある。
それでも、汚染というものから、研究員たちは逃げることができなかった。子どもたちを残していくのが、心配だと綴られている。
その言葉に安堵した。
子どもたちを順番に抱き上げる。
メテルディが一番年上らしい。小さい子の中には、おそらく五歳ほどだろう子もいた。
いくら安全な場所だとはいっても、大人のいないこの場所で半年。きっと寂しかっただろう。
たくさん抱きしめ、撫でてやる。
それだけで、子どもたちは幸せそうな表情を浮かべた。
新しい刺激とあたたかい抱擁。
子どもに必要なのは、たったそれだけなのだ。
「よし、この荷を皆で開けてくれ」
壁の文字には、この荷のことも、もちろん書かれていた。
「おじちゃんは開けないの?」
「ああ。おじちゃんは、荷を運ぶのが――いや、運んで、受け取りの人にきちんと手渡すのが、仕事だからね」
荷を棚から外し、手をこちらに差し出すメテルディに優しく渡す。
まるで宝物を受け取るように、大事に彼女が荷を受け取ると、俺の心がなんだかムズムズした。
荷を渡す。
たったそれだけの作業なのに、まるで王冠を受け渡すような気持ちになってしまう。
メテルディは荷を床に置き、その回りに子どもたちが集まる。皆が床にぺたりと座って、様子を伺った。
彼女が荷を開いていく。
外側の包装を剥がし、箱の蓋をあける。
「あっ! 種!」
中身を見て、メテルディが声を上げた。他の子どもたちも、ずりずりと荷に近寄る。
そんな彼女に声をかけた。
「その種は、皆で育てて欲しいんだって。育て方、わかるか?」
「うん! ショチョーが教えてくれたから」
種は思っていた以上にたくさんあった。形も色もバラバラだ。何種類も用意されているのだろう。
彼らはそれを小さな手に握りしめる。
「おじさんも、一緒にやろ?」
メテルディは俺を見上げ、手にしていた種を差し出した。
配達した荷の中身なんてどうでもいい。
荷を渡せば終わり。
そう思っていた数日前が、嘘のように思えるほど、俺は自然に彼女から種を受け取った。
「さっきの扉の先にあった庭に、行こうか」
子どもたちは飛び跳ね、向かう。
高い位置のドアノブを再びひねり、扉を開けた。
「これも、開けっぱなしになるようにしないとな」
俺がいなくなった後、世話をするために扉を開けられないのは困るだろう。
我先にと庭に向かう子どもたちの後を追い、俺も庭に出る。
空気清浄フィルターがなくても大丈夫だと思える空気が、庭であるこの場所にも存在していた。
小さな手で穴を掘り、種を丁寧に一粒ずつ植えていく。
適切な間隔がわかるように、庭には紐が埋められてあり、印が付いていた。
これが、この研究所最後の実験。
研究員がいなくなったこの場所で、汚染物質を減らすための新種の植物を育てるのは、この子たちだ。
別の複数エリアの研究所それぞれで作った種を、ここで育てる。
俺が運んだ荷――種は、そういうものだった。
小さな如雨露に水を溜め、子どもたちは何度も種に振りまく。
それは子どもたちの、この種を生み出した者たちの、そして人々の、希望を振りかけているようだった。
きっとこれが、分水嶺になる。
「メテルディ。所長から、他に何を聞いてる?」
「これを育てて、たくさんになったら、種を取って、配達人を呼んで、って」
その言葉に、俺は笑みが零れる。
「呼び方、わかるか?」
「うん。入り口にあるボタン押して、名前入れるんだって」
俺は、近くにあった紙とペンに自分の名前とコードを書いた。
「先ずはこの名前とコードを入れろ」
文字を確認し、メテルディは「エメス」と小さく口にした。
「そしたら、おじさんが来てくれるの?」
「ああ。必ず来るよ」
この場所は、空気清浄システムが問題なく稼働している。あの種が本当に芽吹き、根を張り、大きくなり、増えていけば、もしかしたら新しい時代がやってくるのかもしれない。
夢を――見ても良いのかもしれないと、初めて思った。
「俺はそろそろ行く」
そう告げれば、メテルディは哀しそうな顔を見せる。
俺も本当は、もっとこの場にいたい。
でもそれをしてしまうと、情が移ってしまうのだ。
これ以上の長居は、互いのために良くない。
「絶対に、また来て」
メテルディの言葉に、他の子どもたちも頷く。
「また来るさ。だから皆――」
頑張って生き抜け、というのは相応しくないと思った。
笑みを浮かべ、子どもたちを抱きしめる。
「皆で助け合って、仲良く過ごせよ」
「……うん」
メテルディが涙声でそう言う。
それにつられたように、皆が鼻をすすりながら、頷いた。
配達の報酬として用意されていた袋の中から、新しい空気清浄フィルターを出してセッティングし、外に出る。
ガラス扉の内側で、子どもたちが手を振っていた。
俺も手を振り、ケリュケイオンを引いて門の外へと向かう。
――ここに、希望が生まれた。




