十九 山越え02
空を見上げる。先ほどよりも、闇が近付いていた。
泣きそうになる気持ちを奮い立たせ、もう一度スイッチを入れる。
だが、やはりピクリともしなかった。
ボディの横が少し凹んでいるから、もしかしたら中の配線がおかしくなったのかもしれない。
とはいえ――。
「とりあえず、夜露をしのぐ場所を探そう」
だんだんと暗くなる中で、配電盤の確認をしたり、修理をしたりする時間的余裕はない。
身動き一つとってくれないケリュケイオンを引っ張り、俺はゴーグルの座標を確認する。この先に、どうやら川があるらしい。
「この汚染濃度の中の川なら、もしかして集落の名残があるかもしれねぇな」
今、人が住んでいなかったとしても、たとえ頽れたものであったとしても、家屋の名残があれば助かる。壁も屋根も何もない場所で一夜を過ごすには、ここの山の中はあまりにも危険すぎるのだ。
道ではない道を、重い金属の塊を引き歩く。あるかもわからない集落をめざし、迫り来る夜への不安と恐怖が、俺の足を急がせた。
「お前、重いな」
ケリュケイオンが女性であったら、文句の一つも出たのかもしれない。
「いっそ、文句を言って貰えたら、気が楽なのに」
痛む体を誤魔化しながら、数十分も歩いただろうか。
息が、あがる。
ケリュケイオンを支えているのか、ケリュケイオンに支えられているのか、もう分からない状態だ。
いくつも、動物の死骸を見かける。
肉すら残っていない状態だから、かなり昔のものなのかもしれない。それとも、この山が早々に分解してしまったのか。
汗が流れ落ち、疲れからか、意識がぼんやりとしてきた。
――いっそ、ケリュケイオンをここに捨て置くか?
ふと、そんな考えが浮かぶ。
朝になり、明るい場所で見れば、故障の原因がわかるかもしれない。
だが一方で、直る確証だってない。
それなのに、この重い塊を引きずり、集落を探し続けるのか。
不安が、体中を襲ってくる。
さっきまで鳥の鳴き声一つしなかったのに、急に大きな羽音がした。近くに何かいるのかもしれない。
そのせいか。
「馬鹿馬鹿しいな」
立ち止まり、ケリュケイオンのボディを撫でる。
疲れているから、そんな妄言が浮かんだのだろう。
「お前がいないと、俺は荷を配達できないからな」
溜め息と共に、笑みが浮かんだのを感じた。
くだらない泣き言なんて、思いついたことすら、笑い話のような気がしてしまう。
たとえ人間は俺一人だとしても、相棒のこいつが機械だとしても。
それでも、こいつがいてくれれば、どうにかなる気がした。
俺が生きてきた間のほとんどを、こいつと過ごしてきたのだ。
若いころのような体力がなくなった今でも。
ケリュケイオンも、徐々にくたびれてきていたとしても。
助け合ってきたんだ。
「……今」
ふ、と。
どこからか鈴の音が聞こえた。
「鈴? いや、水音だったか?」
耳を澄ませる。僅かに吹く風は、枯れ木となった枝と枝をこすり合わせる音を立てた。カタカタと、白骨が触れ合い、動く音もする。
その中に紛れて、女の声が聞こえた。
「人が、いる」
それはつまり、集落があるということだ。
「山ン中だ。廂くらいは貸してくれるだろ」
俺はケリュケイオンに代わりるように、体をぶるりと一つ震わせて、声の聞こえた方角へと、進んでいった。
***
辿り着いた先には川があり、その近くに神社の社殿と繋がった、神楽殿が見えた。
そこに女が一人立ち、鈴を手にしている。縦長に連なった鈴は、彼女が腕を振るわせる度に、高く澄んだ音を響かせていた。
「誰かいるの?」
鈴の音とは対照的に、女にしては低めの声がする。こちらとしても、覗き見をする変質者になりたいわけじゃない。
ケリュケイオンを引っ張りながら、その神楽殿の下へと姿を現した。
彼女の立つ舞台を見上げる。
「驚かせて済まない。一晩廂を借りたいんだが」
遠くの空をちらりと見た後、彼女へ視線を移す。
女は白と赤の着物を身につけ、長い髪を後ろの低い位置でゆったりと一纏めにしていた。額にはなにやら、飾りを鉢巻きに括り付けて巻いている。その飾りは、おそらく昔は煌びやかな色をしていたであろう雰囲気があった。
「配達人の方ですか?」
「ああ。山道で滑落して、相棒のバイクがちょっと調子悪くなってね」
「大変!」
彼女は向きを変え、奥へと入っていく。
「これは……拒否されたのかな」
拒否されたとなると、むしろ声をかけずにそっと入りこめば良かった、などと考える。だめだ。それじゃ不審者だ。
「お待たせしました。こちらへ」
さて困った、と思ったところで、奥から声がかけられた。
どうやら、神楽殿から降りてきてくれたようだ。
額に着けていた飾りは外したのだろう。着物姿だけの彼女は、先ほど見たときよりも、身近に感じた。
ケリュケイオンを引きずり、建物に沿って奥へ向かう。
これまで見てきた集落の廃屋のような場所とは比べものにならないほど、建物の形が残っている。
「ここは――汚染が少ないからか?」
建物に対する俺の言葉に、彼女は頷く。
「山の中を通ってきたのであれば、収染キノコがたくさん生えているのを見たでしょう?」
「なるほど」
収染キノコが汚染を吸い込むから、木造のこの建物も、そこまで腐敗していないのだ。
「この奥の柱に、バイクを」
建物に囲まれた場所に、大きく太い柱が一本立っていた。
「以前はそこにも建物があったんですけどね」
どうやら、これはその建物の大黒柱だったものらしい。
薪を手に入れるために、使っていない建物を壊したと、彼女は話してくれた。
ケリュケイオンをそこに縛り付けると、彼女は再び俺を手招きした。
建物の中の階段を上がる。
先ほど見た神楽殿を、今度は中からみることになった。
こんなにも汚染されている世界の中で、この神楽殿だけは、なんだか妙に美しく見える。
「滑落した、と言ってましたよね。肌が出ている部分だけ見ても、打撲のあとがあります」
「その通りで、体中痛くてね」
「薬草程度しかありませんが、良かったら」
そう言って、彼女は目の前で、薬草をすり鉢ですりつぶしてくれた。ゴリゴリと音を立てる度に、薬草が独特の匂いを立て、それがぷんと広がる。
数分の間そうしてすりつぶしていくと、薬液が随分と溜まった。
薬草はこんな風に作るのか。
その汁に包帯を浸すと、彼女はそれを手渡してくれた。
「湿布代わりに」
そう言う彼女に、頭を下げる。
ゴーグルの空気清浄フィルターのランプは、言うまでもなく緑色だ。彼女もずっと空気清浄フィルターを着けていない。
俺はヘルメットゴーグルを含め、身につけているものを一度外す。腕まくりをすると、自分でも気が引けるほどあちこちが青黒くなっていた。
片手で腕に巻き付けるのに難儀をしていたら、彼女がくすりと笑う。
「巻きましょうか」




