十八 山越え01
一夜の宿とさせて貰った公民館は、人の気配がなかった。
ありがたく睡眠をとり、日が安定して昇った頃にそこを出る。
「四十八時間、経っちまったな」
空気清浄フィルターのリミットは、あと二十四時間。
出発当初の目論見とは全く違う展開に、少々焦ってしまう。
「ま、それでもあと丸一日あるし、どうにかなるだろ」
だが、そんな楽観的な予測はまたしても裏切られる。
大井松田より少し先の辺りから、道路が裂けていた。ゴーグルには、山中を進むように指示が出る。
「山越え、か。どのくらい時間がかかるか――」
通信端末の時計を確認すると、山越えの時間は日が昇っている間に完了できそうだ。
「よし、腹一杯だろケリュケイオン。頼むぜ」
ボディを撫で、先を見据える。
枯れた木々が林立する山は、どこも獣道ですらないだろう。
道なき道を辿る。
それでも、辿り着くその先は決まっているのだ。
「荷を運ばねぇとな」
気付けば俺は口の端をゆるりとあげ、笑っていた。
「こんな気分は久しぶりだ。髪を切ったからかな」
エネルギーを満タンにしたケリュケイオンが、まるで獣の咆吼のように音を立てる。
行くぞ。
心の中でそう呟き、俺は山の中へと入っていった。
***
「ここの山はまた、一際きついな」
大きく上下に跳ねる山道。
駆け抜ける中で見える景色はグロテスクだ。
樹皮が剥け奇妙にねじれた木は、まるで白骨した人の骨が、天に手を伸ばしているかのよう。それでいて、木の根元には収染キノコがびっしりと生えている。
収染キノコは、汚染物質を吸い込むと言われていて、一時は多く取引されていた。だが、育て方を間違えると、溜め込んだ汚染物質を胞子と共に広めてしまうことが判明し、採取が禁止されたものだ。
それでも、こいつらがいてくれるからか、山の中は空気清浄フィルターのランプも青い。
汚染に対して適応し、生き延びてきた獣や鳥の死骸も、落ちている。それこそ本物の白骨だ。
互いに食い荒らしたらしき跡が、骨からも見て取れる。
大きさもまちまちだが、ケリュケイオンのボディほどもありそうなモノもあった。そんな奴らに出くわしてしまったら、それこそ死を覚悟するしかなくなる。
そいつらが夜行性であることを祈り、ハンドルを握る手に力を入れた。
「さて、一気に抜けるか」
太陽が中天にかかったことを確認し、俺は山越えにかかる時間を脳内で算出する。できるだけ早く、ここを抜けたい。
そうして、ケリュケイオンを加速させたその瞬間。
「うわぁっ!」
ケリュケイオンの車体が、大きく宙に舞う。
スリップだ。
俺は体をぴったりとケリュケイオンに着け、背を丸める。
スリップで一瞬浮いた後は、ケリュケイオンの重さで重力に引き寄せられて、そのまま地面に落ちていく。
ドスンドスンと嫌な音が頭に響く。
斜面を擦るように俺たちは雪崩れ落ち、大きな木のようなものにぶつかった。
地鳴りのような音が響く。
――滑落。
その言葉を認識した瞬間、俺の視界は一気に闇に落ちたように暗くなった。
***
「う……っ、ぐ。い、てぇ」
どれくらい気を失っていたのだろう。
体の痛みで目を覚ますと、辺りは薄暗くなっていた。
目玉だけをぎょろりと回せば、元々いたらしい場所から土や木が崩れていて、近くまで道ができていた。
いや、道なんて言えないけど。
「あんな高けぇとこから、落ちたのか」
生きていて良かった。じんわりとそんなことを思いながら、ゆっくりと体を起き上がらせてみる。
ちょうどすぐ横にケリュケイオンがあったので、それを支えにした。体中を打ったらしく、あちこちが痛い。それでも、どこも折れたりはしていないようだ。
若い頃ならそれでも跳ね起きてただろうが、今はゆっくり体を確認しながら起き上がる。
右足のふくらはぎの切り傷は、こんなときにも主張してきやがった。
それでも、生きてる。
「……どうやら俺の体は、思ってるより頑丈で、生きるために腐心してるみたいだ」
首を回してみるが、問題はなかった。変に首を捻っていたら面倒だから、一安心だ。
空気清浄フィルターが口から外れていなかったのも、大きな救いだろう。これがなかったら、倒れている間に汚染された空気にやられて、死んでいたかもしれない。いくら収染キノコで空気が他よりもマシだからといっても、数時間もの間、屋外で空気清浄フィルターなしで人の肺がやられないということはない。外というのは、それだけ恐ろしい場所なのだ。
それに、さっき見かけた獣や鳥の白骨死体。生きているあれに狙われて、襲われ、食われていたかもしれないのだ。それこそ無事で良かった。
大きく息を吐く。
体に密着している鞄も行方不明にはなっていない。荷が壊れていないか確認したが、箱は傷一つ付いていなかった。
それにも安堵した。
「それにしても、太陽の位置が低いな」
滑落前に中天にいた太陽は、大分西へと傾いている。
木々の影が長く伸び、夕闇が迫っていた。
「今日、これ以上進むのは危険だ」
ケリュケイオンを引き起こし、エンジンをかける。だが、一度大きな音を立てた後、すぐにその勢いは消えてしまった。
「え……まさか」
何度かハンドルを回してみたり、電源をリセットしてみたりするが、ウンともスンとも言わない。表示パネルを確認しても、反応がない。
「お前ぇ。遂にイカれちまったのか?」




