十七 床屋の男03
ラエルテの言葉に俺は頷く。きっとこれは、彼の息子への弔いだ。名も知らぬ、顔も知らぬ、それでも同業者であった、その彼への。
「このバスは、第三次か第四次大戦の頃、俺のオヤジのそのまたオヤジのもっと前のオヤジが、横浜で転がっていたのを連れてきたんだとよ」
随分と昔の話を持ち出すのは、どうにもネモさんと重なる。
「床屋をここで始めたのは、爺さんの代からだ」
親子三代の床屋。
この店内も、当時のままだという。それはなかなかの年代物だ。
「四代目を、と息子さんには望まなかったのか?」
「そりゃあ望んでいたさ」
集落に根付いた仕事だ。そこで働いていれば、少なくとも食うには困らないだろう。よほどの問題を、集落で起こさなければ。
「息子は、子どもの頃ここにやってきた配達人に憧れて、十七で出て行ったんだ」
十七で。
それは反抗期とか、青春とか、そうしたものの一環ではなかったのだろうか。
「止めなかったのか?」
配達人なんて、所属する集落がある人間なら、わざわざなる必要がない。
「止めたさ、一応な。それでも、あいつの人生はあいつのモンだろ」
選ぶことができるなら、俺は配達人なんて選ばなかっただろう。
生きるためになった職業だ。生きるために手に入れた職業だ。俺の周りはそんな奴らばかりだった。
もちろん、それでこの仕事を気に入ったキルケーみたいな奴はいる。でもキルケーも俺と同じで、集落をなくし、生きるために配達人になった。
だから、自ら選んでこの仕事に就いた奴がいるなんて、思いもしなかった。
「あいつの死は、一年前に連絡が来たんだ」
配達人や、どこかの集落に登録をしている人間などの、クロノスシステムが管理している対象は、死ぬと血縁者に連絡が届くようになっている。
ネモさん――。
俺はふと、彼女を思い出す。
近くの集落に行って食べ物を貰っていると言っていた。
それはつまり、彼女はどこの集落にも所属していないということでもある。
ネモさんが死んでも、誰もそれを知ることはない。
『あたしが生きてるか、確認しに』また来てくれと彼女は言った。それはきっと、そういうことなのだろう。
今になって、ネモさんが言ってた言葉が胸に迫る。
小さな溜め息が聞こえた。
ラエルテの手が、少し震えている。
「配達人はいろんな場所へ赴く。そうなりゃ、汚染に長く触れて早く死ぬ」
彼の眉間に僅かに皺がよった。
瞳が潤み、雫がこぼれないようじっと正面を向く。
親である自分よりも早く死なれる。
息子が配達人になったときに、ラエルテはきっとそれを覚悟した。
それでも。
どれだけ覚悟をしていても、辛いのだ。
俺にはもう親はないけど、親の死だって辛いのだから、自分よりも若い子どもの死など、腹から全てが這い出すかのように、苦しいと思う。
数十秒。
沈黙が過ぎ、ラエルテは力なく笑った。
「エメスは、生き抜いてくれよ」
「生きられるならな」
ハーブティは、後味が甘い。耐性ミントの爽やかさのあとに、口の中に花の香りと甘さが広がった。
「――ほんの昨日の朝まで、俺は朝目が覚めると、まだ生きてたなってだけ思ってたんだ」
「うん」
「けど、なんだか今回は、いつもと違う配達でさ」
頭がなんだかぐるぐるとする。それでも、数時間前よりも何故だか、思考は軽い。
「何人かに会ったんだ。あんたも含めて、人と話すなんて久しぶりだった」
きっと、そのせいだ。
俺が妙にいろんなことを考えてしまうのは。
「荷を運ぶってのは、俺が思ってる以上に意味があるんじゃないかって」
そんなことを言い出した俺に、ラエルテはゆっくりと笑った。
「そうやって思えたことが、きっとまた意味を持つんだと思うよ」
笑顔で顔に皺が寄ると、思っているよりも彼は若く見えた。
***
どれほどラエルテと話をしただろうか。
やがて太陽の傾きが大きくなってきた頃、ケリュケイオンのエネルギーも満タンになった。
「髪を切ってくれてありがとう」
「なんの」
自分の、短くなった髪にバサバサと触れる。地肌からさほど伸びていない髪が、軽やかな音を立てた。
「髪を整えたのなんて、久しぶりだ」
「生きてりゃ、髪を整えたくなるもんだ」
豪快に笑う彼は、ほんの少し前の感傷的な彼とは全然違う。
「髪を整えりゃ、心も整うだろ」
「ああ。どうも頭が軽くなってから、気分も軽くなった」
「そうだろそうだろ」
彼は空を見上げる。
「もう今日は無理しない方がいいな。そこの公民館は、集落の者以外も受け入れてくれてるから、泊ってくといいよ」
「ありがとう――そういえば」
ふと、尋ねていないことを一つ思い出した。
「あんたの息子の名前って、何て言うんだ?」
俺の質問に、彼はふっと笑う。
「あいつが死んでから、店名を変えたんだ。あいつの名前にな」
口に出したら、何かが減ってしまうかのように、何かが消えてしまうかのように。彼は息子の名を、口にしなかった。
俺も、頷くだけにする。
「エメス。もう一度言うぞ」
バスを離れようとする俺に、ラエルテはニイと笑う。
「生き抜いてくれよ」
彼のその言葉に、俺も笑った。
「ああ。その努力はするさ。必ず」
振り返った先にあるバスの看板を見て、俺はそう口にする。
『オデウス』
キルケーの恋人だった男の名前が、そこには架けられていた。




