十四 温泉の子どもたち03
立ち上がり、荷を鞄にしまう。たとえ子どもでも、指一本触れさせるわけにはいかない。
「それだけだが、届けらんなきゃ、意味がねぇんだ」
テミはよくわからない、といった顔を浮かべる。
だが、デルピニは、何度も目を瞬き、それから口を開いた。
「それは、食べ物じゃないって、こと?」
「そうじゃない。食い物だろうと、そうじゃなかろうと、この荷は届け先の奴以外のモンじゃねぇってことだ」
俺は再び腰を下ろし、デルピニとテミを両膝にそれぞれ乗せる。
「配達人ってのは、誰かが荷を預け、それを届け先に届ける奴のことを言う」
「たべるものじゃないのも?」
テミの幼い声が、妙に切なく響く。この子たちは、食べ物のことを日々考え、それ以外のことなど、思い浮かばないのだろう。大人のいない、小さな子ども二人の世界では、それが全てだからだ。
「食べるもの以外も、運ぶ。でも、俺はこの中身が何かは知らない」
「いつも、知らないのか?」
デルピニの言葉に、俺は頷いた。
「もちろん、中身を知らされるときもある。でも、自分から尋ねたり、調べることはしない」
「なんでぇ?」
「うん、なんでだ? 僕だったら知りたいと思う」
「なんで……って」
俺はただ、頼まれた荷を運ぶ。それだけが仕事だから。
そう答えようとして、だがそれだけなのか? と答えに窮してしまう。
目を細め、上を見る。
遙か昔に作られたこの建物は、天井が低く、かつてあったであろう電灯はなくなっていた。かろうじて、電灯があったであろう跡が残されている。
俺は、どうして荷の中身を知ろうとしなかった。
確かに、中身を知っても良いことなど何もない。下手をすれば、もめ事に巻き込まれる可能性だってある。そんな可能性はできる限り捨てたいし、そもそも中身が何であるかを知らなくても、俺の仕事と報酬に変わりはない。
そして、危険を承知で荷を運び続けているのは、どうしてなのか。
キルケーのように、この仕事が好きなわけでもない。
それでも、今までだったらしたり顔で、「それが仕事だから」と答えていただろう。だが、今俺の中で何かが揺らいでいる。
小さなこの子どもたちに、安易に答えたくはない。
そんな馬鹿みたいなことを思ってしまった。
二人の顔を見て、小さく笑みを浮かべる。
「――荷ってぇのは、中身がなんであれ、頼んだ奴の、届けられた奴の、希望だからかな」
この言葉が、子どもたちにどう理解されるかはわからない。
それでも、今この言葉に嘘はない。わかりやすく伝えようとすれば、きっと齟齬がでる。いつか、この子たちが他の配達人と出会ったときに、この言葉を思い出してくれれば、それでいい。
「きぼう?」
「僕知ってる! 僕たちのことでしょ?」
テミとデルピニが同時に反応した。
「にぃにと、あたちのこと?」
「うん! オンセンモリのじいさんが、僕とテミのことをそう言ってた!」
希望の意味などわかっていないテミとデルピニ。そんな二人を希望と呼び、残して死んでいかないといけなかった温泉守の爺さん。
「なぁ、温泉守の爺さんは、あの草を食えって言ってたんだったか?」
浴室から続いているであろう窓は広間にもあり、その向こうに草が見えた。
「そう。お外は危ないから、あんまり長くいちゃだめって言われたから、急いでとるの」
「今日は、俺がとってきてやる」
「おま――じゃなくて、えぇと」
「エメスだ」
「エメス……さん。いいの?」
デルピニの頭をくしゃりと撫でる。
「二人の家を借りた、一宿の恩義ってぇやつよ」
俺の言葉に、二人はきょとんとした顔を浮かべた。
***
空気清浄フィルターを装着し、窓の外に出る。この地下から出られるようになっているので、草木が生えている場所にも、すぐに出れた。
廂があるから、雨に濡れないで済む。
「あぁ、確かにこりゃぁ耐汚染性植物と昆虫だな」
汚染下で人間よりもずっと適応してきたのは、こうした草木や虫たちだ。だからこそ、俺たち人間はそうした命を貰って、生きながらえている。
ここには、こぼれ種で増えるタイプと、地下茎で増えるタイプ。その二つが強く繁殖していて、その養分として強く力を発揮しているのが――
「温泉守の爺さん。あんたは、本当にあの子たちのことを、考えてくれてたんだな」
この七沢温泉の源泉らしきものから、古い雨樋を使って引かれた、温泉だった。きっと、温泉守の爺さんが先のことを考え、こうして食料が自生し続けるよう手を回したのだろう。この温泉に、地底コオロギや否飛バッタなども、水を求めてやってきている。
「昆虫と地下茎で増えるやつをいくつか、室内で増やせるようにもしておくか」
一週間ほどの食料――申し訳ないが、俺の分も貰った――と、追加で室内でも育てられるよう、余分に刈り取り、広間に戻る。窓にびったりと四つの目がくっついていたのは、もちろん気付いていた。
「厨ぼ――台所みてぇのは、あんのか?」
「こっち」
空気清浄フィルターを外しながら問えば、デルピニがテミの手をとり、先陣を切る。すっかり俺に気を許しているようで、あと少しでここを去らないといけないのが、心苦しい。
連れて――いくか?
思わずそう、自問してしまう。
小さな子ども二人をここに残すことに、引け目を感じているからなのだろうか。
そう思ったところで、もう一人の自分が反論する。
いや、連れ出してどうなるんだ、と。
この宿を出たところで、こんなチビどもはすぐに汚染物質にやられてしまうだろう。
俺が責任を持って、こいつらを食わせていけるわけでもない。
それに、他の集落に連れて行ったところで、チビどもを歓迎してくれるとも限らない。下手したら集落の中で孤立し、リンチを受ける可能性だってある。テミは女の子だ。小さな彼女を毒牙にかけようとする変態が、いないとも限らない。
だったらこの場所で暮らしていく方が、こいつらが生き延びる可能性は格段に大きい。
俺は何もできない。
この子たちを、どこか幸せになれる場所に運んでやることも。
荷を運ぶことしか、できない。
人を運ぶことなんて、できやしないのだ。
「すまんな」
小さく零した声は、二人には届いていないだろう。
それで良い。
***
同じフロアの奥に、厨房があった。やはり地下だからか、あまり腐敗もしていない。蛇口をまわすと、温泉が流れ出た。
「爺さん……」
こんなところまで、しっかりと気を回しているのか。
無論、集落として機能していた頃にはすでに、水道水ではなく温泉を引いていたのかもしれないが。
それでも、温泉守の爺さんが、残していく子どもたちを案じ、様々な工夫を凝らしていたことは、確かだろう。
通常の水道は、安心して飲めるのか不安が残る。川の上流も汚染され、浄水場のフィルターも機能しているのか信用できないからだ。
だが、地下深くから湧いている温泉であれば、比較的汚染の心配も少ない。
古びた食器の中で、深さのあるものに温泉を薄く張り、地下茎で増える草を浸した。
「これは、しばらく置いとけば増えてくる。雨の日とかは、外の汚染が強くなるから、これを食え。いいな?」
二人が頷く。それから、厨房の奥のタイルを二箇所外す。一箇所に食器で囲いをたて、そこに二種類の昆虫を数匹入れた。もう一箇所には、地下茎草を植える。
「こっちの昆虫は、しばらくすれば、増える。増えたら大きい個体をとって温泉の中に入れてから、しばらく干しておけ。干せば長期保存して食える。草も、増えたら刈り取れ。そのかわり、地下にある茎で増えるから、地上部だけを切るんだぞ」
そうして、残った昆虫を水没させてから、引き上げる。鞄に入れてあった針と糸でそれらを通し、窓辺に吊した。
これが先に乾燥すれば、子どもたちのタンパク源になるだろう。水没したてのうちいくつかは、とってきた葉に巻いた。
「口開けろ」
ぱかりと並んで口をあけたそこに、葉に包んだ否飛バッタを突っ込んだ。二人は慌てて咀嚼し、飲み込む。
「本当は、腹一杯食わせてやりたいけどな。少ない量で、生き延びるのを覚えないといけねぇから」
俺の言葉の意味は、おそらくデルピニには伝わったのだろう。口を一文字にして、彼は頷いた。
最後にもう一度、二人を抱きしめる。
二人の手が俺の背に回り、体温が伝わってきた。
「俺はもう行かないとだからな。もしも知らねぇ奴がここに来たら、さっきみたいに闇雲に声をかけるなよ。ヤベェ奴かもしれねぇ」
デルピニが、テミを見て再び頷いた。
「ここは地下だけど、明るさがある。一階以上よりも、汚染が大分少ねぇから、できるだけ地下で暮らせ」
「エメスさん……。もう、会えない?」
「あえないの?」
不安げな顔は当然だ。温泉守の爺さんが死んでから、初めて出会ったであろう大人なのだから。
「わからねぇ。二人が大人になったときには、また会えるかもしれねぇ」
二人を手放し、笑いかける。
「だって、デルピニとテミは、希望だからな」
優しく撫で、俺は二人を置いて、再び山中湖を目指していく。
雨は、あがっていた。




