十一 かつての戦友・かつての……02
だから、キルケーがオデウスと一緒になるときに俺は彼女に、「互いに生き残ろう」としか言えなかった。
「オデウスと二人で、ここで暮らしてた。少し行ったところに集落があってね。そこの人が怪我したとこを助けたの。それがきっかけ」
今この世界では、たいていは出身の集落に身を寄せる。そこで、互いに持ちつ持たれつの手助けをしあって生きていく。俺やキルケーのように、出身場所がなくなった人間は、配偶者を見つけてその集落に入るか、孤立して生きていくか、または彼女たちのように、縁のある人ができてその人の所属集落を頼るか。そうして生きていくしかない。
「地底コオロギと花落ち菜花、それに未成熟ジャガイモを、奥で少しだけ栽培してんの。それを集落で他のと交換して、どうにか過ごしてるってわけ」
彼女の目線の先には、畳が二畳分だけ外されて、地面が掘り起こされている場所があった。おそらくあそこで栽培をしているのだろう。
「なぁ、多摩川辺りから急に風がなくなったけど」
俺の質問に、キルケーは片眉を上げた。
「ここは谷だってのに、一年位前から、風が来ないんだよ。――だから、まるで時間が止まったままみたいに感じる」
キルケーの座る後ろには、ただの棒っきれに、オデウスとナイフで彫られたものが立てられていた。位牌の代わりだろうか。小さい頃、友人の家で見たことがあるそれは、人がどんどんと死んでいくこの時代、忘れられたような風習だ。
「明日が、命日だ」
俺の視線に気付いたのか、キルケーがぽつりと言う。
「……そっか」
どうして死んだのか、なんて聞けなかった。
この時代、死ぬ理由なんて汚染による肺の不具合が殆どだ。清潔な医療を提供して貰える場も殆どないから、俺たちはただ死を受け入れるしかない。
そこからしばらく沈黙が続く。
どこかで鐘の音がした。
「あれは、この奥にある寺の鐘。住職の子孫が生き延びてるらしいよ」
ふぅんと一つ返事をすると、再びキルケーが口を開いた。
「あんたは、どこに行くの」
それは、この荷の配送先を聞いてきた言葉の筈だった。
それなのに、なんだかそれ以上の意味を尋ねられたように感じる。
「山中湖だよ」
「へぇ、山梨県。一人で行くには、ずいぶんと遠いんだね」
「配達人も減ってきてるし、クロノスシステム的には人手不足なんじゃねぇの」
小さな荷は、俺の体にぴたりと張り付く鞄に収められている。中身が何かは知らないが、仕事としてとにかく、届けてしまえば、それで終了だ。
「荷の種類は?」
「さぁな」
「あんたは本当に、荷への興味が昔からなかったよね」
「知ったところで、どうにもならねぇだろ」
「ま、それもそうだけどさ。荷の扱い方が変わるでしょ」
「荷は、荷だよ」
俺の返事に、キルケーは口の端を小さく上げた。
「一人でやってんの?」
わかっているだろうに、敢えて聞くのか。
「一人で、さ。荷を届けるのに、一人は楽で良い」
「そ。あんたの目、相変わらず死んだようだね」
「そうか?」
「そうだよ」
ぽつりぽつりと交わす言葉。
それでも、昔馴染みとの会話は、取り残された世界から拾い上げられたような気がした。
「いつ死んでもおかしくねぇしな」
「知ってる奴が死ぬのは嫌だねぇ」
「俺が死んだところで、キルケーは知らないでいられる」
だから安心しろ、と続ければ、彼女は苦いものを口に入れたような顔で、俺を見た。
「山中湖に行くって言ったよね」
「ああ」
「ねぇ、これなんだけどさ」
キルケーは位牌の近くから、何かを包んでいる布を大切そうに取り寄せる。
それを開くと、三日月のような形をした、白茶の粒が現れた。
「なんだそれ」
「種だよ。コスモスって花の」
――コスモス。
随分と縁がある。
「知ってる、その花」
小さな花びらがついた、明るい色の細い花。
「あんたが花の名前を知ってるだなんて、明日はこの谷に風が吹くかもしれないね」
「失礼だな」
笑う。
笑い合った。
こうしてキルケーと話して笑い合うだなんて、一体いつぶりのことだったろうか。
「で? 花の種だなんて、そんな珍しいモン、どうしたんだよ。取引しようにも、俺は代わりになるもんはないぜ」
「これは、この神社の奥から出てきたんだ」
「この神社、花の神とかなのか?」
そもそも花の神だなんて、クソの役にも立たなそうだが。どうせなら食い物の神とかがいいよな。神が何をしてくれるのかも、わからないが。
「いや、ここはどうも雷の神らしいよ。良く知らないけど」
「家を借りてるのに、家主の仕事も知らないのかよ」
「黙ってるのが美徳の神なんじゃない?」
キルケーはその種を一粒だけ、指に取る。
「手、広げて」
「おい、ちょっと」
それを、俺の手のひらに置いた。
小さな一粒は、うっかりすると落として見失ってしまいそうになる。
「あの人の墓に、花を咲かせたくて頑張ってんだけど、全然駄目でね。山中湖まで行くなら、ちょっとそっちに植えてきてくんない?」
思いもかけない言葉に、一瞬返事を忘れた。
「無理かな」
随分と見なかったような、哀しい顔をするから、慌ててしまう。
「そりゃ、植えるくらい構わねぇけどよ。咲いたかどうかは、確認しに行けねぇぞ」
植えたらその場ですぐに、咲くものでもなかろうに。
仕事でもなければ、山中湖なんておそらくそうそう行く場所でもない。
だから、植えるのはともかく、その後の面倒は見れない。第一、種なんて植えたことがないが、世話をしなくても良いものなのか。
そう告げれば、キルケーはようやく表情を緩めた。
頷き、俺の手を彼女の手が包む。
キルケーの手は昔のように少しだけひんやりとしていて、それでいてカサカサと乾燥していた。
この冷たい手で種を温めているのか、それともキルケーの気持ちを温めているのか。
よくわからないが、そんな気になってしまう。
彼女の瞳に、俺の顔が映った。
その瞳が、ゆっくりと細められる。
「いいんだよ。いつかどこかで、あの人の――オデウスのために植えた花が咲くかもしれない。それだけで」
「お前……変わったなぁ」
「そう? 私は変わってないよ。ただ、あんたに見せてたのと、違う顔なだけ」
そう言われると、なんだか寂しい。
「わかった。山中湖ってのがどんな場所か分からねぇけど、この一粒、植えてきてやるよ」
「――ありがと。あんたも、生きててね」
キルケーのその言葉を最後に、俺は彼女の住む神社を、後にした。




