十六 床屋の男02
「髪、どんくらい切ろうか」
バスの前でケリュケイオンに管を繋ぎ、エネルギーを供給する。
少しばかり時間がかかるが、見通しの良い場所、しかも店の目の前なので、持ち去られる心配もない。
バスの中は、どこか異国の店のように感じた。
空気清浄フィルターのランプは、薄い緑色になる。彼もマスクをしていないし、ここは比較的安全らしい。
椅子の向きが変えられてあり、簡易的な水道や、鏡まである。水道の蛇口部分には、清浄フィルターがセットされてあった。
空気清浄フィルターとヘルメットゴーグルを外す。目の前にある鏡に映る自分を見て、随分と疲れ切ったおっさんだな、なんて思ってしまう。三十年の生き様がが蓄積しているだけなのだろう。
「いや、俺交換できるモンないんで……」
髪を切るのに、食い物を交換するのはもったいない。申し訳ないが、髪なんて自分でも切れるからどうでもいい。それでも、床屋を職業にしている人にそれを伝えることは、さすがにできない。
遠回しに辞退を告げれば、彼は笑った。
「君、配達人でしょ? 安心していいよ。俺、配達人には交換アイテム求めないで、サービスでやることに決めてるから」
「え。そんな親切なことって、あるんです?」
思わず中途半端な言葉遣いになる。
「ハハハ! いつも通りの言葉遣いで構わないよ。俺のね、息子も配達人だったんだ」
だった、と彼は言った。
それはもう辞めたからという意味ではないことは、長いことこうして配達人をしているからこそわかる。
「そ……すか。んじゃ、お言葉に甘えて。もうずっと髪の毛なんて適当に自分で切ってるんで、良い感じにして貰えたら」
「オッケー、任せてくれ! おっと。袖すり合うも多生の縁、ってな。俺はラエルテ」
「粋なこと言うなぁ。俺はエメスだ」
握手を交わす。ごつくて、カッコイイ手だった。
「結構短くしちゃってもいいかい?」
「こだわりはないんで、突拍子もないんじゃなきゃ」
無水シャンプーで髪を洗う。人に髪を洗われるのって、気持ちが良いと知った。寝てしまいそうだ。
「エメスは、いつから配達人を?」
「十五のときから。横浜が沈んだでしょ。俺、横浜出身でさ」
両親と家をなくし、食べていくために始めたのがこの仕事。ラエルテは俺の言葉を、頷きながら聞いている。
「ちょうどその頃、配達人の大量虐殺事件があって、人手不足になったみたいでね。当時横浜沈没で親を亡くした中で、使えそうな年齢のガキをまとめて配達人として登録させたんだよ、クロノスシステムが」
横浜沈没の数ヶ月前、配達人が一日に数十人単位で殺された。バベル・エデン計画で崩壊が加速したこの世界に対する不満が、集落外の人間である配達人にぶつけられたのだ。
あれは酷い事件だった。誰か一人の犯行ではなく、パニック状態がパニック状態を呼んだ、集団心理での殺人事件。詳細は伏せられていたが、それぞれの地域で同じような集団惨殺事件が起きれば、それなりに話題にはなる。
配達人が、疫病神だの汚染を拡大させているだのと言われだしたのも、同じ頃だろう。
「苦労したんだな」
「食ってく手段を手に入れたから、俺としては助かったよ」
これは本当だ。
実際に仕事をするときに、惨殺事件のことが頭を掠めなかったかといえば、嘘になる。それでも、十五の子どもが寄る辺となる集落を失ったとき、食っていくにはこれしか方法がなかったのだ。そして、クロノスシステムは、それを利用したのだろう。
確かに人々に忌み嫌われ、石を投げられ、時には斬りかかられたことだってある。それでも、配達人を歓迎してくれる人も確かにいた。
今思えば、俺はそういう人に、無意識に救われてきたのだろう。
「正直」
ぽつり、と言葉を落とす。
「ただ運ぶだけで、生きてこれたから」
「運ぶだけ、か」
「はは。そんでも、なんだか昨日辺りから、少し気分が変わってきてね」
しゃぎり、と髪を切る音と感覚が、体の中に響く。
肩くらいだった髪が、床にハラハラと落ちていった。
「何が変わったんだい」
彼のハサミが開く軽やかな音がする度、頭が軽くなっていく。
「何かを運ぶってことは、誰かにとって意味があることなんじゃないかって」
「ちょっと前髪も切るから目をつぶって」
言われたまま、目をつぶる。
前髪が短くなるのが、目を閉じていてもわかる。
瞼越しに、明るい何かを感じるのだ。
「俺は今はもう、誰に荷を送ることもないけどさ」
ラエルテはハサミを動かしながら、言葉を続けた。
「荷を送るときは、受け取る相手への気持ちも一緒に、託したつもりだ」
気持ちを――託す。
「よし、目を開けてもいいぞ」
顔の表面をサッサと刷毛で払われたあと、声をかけられる。ゆっくりと瞳を開ければ、目の前の鏡には、久しぶりに短髪になった自分がいた。
「ふはは。なかなかの男前になったな。どれ、ヒゲもあたってやろう」
よく研がれた刃物でヒゲを剃られ、なにやら液体を塗られる。鼻下や顎だけでなく、顔全体を刃物が流れていった。それだけで、妙にスッキリした気分になる。
「ラエルテ。あんた、すごい腕がいいんだな」
「そう言って貰えると嬉しいねぇ」
彼はちらりとバスの外を見て、口を開く。
「愛車のエネルギーは、まだ満タンじゃないみたいだ。少し茶でもしないか?」
頷き、彼の手の先にあるベンチシートに座った。前に置かれた、どこかから拾ってきたであろう低いテーブルに、色の付いた湯が出される。
「耐性ミントと耐性ローズゼラニウムの茶だ」
「ハーブティだなんて、贅沢だな」
「今日は特別な日だから」
「特別? 何かあんのか?」
「息子の命日なんだ」
言われて、俺は頭を下げた。神も仏もいるのか知らないが、目の前で子の命日を思う親に対し、手を合わせる。
「ありがとよ。同じ配達人に、そうして頭を下げ、手を合わせて貰えるなんて、あいつも幸せだろさ」
出されたハーブティを飲む。久しぶりに口にする味のある茶に、一息吐き出した。
熱い飲み物なんて、殆ど飲まない生活だ。立ち上る湯気と、かつて嗅いだことがあるようなないような、花の香りが鼻腔を湿らせる。
「良かったら、しばらく話に付き合わないか」




