第三柱 豊穣の神マルシェールと残酷な試練
三人目に、マルシェールが前へ出る。
「僕の役目は、実りを護ること」
マルシェールは静かに言う。
「そして、芽を刈り取る時を見極めることでもある」
「僕の試練は、少し残酷かもしれない」
彼が掌を振った瞬間――
アネッサが、その場で息を詰まらせた。
「……っ!」
胸を押さえ、膝をつく。額に汗、震える唇。
「アネッサ!?」
センイチロウが駆け寄ろうとする。
「動かない方がいい」
マルシェールの穏やかな声が、それを止めた。
「アネッサを救いたいなら――今ここで、跪いて降参することだ」
広間が凍りつく。
「君がこの試練を降り、アネッサとの婚姻を諦めると言うなら――今すぐ、彼女の痛みは消える」
センイチロウの拳が震える。
「……これは、なんですか」
「彼女の“未来の一つ”を、今この場に引き寄せている」
マルシェールは、アネッサを見る。
「戦いの女神として、彼女はいずれ、こうした傷を負う。それが“少し早く来ただけ”だ」
「そんな――」
アネッサはかすかに首を振ろうとする。
「せん……いちろ……動か、ないで……」
彼女の声すら苦痛に歪んでいた。
センイチロウの頭が、高速回転する。
(さっきまで、アネッサは平然としていた)
(マルシェールが手を振った“その瞬間”に発症)
(神の権能による直接干渉に見えるが――)
マルシェールの足元、指先、視線。アネッサの呼吸、汗、表情。
(呼吸の乱れが“少なすぎる”)
(痛みの割に、汗が少ない)
(マルシェールの視線が、アネッサを見る時にわずかに外れている)
(――違和感)
センイチロウは奥歯を噛み締める。
「……なるほど」
大きく息を吐いた。
「分かりました。降参します」
アネッサが顔を上げる。
「なっ……にを……」
センイチロウは、ゆっくりと膝をついた。
「俺はここで、“負け”を認めます。あなたには勝てない」
マルシェールの表情が曇る。
「君が諦めるなら、それでいい」
「その代わり――」
センイチロウは、苦悶の表情を浮かべながら顔を上げる。
「一つだけ、言わせてください」
「……何を」
「あなたの、その“技”」
センイチロウの目が冷たく光る。
「官益とは言えないですね」
マルシェールの表情が凍りつく。
「……今、なんと?」
「官益――公の益のための行為。少なくとも、この試練は、“神としての職務”からは外れていると思います」
センイチロウは続ける。
「一つ目。試練の内容が、“本来の時系列から切り離された痛み”を引き寄せている点。未来のリスクを今に持ってくるのは、豊穣じゃなく“収奪”ですよ」
「二つ目。アネッサ本人の意思を無視している。彼女は自分の傷を、自分で選ぶタイプです。他人が勝手にタイミングを決めていいものじゃない」
アネッサは、はっとする。
(見抜いてる……これは、“私の未来の傷”の投影であって、今の私の傷じゃないって)
「三つ目。僕への“選択”の強要。愛する人を傷つけたくなければ、自分の人生を諦めろ、って?」
センイチロウは笑う。苦しげでありながら、どこか誇らしげな笑み。
「それ、神様がやっていい“試練”じゃないですよ」
マルシェールの手が震える。
「……君は、本当に……」
センイチロウは、わざと地面に手をつき、さらに深く頭を垂れた。
「だから――“形式上は”降参します」
「でもその前に、あなたのやり方にはこういう問題がありますよって、ちゃんと指摘しておきますね」
しばし沈黙。
やがて、マルシェールはふっと笑った。
「……参った」
指を鳴らすと、アネッサの表情から苦痛の色が消える。
「これは幻覚ではない。本当に“起こり得る未来”を引き寄せたものだが――」
「君の言う通り、神が軽々しく行うべきではなかった」
センイチロウは立ち上がる。
「じゃ、俺の“降参”も無効ってことで」
「……ずるい男だね、君は」
マルシェールは穏やかに微笑む。
「だが、豊穣は“ずる賢さ”も嫌いではない」
彼はセンイチロウに手を差し伸べた。
「三柱目――合格だ」
センイチロウは、その手を握った。




