第二柱 神界の裁判官ゴルディアと“善悪”の問答
次に前へ出たのは、ゴルディアだった。
「さて。僕の番だね」
センイチロウは深呼吸をして向き直る。
「ゴルディア殿」
エンドールが告げる。
「お前に課す試練は、力ではなく――判断だ」
ゴルディアはセンイチロウの前に立ち、指を三本立てて見せた。
「これから君に、三つだけ質問をする」
「うへ、テストだ」
「君がこれまで生きてきた中で行った行為に関する、“善悪”の問いだよ」
ゴルディアの眼差しが鋭くなる。
「嘘は、つけない。少なくとも、僕には通用しない。正しく答えた上で、なおかつ“悪”と判断されないよう、答えなさい」
「つまり、“やらかしてても、理屈で乗り切れ”ってことですね」
「ニュアンスは近いけど、言い方はひどいね」
ゴルディアが微笑む。甘さのない笑みだった。
エンドールが静かに言う。
「――始めよ」
「第一問」
ゴルディアの声が広間に響く。
「君は、かつて“人が死ぬと知りながら、危険な実験を続けたことがあるか?」」
センイチロウは、目を伏せる。アネッサが、不安そうに彼を見る。
「――ある」
即答だった。広間がざわめく。
「詳しく」
「戦場で使う浮遊兵器の試作をしていた時期があります」
センイチロウは淡々と語り出す。
「敵国が優勢で、このままだと国そのものが削られるって状況でした。現場の兵士たちの負担を減らすために、遠隔操作兵器を作ろうとしたんですけど――」
「途中で、“操縦者の脳に負担が掛かりすぎる”と分かった。続ければ、人が死ぬ」
「そこで、やめなかった」
「やめなかった」
沈黙。
「その時、君は何を基準に判断した」
「数です」
センイチロウは迷いなく答える。
「守れる命の数と、失う可能性のある命の数。その比率を計算しました」
「……その計算には、君自身も含まれていたか」
「もちろん。一番死にそうだったの、多分俺ですし」
彼は苦笑する。
「でも、その結果、『何もしないで全員死ぬ』よりも、『何人かが犠牲になっても、多くが助かる』方がマシだって、計算が出た」
「それが“善”か“悪”か?」
「“善”ではないと思う」
センイチロウは即答した。
「いい人なら、やめてた。たぶん」
「でも“悪”かって言われると、俺にはそこまで自信を持って『悪だ』とは言えない。“善”にも“悪”にも振り切れない、“必要だった行為”だと、今も思ってます」
ゴルディアの瞳が細くなる。
「それでも人は死んだ」
「うん。だから、“善”とは言えない」
「でも、その結果救われた命も確かにある。何もせず全員死ぬよりは、ずっとマシだったと信じてる」
ゴルディアは、しばらく黙ってセンイチロウを見つめた。やがて、指を二本に変える。
「第二問だ」
「君は、自分の利益のために、誰かを“騙した”ことがあるか?」
「――ある」
またも即答。ゴルディアの口元がわずかに緩む。
「詳しく」
「上層部に出す報告書の数字を、ちょっといじったことがあります」
ファイゼンが顔をしかめた。
「お前、それ普通にダメだろ」
「いやいや、聞いてくださいよ」
センイチロウが両手を上げる。
「現場に置く安全装置の配備数を増やしたかったんですけど、上は『予算がない』の一点張りで。だから、“まだ起きていない事故”のシミュレーションを、あえて強めに出してやったんです」
「つまり、“盛った”わけだ」
「そう、“盛った”」
センイチロウは悪びれない。
「そのせいで安全装置は配備されて、実際に起こり得た事故は防げた。後で『予測ほど事故は起きなかったじゃないか』って怒られはしましたけど」
「それは、“善”か“悪”か?」
センイチロウは首を傾げる。
「“善悪”だけで言うなら……“善”ではない。嘘は嘘ですから」
「なら“悪”だな」
その瞬間、センイチロウは初めて、ゴルディアを真正面から睨んだ。
「――じゃあ聞きますけど」
「お?」
「今の時点で、それを“悪”だと断じるのは、神として正しいと言えます?」
ゴルディアの笑みが止まる。冷たい静寂。
「俺は、自分のしたことを綺麗だとは思ってません。嘘もついたし、数字もいじった」
「でも、その結果、“死なずに済んだ人”が実際にいるんですよ」
「それでも、“悪”って一言で片付けるんですか?」
ゴルディアは答えない。答えられなかった。
アネッサは、その様子に息を呑む。
(ゴルディアが……詰まってる)
センイチロウは表情を和らげる。
「……って、責めてるわけじゃないですよ」
「?」
「神様って、きっと“正しさ”を守る役目なんですよね」
センイチロウは頬を掻く。
「だったら、『これは悪い』『これは良い』って言ってくれるのは、必要な仕事だと思います。ただ――」
「“必要だけど、それだけじゃ足りない”場面もある、ってこと」
ゴルディアは静かに目を伏せた。
センイチロウは続ける。
「さっきの質問の“正しい答え”って、多分こうですよ」
「『お前がしたことは、善でも悪でもない。だが、嘘は嘘だ。正すべき傷は残ったままだ。だから今後、その傷を埋めるために何をするか考え続けろ』」
「それが、神様の“正しさ”なんじゃないですか?」
ゴルディアは顔を上げた。そこには、静かな驚きと敬意があった。
「……君は、本当に面倒な男だね」
「よく言われます」
ゴルディアは、指を一本立て直した。
「……では、第三問だ」
「君は今、“戦いの女神アネッサと結婚したい”と言っている」
「神と人との結婚は、主神エンドール様がおっしゃるように、“長さの違う時を結びつける”ことだ」
「その結果として、こういうことが起こる」
「一つ。君と過ごすわずかな時間のために、アネッサは無数の戦いから目を逸らし、守れたはずの誰かを守れなくなるかもしれない」
「二つ。逆に、君と過ごす時間よりも“神として守るべきもの”を優先するたびに、君は何度も“置いていかれる”」
「三つ。君が死んだあとも、アネッサは長い長い時間を、一人でその記憶を抱えて生き続ける」
「それでも君は――アネッサの“女神としての時間”を、自分のために確実に削る」
「第一問・第二問までの答えを踏まえて、もう一度問う」
「それは、君にとって“善”か、“悪”か?」
「そして、それが“悪”の要素を含んでいると知ったうえで、それでも尚、“アネッサと結婚したい”と言えるか?」
センイチロウは、すぐには口を開かなかった。
一問目や二問目のときよりも、長く黙った。
「……“善”か“悪”かで言えば」
「きっと、きれいな“善”じゃない」
ようやく絞り出した声は、軽口を封じた分だけ低かった。
「俺と一緒にいる時間のぶんだけ、アネッサは他の誰かを助ける機会を減らすかもしれない」
「俺と過ごした記憶のぶんだけ、俺が死んだあと、彼女は余計に苦しむかもしれない」
「それも分かった上で、“欲しい”って言ってるから、少なくとも、『完全な善だ』なんて言い張るつもりはない」
ゴルディアの目が、わずかに細くなる。
「では、“悪”だと?」
「そこまで単純にも、割り切れない」
センイチロウは、苦笑した。
「誰とも結婚しなければ、誰も傷つかない、って理屈は、紙の上では正しいです」
「でも、それを“唯一の正解”にしてしまうと、たぶんこの世界から、“自分の足で転んで、自分で立ち上がる人生”が、かなり減る。誰かと一緒にいたい、という願いそのものを“悪”だと切り捨てる世界は、俺は好きじゃない」
ゴルディアは、何も言わなかった。代わりに、ただ「続けろ」と視線で促す。
「だからこれは、“善悪の中間”だと思ってる。傷を生むのも分かってて、それでも選ぶ」
「その代わり――」
センイチロウは、はっきりと言った。
「俺は、自分の短いほうの時間を、全部アネッサに使う」
「彼女が神としての仕事を選ぶなら、その背中を押す」
「彼女が俺のところに帰ってくるなら、その時間を笑わせる」
「俺がいなくなったあと、彼女が“苦しい記憶”だけを抱えなくて済むように」
「できる限り、“バカな思い出”で埋める」
「それでもなお、『これは悪を含んだ選択だ』と誰かに言われるなら」
「その“悪いぶん”は、俺の側に全部寄せていい」
「『神の時間を削ってでも一緒にいたい』と言ったやつの罪として、俺の行に書き込んでくれればいい」
「それでも――」
一度、深く息を吸い込む。
「それでも俺は、アネッサと結婚したい」
「彼女が“それでもいい”と言ってくれるうちは、何度でもそう言う」
ゴルディアは、長い沈黙の末に小さく笑った。
「……やっぱり、面倒な男だね、君は」
「“善だ”とも言わず、“悪だ”とも断じきれず、それでも『欲しい』と認める」
「そのうえで、“悪いぶんは自分が背負う”と言い切る」
指を一本ずつ折り曲げる。
「一問目。大勢を救うために少数を犠牲にする選択を、“善ではないが必要だった行為”と受け止めた」
「二問目。嘘をついた自分を甘やかさず、それでも“救われた命”を見たうえで、“傷を埋める責任”を負うと言った」
「そして三問目」
「神と人の結婚が生む“痛み”から目を逸らさず、それでもなお選ぶと答えた」
「……裁判官として言うなら、“模範解答”ではない」
「だが、“不合格にすべき答え”でもない」
ゴルディアは、右手を差し出した。
「三問目――“不合格ではない”。そう判定しておくよ」
「あとは、アネッサ本人と、主神エンドール様が決めることだ」
エンドールが頷く。
「ゴルディア」
「……ああ」
ゴルディアはセンイチロウへ向き直り、右手を差し出した。
「最終判定は――“不合格ではない”。それでいいだろう?」
「上から目線ですねぇ」
文句を言いながらも、センイチロウは手を握り返した。
「これで二柱目だ」




