第一柱 戦いの神ファイゼンとの一戦
結界が張られ、広間の中央が試合場に変わる。
ファイゼンが前へ出る。
「武器は?」
「素手でいい」
センイチロウは、指を鳴らした。足元に細かな魔法式が浮かんでは消える。
「道具は補助。俺の“本体”は頭ですから」
ファイゼンの口元に笑みが浮かぶ。
「なら、潰し甲斐がある」
エンドールの手が下りる。
「――始め!」
次の瞬間、ファイゼンの姿が掻き消えた。
重い一撃が、センイチロウの頬をかすめる。風圧だけで、白衣の裾がはためいた。
「っぶな!」
センイチロウは半歩横へ跳ねる。ファイゼンの拳が、さっきまで彼の頭があった空間を貫いた。
(速っ……!)
視認した瞬間には、もうそこにはいない。踏み込み、切り返し、引きの一連の動作に一切の無駄がない。
それでも――
「おおおっと!」
センイチロウは、ギリギリの距離で全てを滑らせるように避けていく。完全な“直撃”を食らうことだけは、徹底して避けていた。
「逃げ足だけは見事だな、人間!」
「誉め言葉として受け取っておきます!」
ファイゼンの攻撃は重い。拳、蹴り、肘、膝。あらゆる角度から迫る打撃を、センイチロウは時に半身で、時に足さばきで、時に自分から倒れ込む形で躱す。
「転んで避けるな、見苦しい!」
「生き残れば勝ちなんで!」
彼はほとんど攻撃を出さない。徹底した防御と回避。
ファイゼンは苛立ちを募らせる。
「どうした。お前の“頭”とやらは、逃げ回る算段しか出せんのか!」
「一応、色々とパターンを試してるんですよ」
センイチロウは、息を切らしながら笑う。
「あなたの攻撃、全部“カウンター前提”で組んでありますよね?」
「……ほう」
センイチロウはファイゼンの拳を腕で受け流し、少し距離を取る。
「こっちから攻撃を出した瞬間、その“反応速度”で全部叩き落とされる。だから俺は――“何もしない”を続けてる」
「つまらん戦い方だ」
「神様相手に正面から打ち合う方が頭おかしいでしょ」
ファイゼンは鼻を鳴らし、間合いを詰める。
「なら、俺が攻めている間に、勝手に倒れるまで殴り続けるだけだ」
そこからは、一方的な殴打。
センイチロウは、意識が飛びかけるギリギリで踏みとどまる。頬は腫れ、腕は痺れ、足は震えている。それでも、目だけは死んでいない。
アネッサは、吐き気を覚えるほどの緊張の中、唇を噛む。
(そこまでしなくていいのに……)
センイチロウの足が、ぐらりと揺れた。
ファイゼンの拳が、真正面から迫る。
「――終わりだ、人間!」
拳が当たる、その寸前。
センイチロウは、息を吐きながら呟いた。
「保険ってものがありましてね」
「……なんだと?」
「こういう“どう考えても詰んでる”状況のためにだけ、用意しておくやつです」
左手の指が、不可視の式を描く。
「――《無刻剣》」
世界から、音が消えた。
全てが止まる。
ファイゼンの拳も。衣のはためきも。アネッサの見開いた瞳も。
色も、匂いも、温度も、その場に固定された。
「……ふぅ」
センイチロウだけが息を吐いて動いている。
「発動条件は、“俺が完全に追い詰められたときに一度だけ”。時間を止めるのは、副作用みたいなものですけど」
彼は、止まったファイゼンの拳を軽く押し戻す。触れた部分から、時の流れが歪み、拳は数ミリだけ逆再生されて元の位置に戻った。
「試験って言われてたんで、本当は温存したかったんですけどね」
センイチロウは、ファイゼンの背後へ回り込む。結界の隅に立て掛けられていた訓練用の大剣を手に取る。刃は潰され、鉄塊のような重さを持つそれを軽々と担ぎ上げた。
「……ま、これも俺の“戦い方”ってことで」
ファイゼンの背中に、そっと近づく。
「――再生」
世界が音を取り戻す。
ファイゼンの拳が空を切る。目の前から、センイチロウの気配が消えていた。
「なっ――」
カン、と軽い音。
大剣の柄が、ファイゼンの後頭部をぽんと小突く。
「いた」
ほんのわずかな衝撃。だが、「先に当てた」のはどちらかは明らか。
エンドールの声が響く。
「そこまで」
ファイゼンは呆然とし、やがて笑い出した。
「……一本、取られたな」
センイチロウは肩で息をしながら、大剣を突き立てる。
「俺の“保険”は、こういう時にだけ適用されるんですよ。保険料、ちょっと高いですけどね」
ファイゼンは笑い、手を差し出した。
「一勝だ、人間。だが、まだ二柱いる」
「分かってますよ」
センイチロウは、その手を握り返した。




