二年後へ続く星と、少将叙任の前日
帝都に、二つ目の春が来ていた。
四神軍が南へ発ってから、およそ二年。
その間に、帝都では何度も季節が巡った。
雪は積もり、溶け、ひまわりだった場所には毎年一本ずつ、新しい茎が伸びた。
ひまわり線担当兵士隊長としての日々。
近衛訓練隊長代理としての責務。
避難印の更新。路地裏巡回。孤児たちの保護。
そして、届いた火の封蝋――南からの報せ。
その全部が、静かに、しかし着実にマカロンの胸の星を磨いていった。
「――で、今の配置をもう一度確認しましょう」
王城の小会議室。
大きな机の上には、帝都とその周辺の地図が広げられていた。
壁には、簡易的な時間軸。そこには、この二年間に起きた事件と対応が、細かく書き込まれている。
マリア。
ブランディア。
ブルート。
ケイン。
そして、近衛兵士隊長マカロン。
いつの間にか、彼女は「太陽と月と白虎」の会議に、普通に座っている存在になっていた。
「東門、青龍からの増援は?」
ブランディアが問う。
「最低限は確保できていますが、彼らの本隊も南方の支援で手一杯です」
ケインが答える。
「西方の治安については、ヴィルナース連合とマルセ商会の協力で、“露骨な人身売買”はほぼ根絶しました。ですが、“別の形”での搾取が出てこないよう、監視を続けています」
「北方、玄武はどう?」
マリアが問う。
「彼らしく、“何も起きていない”と言っていました」
ブランディアが苦笑する。
「シンの“何も起きていない”は、たいてい『自分の見える範囲では全部潰した』の意味です」
「頼もしいわね」
マリアも微笑む。
「問題は――」
彼女の視線が、帝都の中心へと戻る。
「ここ」
王城。
ひまわり線。
聖堂。
マルセ商会。
ショコラの店。
マカロンは、視線でその全部をなぞった。
「帝都防衛の中心線、現在の指揮系統は?」
マリアが、マカロンに視線を向ける。
「はい」
マカロンは、立ち上がった。
「近衛軍兵士隊長マカロンが、以下の線を統括しています」
「王城内避難線。西門からひまわり線までの連絡。ひまわりだった場所から各広場への誘導線。城下の孤児・路地裏出身者への情報伝達線」
「それぞれに班長を置き、私は指揮と調整に専念する体制にしています」
彼女は、地図と自分のノートを照らし合わせながら続けた。
「訓練は、週二回。ひまわり線の子どもたちとの“避難遊び”は、週一回。実際の出動……火事、暴動の芽、怪しい集団の排除は、この半年で――」
「十三件」
ブランディアが、手元の資料をめくった。
「そのうち五件は、あなたの班が初動で押さえている」
「……すみません」
マカロンは、少し俯いた。
「本当は、もっと前に気づけていれば、被害を小さくできた場面もありました」
「それを“反省”として残す兵士隊長は、そう多くありませんよ」
ブランディアは、穏やかに言った。
「多くは『問題ありませんでした』で済ませたくなるものです」
マリアも、軽く頷いた。
「マカロン」
「はい」
「あなた、自分のことを“まだ足りない兵士”だと思っているでしょ」
「……思っています」
「それでいい」
マリアは、短く笑った。
「『もう十分』と思っている兵ほど怖いものはないから」
会議の終盤。
マリアは、資料を一度閉じた。
「さて」
少しだけ空気が変わる。
「本題に入りましょうか」
「本題……?」
マカロンは、思わず首をかしげた。オーバークロックで考えてもこの現状から本題が何かわからない。
今の話が本題ではなかったのか、と。
「マカロン」
マリアは、彼女の名を呼んだ。ブリッツの事を少し考え始めようとしていたタイミングだった事もあり、思わず裏声で
「ハイッ!?」
「この二年で、あなたがどこまでやってきたかは、今の話で十分分かったわ」
「避難線の整備。近衛の訓練。路地の子どもたちの保護。小さな事件の初動対応」
「それに――」
マリアは、ほんの一瞬だけ視線を落とした。
「南から届いた“火の手紙”を受け取ったとき。あなたが、“泣きながらも立っていた”ことも」
マカロンの喉が、きゅっとなった。
(あの日)
(ひまわり線に届いた火の封蝋。朱雀軍からの報告。ブリッツさんの名前が、そこにあったこと)
(その場で泣き崩れたかったのに)
(マリア様が、泣きながらも命令を出していたから)
(私も、立っているしかなかった)
「あなたは、この二年間で、“ひまわりの剣”から、“隊の剣”になった」
マリアは、しっかりと言った。
「だから――」
マリアは、椅子から立ち上がり、
机の引き出しから一枚の紙を取り出した。
「ここから先は、“隊の剣”だけでは済まされない場所に連れていく必要がある」
「……?」
マカロンには、その言葉の意味はまだよく分からなかった。
夕方。
会議のあと、マカロンは王城の裏庭に足を運んだ。
春の光。ひまわりだった場所の近くには、また新しい芽が伸び始めていた。
「……すごいね」
マカロンは、しゃがみ込んで芽を指先で撫でた。
「アンナ院長が言っていた。何度枯れても、毎年一本は必ず出てくる」
「ひまわりって、本当にしぶとい」
自分のことのようでもあった。
「マカロン」
背後から、聞き覚えのある声。
振り返ると、マリアが立っていた。
いつもの白いマントではなく、少し柔らかい布のワンピース姿だ。
「ここにいたのね」
「マリア様」
マカロンは立ち上がった。
「会議のあと、ちょっとだけ、ここで頭を冷やしたくて」
「冷やすには、いい場所よね」
マリアも、ひまわりの芽を見下ろした。
「二年前も、四年くらい前も、もっと前も」
「世界が揺れたとき、“ここ”を見に来ていた人がいる」
「ガルド王ですか」
「ええ」
マリアは、少し懐かしそうに笑った。
「『ここが枯れたら、帝国も終わりだな』って言ってた」
「今のところ、まだ出てきてる」
「じゃあ、まだ終わりじゃないですね」
マカロンも、笑った。
少しの沈黙のあと、
マリアはふと、ポケットから何かを取り出した。
小さな包み。紐でくくってある。
「これ、開けてみて」
「はい……?」
マカロンは、慎重に紐をほどいた。
中から出てきたのは、ひとつのワッペンだった。
金色に輝く星。
中央には、近衛の紋章が金と銀で立体的にあしらわれている。
星の縁には、小さな宝石が埋め込まれていた。
十八金のワッペン。少将クラスの階級章。
「……」
言葉が出ない。
「これは――」
「まだ、正式には“付けて”いない」
マリアは、先に言った。
「これは、“見せている”だけ」
「近衛軍兵士隊長マカロン」
マリアは、真剣な目を彼女に向けた。
「これから、帝国全軍の再編が必要になる」
「四神軍は南で大きな戦いを迎える。魔族領での決戦になるかもしれない」
「その結果、どれだけ戻ってこられるかは――分からない。最悪は本土決戦になるかもしれない」
胸の奥が冷たくなる。
マカロンは、自然と拳を握った。
「帝都に残った兵は少ない。でも、だからこそ、“ここ”にも正式な指揮官が必要になる」
マリアは、金の星を軽く持ち上げた。
「私は、太陽星《獅子》として、あなたを近衛軍少将に昇進させるつもりでいる」
「……!」
マカロンの心臓が、大きく跳ねた。
少将。十八金の星。
四神軍全体で言えば、「連隊長クラス」を束ねる役職。
近衛で言えば、「王城防衛全体の指揮官」に近い立場だ。
「でも、これは“叙任式”の前日」
マリアは、あくまで穏やかな声で続けた。
「実際の叙任式は、明日の朝。王城の謁見の間で行う」
「今日、ここで、非公式に見せたのは――」
マリアは、金の星を包みに戻した。
「あなたに、逃げる時間を与えるため」
「逃げる時間……?」
「そう」
マリアは、静かに頷いた。
「あなたがどうしても嫌なら、明日の朝、辞退してもいい」
「その場合は、別の兵士隊長を少将にする」
「帝都の避難線は、誰かが指揮しないといけないもの」
「マカロンだけに、全部押し付ける気はない」
マカロンは、しばらく黙っていた。
頭の中に、いくつもの顔が浮かぶ。
アンナ。ひまわりの子どもたち。イルマ。ブルート。
そしてブリッツ。
南の風。路地裏で膝を抱えていた自分。
王城の救護室で目を覚ました自分。
初級兵士の星を胸に付けた自分。
鉄の星をもらった自分。
兵士隊長の銀の星を握って泣きそうになった自分。
(逃げる時間)
(逃げたらどうなる?)
(誰か別の人が、私の代わりにこの星を背負うことになる)
(その人は――私より強いかもしれない)
(でも)
(“ひまわりだった場所”のことを、ここまで知っている人はいる?)
(ひまわりの子たちの顔を、全部覚えている人は?)
(アンナの背中を、この目で見てきた人は?)
(ブリッツさんの“風”を見送ったときに、マリア様の横で泣きながら歯を食いしばっていた人は?)
胸の奥で、何かが静かに固まっていく。
「……逃げません」
マカロンは、顔を上げた。
「怖いです。少将なんて、想像したこともありません」
「でも、私が逃げたら」
声が、少しだけ震えた。
「きっと、ひまわりの子たちが、“マカロンは逃げたんだ”って思います」
「それが、一番嫌です」
マリアの目が、わずかに柔らかくなる。
「だから――」
マカロンは、深く息を吸い込んだ。
「承ります」
「太陽の代理、嬢王の側近として、ひまわり線と帝都の避難線を守る、近衛軍少将の役を」
「いい子ね」
マリアは、小さく笑った。
「じゃあ――これは、明日、謁見の間で正式に渡す」
金の星が、再び包まれる。
「その前に、ひとつだけ」
マリアは、いたずらっぽく言った。
「今日の夜は、ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと寝なさい」
「え」
「少将の叙任式で倒れられたら困るもの」
「豊穣神光の祈りの時みたいに、腰をやってしまうのは、一人で十分」
「それは、マリア様の話ですよね」
マカロンは、思わず笑ってしまった。
「そうよ」
マリアも笑う。
「だから、あなたには同じ失敗をさせたくないの」
その夜。
マカロンは、自室で一人、机に向かっていた。
書きかけの手紙が一通。
『親愛なるブリッツ様へ』
ペン先が、迷いを含んで紙の上を滑る。
「近衛の兵士隊長になりました、と書こうとしたら、その次に、“少将になるかもしれません”と続きました」
「でも、これは、まだ正式ではないから――」
ペンが止まる。
(明日の朝、本当に星を付けられたら)
(そのとき、改めて書こう)
『――今はただ、あなたが無事であることを祈るばかりです』
短い一行を添えて、手紙を閉じる。
封はしない。
これは、「叙任式のあとに書いたこと」にするための、自分なりのけじめだった。
マカロンは、窓を少しだけ開けた。
春の夜風が、薄くカーテンを揺らす。
「アンナ院長」
小さく呟く。
「明日、少将になろうと思います」
「いきなり“世界の担い手”とか言われても、きっと笑うと思うけど」
「でも、この世界がどう転がっても」
「ひまわりの種だけは、ちゃんと残していたいから」
胸元の銀の星を、そっと撫でる。
明日には、ここに金の星が重ねられる。
その重さを想像して、少しだけ背筋を伸ばした。
翌朝。
王城の謁見の間で、白い光の中、ひまわりの剣は少将に叙任されることになる。
その責任の重圧とブリッツの無事を願う気持ち、マリアから認められたという嬉しさ、
色々な感情が押し寄せてくる。
しかし、拝命すると決めた以上必ず全うして見せる。そう心に誓ったマカロンだった。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。
四神軍の奮闘や元帥ズの連携など、まだまだ物語は続きます。




