ひまわりの剣、鉄の星をもらう
帝都に冬が来た。
城壁の上に薄く雪が積もり、屋根瓦の端が白く縁取られる。
路地裏の子どもたちは、息を白くしながら走り回り、
パン屋の前には、湯気を立てる大鍋が並んでいた。
王城の中庭も、少しだけ冬の匂いがする。
枯れかけた花壇の端に、ひとつだけ遅れて咲いたひまわりの枯れ茎が残っていた。
「……今年の、最後のひまわりかな」
マカロンは、訓練場へ向かう途中、その茎をそっと撫でた。
種はもう落ちている。
来年、またどこかから芽を出すだろう。
(私も、ちゃんと種を残せているだろうか)
胸元には、鉄製の星。
近衛兵長になってから、数ヶ月が経っていた。
「――隊列、配置!」
ブルートの号令が、近衛訓練場に響いた。
広い土の広場。冬でも訓練は休まない。
隊列の前列に、マカロンの班が並ぶ。
「マカロン兵長、班の体調は?」
ブルートが近づきながら問う。彼の目は、いつも通り厳しいが、その奥には信頼も見える。
「はい。昨夜の巡回で足をひねった者が一人いますが、今日は後列支援に回しています」
「報告済みか?」
「医務室と、勤務表にも」
「よし」
ブルートは短く頷いた。
「今日は、兵長クラスの“指揮訓練”だ。自分が倒れたあとでも部下が動けるようにする訓練だと思え」
「自分が倒れたあと……」
マカロンは、思わず胸に手を当てた。鉄の星が、冷たい冬の空気の中でも、確かにそこにある。
「守る側は、全員不死身じゃない」
ブルートは、周囲の兵たちにも聞こえるように言った。
「だから、兵長は“もし自分がいなくなったら”を常に考えておけ」
笑いながら言えるような台詞ではない。けれど、誰も顔を背けなかった。
演習は、想定訓練から始まった。
「王城西門に、暴走馬車。――門番隊が対応中だが、門の内側に市民が取り残されている」
ブルートが、状況を読み上げる。
「近衛第二小隊、マカロン兵長指揮で、避難誘導および馬車の停止を支援――開始!」
「第二小隊、前へ!」
マカロンの声が、訓練場に走る。数人の兵が、彼女の後ろに続いた。
訓練用の木製馬車と、立て札。それでも、彼女の頭の中には、ひまわりの家の子どもたちや、路地裏の人たちの顔が蘇る。
「広場に抜ける道は三つ。一番狭い道は塞いで、二番目を避難用に。三番目は、馬車が暴れたときの逃げ道として空けておく」
マカロンは、指で空中に簡単な図を描いた。兵たちは、それを見て一斉に動く。
「兵長、こっちはどうします?」
「その標識を塗り直して。『この先、危険』の印を赤で上書き。子どもは必ずそっちに吸い寄せられるから」
「はーい!」
訓練用の「市民役」――イルマが、子どもたちを連れて走ってくる。わざと逆方向へ走ろうとする。意地の悪い芝居だ。
「そっちじゃない!」
マカロンは、イルマより先に子どもたちの前に回り込み、自分のほうを見せた。
「“ひまわりだった場所”と同じ印を辿って。分かる?」
壁の印を指差す。子ども役の兵士が、印を辿るように走っていく。
(印は“怖くない道”の目印)
(それを覚えてもらえば、私がいなくても、同じ道を辿れる)
訓練は、ひととおり成功した。
「そこまで!」
ブルートの声。
第二小隊が整列する。
彼は、一人ひとりの顔を眺め、最後にマカロンへ視線を向けた。
「悪くない」
「ありがとうございます」
「ただし――」
ブルートは、指を一本立てた。
「兵長が、自分で前に出すぎだ」
「……はい」
図星だった。
「お前が壁になっている間、後ろの連中は“お前の背中に頼り切っていた”」
ブルートは、指揮棍で地面を軽く叩いた。
「兵長の役目は、全部を自分で受け止めることじゃない。受け止める順番を決めることだ」
「順番……」
「誰が前に出るか。誰が後ろで支えるか。誰を絶対に倒させないか」
ブルートは、マカロンの目を見た。
「それを決める者が、一人いればいい。それが兵長であり、いずれは兵士隊長の役目だ」
「……」
胸の鉄星が、わずかに重くなる。
「頭では分かっているつもりでした」
マカロンは、小さく呟いた。
「でも、いざとなると、自分が前に出たくなってしまって」
「いい傾向だ」
ブルートは、意外な言葉を投げた。
「前に出る気のない兵長を任命するほど、うちも人手に余裕はない」
「ただ、その足を“いつ出すか”、だけは考え続けろ」
「はい」
訓練後。
マカロンは、汗を拭いながら、訓練場の隅のベンチに座った。
鉄の星に指先を当てる。
(順番を決める)
(誰が前で倒れてもおかしくない世界で)
(誰を守るか、誰に任せるか――決めなきゃいけない)
ひまわりの家の記憶が、自然と脳裏に浮かぶ。アンナが、いつも真っ先に動いていた。
子どもたちが泣けば、最初に抱きしめたのはアンナだった。
でも、全部は一人で抱えきれなかった。だからこそ、マカロンたちは水汲みをし、洗濯をし、帳簿をつけた。
(あのとき、私たちは「子ども兵長」みたいなものだったのかもしれない)
(アンナ一人に全部押し付けないために、できることを分け合っていた)
「……今も、同じことをしようとしているだけかもしれないね」
マカロンは、ひとりごとのように呟いた。
その日の夕刻。
マカロンは、マリアの執務室に呼ばれた。扉の前で、一度深呼吸をする。
コンコン、と軽くノック。
「入っていいわよ」
中には、マリアとブランディアがいた。机の上には、例によって書類の山。
その端に、小さな箱がひとつ。
「マカロン」
マリアが、椅子から立ち上がる。
「今日の訓練、ブルートから報告を受けたわ」
「……何か、問題がありましたか」
マカロンは、無意識に背筋を伸ばした。
「問題があったら、ここに呼んでないわよ」
マリアは、くすりと笑う。
「むしろ――その逆」
ブランディアも、静かに頷いた。
「帝都に残された兵力は限られています。その中で、“異常に頼れる兵長”が一人いるのは、とても助かります」
「異常に、ですか」
マカロンの頬が少し赤くなる。マリアは、机の上の小さな箱を手に取った。
ふたを開けると、中にはひとつのワッペンが入っている。鉄の星より、一回り大きい。
銀の台座に、細い銀縁。
中央の星と近衛のシンボルは、銀で浮き彫りになっている。
「……これは」
「兵士隊長の星よ」
マリアは、はっきりと言った。
「近衛軍兵長マカロン。本日付けで、近衛軍兵士隊長に任命します」
「……っ」
胸が、きゅっと縮まる。嬉しさと、恐怖と、責任と。
それらが一度に押し寄せてきて、呼吸が少しだけ浅くなった。
「兵士隊長は、いくつかの班を束ねる立場です」
ブランディアが、淡々と説明する。
「帝都の各門、王城の各階、ひまわりだった場所のような集合点。それぞれに担当の兵士隊長がいます」
「あなたには――」
マリアは、マカロンの目を見た。
「“ひまわりと子どもたち”に関わる線を預ける」
「……線、ですか」
「避難経路。集合点。路地裏。孤児たち。商人たち」
マリアは、指で机の上の地図をなぞる。
「あなたが今まで見てきた場所」
「あなたが今まで守りたいと思ってきた場所」
「それらを、正式にあなたの担当線にする」
「……」
マカロンは、胸元の鉄星に指を置いた。
(鉄の星をもらって、まだそんなに時間は経っていないのに)
(もうひとつ、重くなる)
「怖い?」
マリアは、率直に訊ねた。
「はい」
マカロンも、正直に答えた。
「怖いです。
自分が倒れたあと、誰が守ってくれるかまだ分からないから」
「いい答えね」
マリアは、少しだけ笑った。
「“怖い”と言える兵士隊長は、そう簡単に部下を無駄死にさせない」
「逆に、“平気です”って言う子の方が心配です」
ブランディアも、少しだけ口元を緩めた。
「怖いと思いながら、それでも立つ。それが兵士隊長です」
「……分かりました」
マカロンは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「怖いですけど。それでも、引き受けます」
「ほらね」
マリアは、箱から兵士隊長の星を取り出し、マカロンの前に差し出した。
「じゃあ――付け替えましょう」
マカロンは、自分の胸から鉄星を外した。少しだけ名残惜しい。
初めて「人の血で錆びる」と言われた星。
それでも、星は進化していく。新しいワッペンを、胸の位置に当てる。布越しに、冷たい感触。
ピンを通す手が、少し震えた。
「……付けました」
マカロンがそう言うと、マリアは一歩近づいて、星の位置を軽く整えた。
「似合ってるわよ」
「ありがとうございます」
短いやり取り。
それでも、その短さの中に、たくさんの感情が詰まっていた。
兵士隊長になって最初の仕事は、「班編成」だった。
訓練場の片隅。簡易の机の上に、名簿が並べられている。
ブルートとマカロン、その向かいには数人の近衛士官。
「ひまわり線担当、兵士隊長マカロン」
ブルートが名を呼ぶ。
「お前の下には――この五つの班をつける」
名簿を指でなぞる。
第一班:西門避難誘導班。
第二班:路地裏巡回班。
第三班:ひまわりだった場所警備班。
第四班:救護室補助班。
第五班:王城内避難経路案内班。
「……多いですね」
マカロンは、正直に言った。
「少なく感じるようになったら危ない合図だ」
ブルートは、淡々と返した。
「それまでは、“多い”と思い続けていろ」
名簿の中に、見覚えのある名前がいくつかあった。
「ビッケ……?」
ひまわりの家で一緒に暮らした少年。今は、王城の雑務として働きながら、半ば近衛見習いのような状態だ。
「こいつは第三班に入れる。“ひまわりだった場所”を知っているという意味でな」
「エレンは……」
別の名簿にも、見覚えのある名前。エレンは、今は王城付近の教会で手伝いをしているが、いざというときに避難誘導に参加できるよう、連絡役として名前が挙がっていた。
(ひまわりの子たちも)
(それぞれの場所で、“守る側”に回ろうとしている)
(私だけが、守られる側に戻るわけにはいかない)
マカロンは、名簿をしっかりと握りしめた。
その夜。
マカロンは、ひまわりだった場所の片隅で、星を見上げていた。
夜空の星、胸元の星。どちらも、光を持っている。
「アンナ院長」
小さく呟く。
「初級兵士になりました」
「兵長になりました」
「今日、兵士隊長になりました」
「……でも、まだ全然足りない気がします」
「もっと強くならないと。もっと、守れるようにならないと」
「――だって」
胸が、きゅっと痛くなる。
「ブリッツさんを迎えに行く日は、きっとまだ先だから」
「その日までに、ちゃんと“人を率いる剣”になっていないと、あの人を肩に担いで帰って来られませんから」
冗談めかしながらも、目には少し光が滲んでいた。
ひまわりの剣は、鉄から銀へ、銀から金へと変わっていく途中にいる。
兵士隊長の星は、その中間地点にすぎない。
それでも――
「星は、まだ増やせる」
マカロンは、胸のワッペンをそっと撫でた。
帝都のどこかで、誰かがひまわりを描いている。
誰かがパンを焼いている。
誰かが空を見上げている。
ひまわりの剣は、その全部を守るための階段を、また一段、上ったのだった。




