残された帝都と、ひまわりの剣の役目
四聖獣の軍勢が南へと遠ざかってから、帝都の時間は「少しだけ違う」流れ方をするようになった。
目に見える変化は少ない。
城門は開き、商人たちの往来も続いている。
市は立ち、パン屋の前には相変わらず朝の列ができる。
けれど、マカロンにはわかった。
(みんな、耳を澄ましてる)
街の人たちは、遠くの足音を聞こうとするように、時々ふっと、話を止める。
兵士たちは、街道の方角をいつもより長く見る。
帝都は、表向きは「いつも通り」を丁寧に演じながら、
その実、四つの軍旗の行く先に意識を向け続けていた。
マカロンの日課は、少し変わった。
近衛としての訓練は続く。剣術、体術、隊列行動。それに加え――
「避難誘導、経路確認、合図の再確認。繰り返しになるが、叩き込んでおくぞ」
西門管理隊長ブルートの声が、訓練場に響く。
「帝都に残った兵は少ない。 “戦って勝つ”よりも、“守って残す”方が、よほど難しい」
近衛・城兵・文官の一部。
戦場に出ない者たちも交えた「防災訓練」のような集まりが、日に何度か行われるようになった。
「マカロン、あの標識、次の角にも付けておけ」
ブルートが指差したのは、壁に描かれた小さな矢印と数字の印。
「はい!」
「それは“この先、避難可能な広場まで三十歩”って意味だ。文字が読めない子どもや老人にも分かるようにするための印だぞ」
「分かりました」
刷毛で白い印を描きながら、マカロンは「今の自分にできること」を刻みつけるように動いた。
(私の役目は、ここ)
(城下の路地を覚えて、孤児たちや、市の人たちを安全な場所まで導くこと)
(“戦わない守り”も、守るってことの一つ)
頭では理解している。
でも。胸のどこかでは、やっぱり剣を振るうことに憧れてしまう自分もいる。
(ブリッツさんは、あの境界線の向こうで戦ってるのに)
(私だけ、避難誘導なんて、ずるいって思っちゃう)
刷毛を握る手に、少し力が入った。
「マカロン」
背後から声がして振り向くと、マリアが立っていた。
今日は、王冠もマントも身につけていない。簡素な上衣に、腰に細い剣。
女王というより「この城の若い主」の姿だ。
「マリア様、標識の位置、ここで合っていますか?」
マカロンは、壁の印を指差した。
「ええ。いい位置よ」
マリアは頷いた。
「これで、路地の子たちも、印さえ辿れば広場までたどり着ける」
「……ひまわりの家ではないけど、昔ここにも孤児院があった。あの頃なら、あそこを起点にして、もっと分かりやすくできたのだけれどね」
マリアの声が、かすかに沈む。
「ひまわりの家……」
マカロンも、目を伏せた。
帝国の行政整理の一環で、かつての実家であった「ひまわりの家」は正式には「解体」とされた。
建物は取り壊され、土地は一度、帝国所有に戻された。
表向きの理由は、「老朽化した施設の危険性」。
実際には――ガルド王時代の施策の「痕跡」を整理するという政治的な事情も、少なからずあった。
「アンナ院長も、所在不明のまま」
マカロンは、小さく呟いた。
「あの日、バラバラになって以来……」
最後に聞いたのは、「西の方で、どこかの小さな教会にいるらしい」
という噂だけ。
確かなものではない。
「ごめんなさいね」
マリアは、静かに言った。
「私が太陽を継いだ頃には、すでにいくつもの『ひまわり』が半分枯れかけていた」
「全部は救えなかった」
「それでも――」
マリアは、城下の路地を見渡した。
「ひまわりの“場所”がなくなっても、ひまわりの“子どもたち”は、どこかにいる」
「路地の隅に、屋台の影に、新しい職場の寮に」
「それなら、場所じゃなくて、“道”を守るしかないわ」
マカロンの胸元にも、視線を落とす。
木製の星のワッペン。
「あなたの役目について、ちゃんと話しておきたいの」
「役目……ですか」
「ええ」
マリアは、足を止めてマカロンの方を向いた。
「あなた、今――“南へ行きたい”って思っているでしょう?」
「……」
図星だった。マカロンは、視線を落とす。
「ブリッツさんのこと、聞きました」
声はかすかに震えた。
「先遣隊の報告で、魔族側に連れ去られたこと」
「境界線の向こうにいるかもしれないこと」
「……私も、行きたいです」
ようやく、言葉にした。
「ブリッツさんを迎えに、南へ」
「そうね」
マリアは、否定もしないし、慰めもしなかった。
「私も、できることなら、この足で走っていきたいくらいだわ」
「でも、行けない」
マリアは、自分の胸を指差した。
「ここに、帝国の“太陽の印”があるから」
「私が帝都からいなくなったら、四神軍の背骨が折れてしまう」
「だから私の役目は、帝都に残ること」
マカロンの胸元にも、視線を落とす。
「あなたの役目も、いまは同じ」
「近衛軍初級兵士マカロン」
「あなたは、“太陽のすぐそばの剣”」
「帝都が『最後の城』になったとき、門の前に立つのが、あなたの役目よ」
「……最後の城」
マカロンは、その言葉を小さく繰り返した。
「でも、まだ帝都は最後の城じゃないですよね?」
「ええ」
マリアは微笑んだ。
「だからこそ、今は“準備の時間”」
「四神軍が境界線で戦っている間に、ここを、どれだけ守りやすい場所にできるか」
「避難の印も、近道も、隠れ場所も」
「全部、“帝都に残る者”の仕事よ」
マカロンは、握りしめていた刷毛を見つめた。
(剣じゃなくて)
(刷毛と印)
(それでも、守るための道具なんだ)
胸の中にある、焦りと羨望が、少しだけ形を変えた気がした。
程なくして、「孤児院」の跡地は、仮設の集会所と倉庫に姿を変えた。
瓦礫は片付けられ、簡単な屋根と壁が組まれている。
元々孤児院だったことを示す看板だけが、隅に打ち捨てられるように立てかけられていた。
「ここを、ひとつの集合点にする」
ブルートが言った。
「旧孤児院の場所は、路地の子どもたちにとっては“帰る場所”の感覚が残ってる」
「いざというとき、足が勝手に向かいやすい」
マカロンは、壊れた看板に目を落とした。
ひび割れた板に描かれた、かすれたひまわり。
(帰る場所じゃなくなっても)
(集まる場所には、なれる)
マリアも、その場に足を運んでいた。
「名前は……」
誰かが尋ねる。
「この場所の、新しい名前です」
「名前は、いらないわ」
マリアは、首を横に振った。
「看板も掲げない。役所の帳簿にも、何も書かない」
「でも、口伝えには残すの」
マリアは、路地に向かって、少し声を張った。
「ここは、“ひまわりだった場所”」
「迷ったら、とりあえずここに来なさい」
「ここから先は、マカロンたちが広場まで導くから」
子どもたち――移住してきた元・ひまわりの家の子、今も路地で暮らす子、近くの屋台を手伝う子――が、物陰からひょいひょいと顔を出す。
「ひまわり、もっかいできるの?」
「アンナ先生、帰ってくる?」
一番小さな子の問いに、場の空気が一瞬止まった。
マリアは、静かに膝をつく。
「アンナは、今どこか別の場所で、きっと誰かのひまわりをしている」
「だからここは、“別の誰か”が守る番」
マリアは、マカロンの肩に手を置いた。
「帝都のひまわりの剣に、ここを預ける」
不意に重たい言葉を乗せられて、マカロンは目を瞬いた。
「私が……?」
「ええ」
マリアは笑う。
「あなたは、ここから城の中へ行った子でしょう?」
「なら、ここに戻ってきたとき、“どうすれば怖くないか”を知っているはず」
マカロンは、周りの子どもたちを見渡した。
薄い上着。穴の開いた靴。でも、目だけは妙に大人びている――かつての自分と同じ目。
(怖くないようにする)
(怒鳴らない)
(いきなり引っ張らない)
(ちゃんと、目線を合わせて話す)
「……分かりました」
マカロンは、小さく頷いた。
「ここに来た子たちの、“最初の剣”になります」
「怖いものから少しでも遠ざけて、広場まで連れていきます」
その夜。
マカロンは、「孤児院だった場所」の屋根に上って、星空を見上げていた。
屋根の板は、新しい。
でも、足の裏には、昔ここで遊んだ子どもたちの気配が、まだ微かに残っている気がした。
帝都の光の向こう。南の空は、うっすらと赤く霞んでいる気がする。
(あの向こうで――)
(青龍さんたちも、白虎さんたちも、朱雀さんも玄武さんも、戦ってる)
(きっと・・・・・・ブリッツさんも)
胸元の木の星に、そっと触れる。
「……ブリッツさん」
小さく呟いた。
「私も、ちゃんとやってます」
「まだ、帝都の外には出られないけど」
「ここでできること、やります」
風が、やさしく髪を撫でた。返事かどうかは分からない。でも、マカロンはそう思いたかった。
「いつか」
夜空に向かって、そっと約束する。
「いつか、本当に剣を持って、そっち側に行けるくらい強くなったら」
「そのときは――」
「迎えに行きますから」
ひまわりの剣は、まだ木製で、まだ初級兵士の星しか持っていない。
ひまわりの家は、もう「施設」としては存在しない。アンナ院長の行方も、分からない。
それでも。
帝都のどこかで、ひまわりだった子どもたちは生きている。
そのための一本の剣として、マカロンは確かにそこに立っていた。
遠くの空で、かすかな光が瞬く。
それが、南の火なのか、誰かの掲げた星なのかは、誰にも分からない。
ただ――
帝都の「孤児院だった場所」の屋根の上で、ひまわりの剣は、静かにその光を見つめ続けていた。




