帝都を背に、四神軍出撃
南から届いた報せは、帝都の空気を一変させた。
魔族領の門に至った朱雀軍先遣隊は、境界線の向こうに魔族本隊の気配を確かに見たこと。
敵の力は、当初の予測を上回っていること。
そして――南の風のひとつ、ブリッツ・ルビリアが戦闘中に拘束され、魔族側に囚われたこと。
その報告書に目を通したとき、マリアは長く息を吐いた。
「……想定より、ずっと早い」
窓の外には、依然として穏やかな帝都の景色。
人々は日常を続けているが、目には見えない“火の手”が、南からじわじわと迫ってきている。
「陛下」
ブランディアが静かに言う。
「朱雀だけに任せる局面ではありません」
「そうね」
マリアは頷いた。
「四つの柱、全部出す」
「帝国に最低限の兵だけを残して、残りの青龍・白虎・朱雀・玄武――」
「聖四神軍を、総出撃させる」
各地への召集は、驚くほど早く進んだ。
東方エルミス領から、蒼い軍旗。
西方ヴィルナース連合から、白い牙を描いた旗。
南方マルス地方から、燃えるような朱。
北方アルディールから、深い緑と黒の旗。
「帝都周辺の守備兵力は、どうにか数万人は確保できます」
宰相でもあるブランディアが、書類を片手に報告する。
「しかし、四神軍本隊――各七十万規模を動かすとなれば、帝国全土が一時的に“背骨を抜かれた状態”になります」
「背骨を抜かれたなら」
マリアは、静かに言った。
「その間だけ、私が背骨になる」
背筋を伸ばす。
「私が帝都から動かないことで、各領の不安を抑える」
「四神軍が“女王マリアの代理”として動くことを、はっきり示しましょう」
「……了解しました」
ブランディアは小さく頭を下げた。
四人の元帥が、久方ぶりに同じ場に揃ったのは、帝都南門の少し手前にある練兵場だった。
「大精霊建国祭からそんなに経ってないのに、四人揃うのは皮肉な物ね」
マリアの言葉に、マルクス・エルミス(青龍)が静かに微笑む。
「できれば、酒の席の方がよかったですけれどね」
ケイン・ヴィルナース(白虎)は、いつもの穏やかな表情を保ちながらも、瞳だけが鋭かった。
「そういう席を設けるためにも、負けて帰るわけにはいきませんね」
アレキサンドル・マルス(朱雀)は、片眉を上げる。
「負けたら酒の席どころじゃないからな」
シン・アルディール(玄武)は、相変わらず読めない顔で、ただ静かに立っていた。
胸元には、誰のワッペンも見えない。
だが、マリアは知っている。
服の下には、プラチナの十字架の真ん中に四神それぞれのシンボルが立体で輝く「元帥ワッペン」が隠されていることを。
「今回は、その十字架を、少しだけ“表”に使わせてもらうわ」
マリアは、四人を順に見た。
「四神軍は、私の代理として出る」
「謹んで、お受けいたします」
マルクスが、胸に手を当てる。
「太陽の代理として」
ケインも、静かに頭を垂れた。
「我ら四神軍。全力を尽くしましょう」
シンは、一瞬だけ視線を上げ、マリアを見た。
「……腰を、痛めないようにな」
意味の分からない返答に、場が一瞬だけ緩んだ。
マリアは、肩をすくめる。
「言われなくても、この数日で嫌というほど実感したわ」
四人の胸の内側で、プラチナの十字架が微かに揺れた。
それは、この出陣が単なる軍事行動ではなく、「太陽の代理」としての戦いである証だった。
「あなたたちがワッペンを見せたとき――帝国の誰もが、それを“マリアの意思”として受け取るようにする」
「元帥がワッペンを見せるときは、いつだって“最後のカード”ですよ」
ケインが苦笑する。
「そうね」
マリアも、わずかに笑った。
「今回が、最後のカードで終わらないことを祈るばかりだわ」
出陣の日。
帝都南門の外には、四神軍の一部隊が整列していた。
総勢――すべて合わせれば二百数十万規模の大軍勢。
だが、帝都に残せるのはそのうちごく一部。各領の防衛も考慮して、
「本当に必要な牙」だけが今、ここに集まっている。
マカロンは、その光景を城壁の上から見下ろしていた。
近衛軍の初級兵士として、マリアの側を守る立場にいながらも心は、どうしても南へ向かおうとしていた。
(ブリッツさんが、あの先にいる)
(先遣隊の報告では――魔王城の中に連れて行かれたかもしれない)
(もしかしたら、もう……)
胸の奥が、冷たくなる。
「マカロン」
隣で、マリアが呼んだ。
「はい」
「見ておきなさい」
マリアは、城壁の下の四つの軍旗を顎で示す。
「これが、“この国の四本の足”」
「青龍、白虎、朱雀、玄武」
蒼い旗の下、風と水の魔導師たちが並ぶ。
白い旗の下、鋭い槍と弓を持つ兵たち。
赤い旗の下、炎を纏う剣士たち。
黒と緑の旗の下、盾と術式を抱えた者たち。
「この人たちがいるから」
「今まで、帝都は守られてきた」
マリアの声には、はっきりとした敬意があった。
「だからこそ、今度は“外”へ出さなきゃいけない」
「魔族を、このまま境界線で放置したら――いずれ帝都の空にまで、黒い霧が伸びてくる」
マカロンは、唇を噛んだ。
「……はい」
分かっている。分かっているけれど。
(私も、一緒に行きたい)
(剣を持って――あの日、路地裏で何もできなかった自分の代わりに)
(ブリッツさんを、迎えに行きたい)
胸の中で、何度もそう叫びかける。
だが、声にはしない。今それを言えば、マリアは迷う。
そして、マリアを迷わせるようなことは、したくなかった。
四元帥が、馬を進めて前へ出た。
マリアは、城門の上から彼らを見下ろし、深く息を吸い込んだ。
「青龍軍元帥、マルクス・アルザード・エルミス」
「白虎軍元帥、ケイン・タタン・ヴィルナース」
「朱雀軍元帥、アレキサンドル・ルビリア・マルス」
「玄武軍元帥、シン・ジャクス・アルディール」
名前をひとつひとつ呼ぶたび、練兵場に緊張が走る。
「アル・スエンジール帝国女王、マリア・サン・クオンドールは今ここに、特1級勅命を貴君ら命じますす」
マリアの声は、決して大きくはない。
けれど、帝都の石壁に反響して、すべての耳に届いた。
「四聖獣たるあなたたちと、その軍勢をもって」
「魔族領へ進軍しなさい」
「帝国に残る兵は最低限とし、他の全軍をもって――“この世界の外側から伸びてくる手”を叩き折ること」
「そして――」
一呼吸置いてから続ける。
「南方から奪われた風を」
「できる限り、取り戻してきてほしい」
その一言に――朱雀軍の列の中で、何人かの喉が鳴った。
ブリッツと一緒に訓練を受けた兵たち。
境界線で共に戦っていた、先遣隊の生存者たち。
アレキサンドルは、前を向いたまま小さく頷いた。
「謹んで、お受けいたします」
マルクスが、胸に手を当てる。
「太陽の代理として」
ケインも、静かに頭を垂れた。
「我ら四神軍。全力を尽くしましょう」
シンは、一瞬だけ視線を上げ、マリアを見た。
「……腰を、痛めないようにな」
意味の分からない返答に、場が一瞬だけ緩んだ。
マリアは、肩をすくめる。
「言われなくても、この数日で嫌というほど実感したわ」
豊穣神光の祈りで、膝をつきかけた自分の姿を思い出す。
(あのとき、ガルド王は毎年これをやっていたのね)
(今更ながら、あの人の化け物じみた体力を尊敬するわ)
出陣の号令がかかった。
「青龍軍、進発!」
マルクスの声。
風が、陣中を駆け抜ける。前衛の魔導師たちが、軽やかに歩み出す。
「白虎軍、続行!」
ケインの低い号令。
白い鎧の列が、一糸乱れぬ隊列を組んで動き出す。足音は軽いが、一歩一歩が「押し込む」音だ。
「朱雀軍、前へ!」
アレキサンドルの声には、炎の熱が宿っている。
赤い旗の下、兵たちが声を上げた。
「玄武軍、後衛を締めよ」
シンの短い言葉。黒と緑の列が、じわりと陣の後ろを包み込む。
守りの鎧が、一枚加わる感覚。
四つの大軍が、ひとつの「矢」になって南へ向かって伸びていく。
帝都の人々は、城壁の上から、街道沿いから、家々の窓から、その背中を見送った。
誰も大声で叫ばない。ただ、手を合わせる者。額に手を当てて黙祷する者。
小さく「行ってらっしゃい」と呟く者。
マカロンも、胸元の木製ワッペンを握りしめて、小さく呟いた。
「いってらっしゃいませ」
(ブリッツさんがいるのは、もっと先かもしれない)
(でも)
(この背中が、そこへ続いている)
木の星が、微かに軋んだ。
マリアは、城壁の上で、四つの軍旗が地平線の向こうに消えるまで立ち続けていた。
相変わらず、彼女のプラチナの十字架は服の下に隠れている。
けれど――
(今、あの軍勢の全員が)
(あなたたちの白金の十字架を、“太陽の分身”として見ている)
(どうか)
(誰一人欠けずに――とは、さすがに言わない)
(それでも)
(少しでも多くの背中が、この城壁に戻ってこられますように)
太陽の女王は、そこではじめて、誰にも見られないように小さく祈った。
四聖獣の大軍が帝都を背に進むとき――
帝国は、一瞬だけ、裸の心臓を晒した。
その心臓を守る役目は、ひまわりの剣と、残された星々の肩に預けられた。




